サウナブームの要因は、リラクゼーション目的だけでなくコミュニティ醸成の場にもなるから/江戸POP道中文字栗毛⑤

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/2

江戸POP道中文字栗毛』(児玉雨子/集英社)第5回【全6回】

作詞家で小説家の児玉雨子氏が、江戸文芸の世界を現代の視点で読み解いた話題作! 俳諧と現代ポピュラー音楽に通ずる意外な共通点や、江戸時代にも存在していた流行語、式亭三馬の滑稽本『諢話浮世風呂』からみる江戸時代の他者との距離感など、普段触れることのない破天荒な江戸文芸の世界が覗き見できます。『江戸POP道中文字栗毛』は、近世文芸に触れるきっかけになる一冊です。

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江戸POP道中文字栗毛
『江戸POP道中文字栗毛』(児玉雨子/集英社)

湯の中の世の中(1)
──式亭三馬『浮世風呂』にみる他者との距離①

男のサウナブームはマウンティング?

コロナ禍以前より、ここ数年はサウナブームで「ととのう」感覚の素晴らしさが説かれる機会も少なくない。以前、雑誌である男性歌手と対談した際、そのひとは男性を中心としたサウナブームについてこう解釈していた。

多くの男性は「お茶」をしない。その代わりにサウナだったり飲み会だったり、理性の箍たがが外れる状況でコミュニケーションをとろうとする。むしろ、発汗や酩酊で身体を追い込まないと腹を割って話すことができない。そう簡単に強くない自分をさらけ出せない「有害な男らしさ」で自縛している。さらに、サウナはひとりで楽しめるだけではなく、温度や湿度などの知識や、ととのう感覚をわかっているかどうかのマウンティングも可能だ。だからサウナはマスキュリンな男性にとって都合がいい場所なのかもしれない。そう語っていたのだ。

ひじょうに鋭い指摘だと私は膝を打った。そしてこれを前向きに捉え直せば、サウナは単なるリラクゼーションだけでなく、コミュニティ醸成の場でもあるとも言えるだろう。マウンティングはコミュニティがなければ、そもそも発生し得ないものだから。

定点カメラで銭湯の様子を実況

今回紹介するのは、式亭三馬の滑稽本『諢語(おどけばなし)浮世風呂』(1809・文化六~1813・文化十年)だ。

本作は「前編」「二編」「三編」「四編」の構成である。最初からこの構成で書く予定ではなく、はじめは男湯のみを描写した前編を出版して評判もよかったものの、前編の版木(印刷するための板)が書店の火事で焼失し、読者からの要望で前編に書き足す形で女湯を題材とした二編を出版。書店が利益を求めて続編を三馬に打診し(*1)、二編では書き漏れた女湯についての内容を三編として、さらに書店は初編だけになっていた男湯の話を書くように三馬にかなり強く求めて、四編が書かれた。三馬の創作欲が溢れてテクストが展開していったのではなく、火事というどうにもならない状況や、まるで現代の人気漫画の連載引き延ばしみたいな理由で長編化した作品だ。今回は男湯について書かれている前編と四編について紹介したい。

本作の特徴は「糞リアリズム」と称されるように(*2)、銭湯に出入りするひとびとの会話が中心で、物語の筋やドラマチックなオチも乏しく、また「文学」として作品を貫くテーマも明確ではない。定点カメラで銭湯の様子をおもしろおかしく実況しているような娯楽作品、と評価されている。

【注釈】
(*1)当時の書店は「書肆」や「書林」などと呼び、小売だけでなく編集や製本まで行い、現代でいう出版社の役割も担っていた。三馬に依頼した書店員は、現在の編集者のような立ち位置。

(*2)土屋信一「『浮世風呂』に見る子ども達の世界」(『新日本古典文学大系86』付録月報6、一九八九年六月)

<第6回に続く>

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