「リベラル」ってどういうこと?【連載】第6回『資本主義と自由』がざっとわかる

ビジネス

公開日:2018/9/26

『経済学の名著50冊が1冊でざっと学べる』(蔭山克秀/KADOKAWA)

『国富論』(アダム・スミス)、『資本論』(マルクス)などの古典名著から、『クルーグマン教授の経済入門』(クルーグマン)、『21世紀の資本』(ピケティ)といった現代のベストセラーまで、ビジネスエリート必須の教養を、まるごとつかめる『経済学の名著50冊が1冊でざっと学べる』が好評発売中です。一度は読んでみたい名著の内容が、とてもわかりやすい解説で、すぐに頭に入ります!

「自由主義(リベラリズム)」が本来とは逆の意味になっている!?

 真の意味での「自由主義(リベラリズム)」を追究した経済学者ミルトン・フリードマンの名著が『資本主義と自由』だ。

 本書はまず、ケネディ大統領の就任演説にある有名な一節を批判するところから始まる。

「国が諸君のために何をなし得るかを問い給うな。諸君が国のために何をなし得るかを問い給え」というやつだ。

 フリードマンにとってこの演説は、自由人の理想には程遠いものだった。本当の自由人は、国が自分に何をしてくれるかなんて考えない。自分が国に何をできるかなんてことも考えない。ただ自分の自由を守り、その自由に伴う責任を果たすために「政府という手段を使って何ができるか」を考える人なのだ。

 政府は「自分の自由を守るために必要な“道具”」であって、決して「自分の自由を脅かす装置」にしてはならない。権力の集中は、自由にとって脅威だ。しかも「大きな政府」は、安心感を与えるかわりに多様性を潰す。だから僕らは、政府の権力に制限をかけつつ、その権力を分散させなければならないのだ。

 昨今のアメリカでは、「自由主義(リベラリズム)」という言葉が、本来とは真逆の意味で使われている。

 本来の自由主義とは「個人の自由の実現のため、政治的には政府の裁量縮小と議会制の確立、経済的には国内で自由放任主義、国外では自由貿易」を目指す考え方だ。

 なのに近年は「福祉と平等が自由の前提条件」という考え方で、国家の干渉を支持する者達が「リベラル」を自称している。

 フリードマンは、このように自由の破壊者になりかねない者達に自由主義を名乗らせ、本来の自由主義者が「保守」と呼ばれる事態に怒った。だから本書では一貫して、自由主義という言葉は、本来の意味の方で使われている。

「おいおい、政治と経済を一緒くたにすんなよ。政治は政治、経済は経済、別物なんだから。政治的には福祉国家で保護してもらいつつ、経済体制は自由に選んでいけば問題ないよ」という人もいるが、フリードマンはその考えを切り捨てる。なぜなら政治的自由をキープできる経済体制は市場経済、すなわち競争資本主義しかないからだ。つまり、経済を自由に発展させるからこそ、経済力が政治から切り離された1つの権力となり、それが政治権力を抑制できる力ともなるからだ。

 しかもフリードマンによると、経済の自由は、思想的自由の確保や差別の排除にもつながる。「何でも金で方がつく」からだ。

 たとえば、自分の主義主張を本や広告で世に広めたいと思うなら、潤沢な広告費や面白い本を準備すればいい。それらで出版社や広告代理店が「儲かる」と思えば、それらは世に出すことができる。あるいは自分の権利を拡大したければ、議員や政党に政治献金をすればいい。そうすれば、議員はそれを法律として具体化してくれる。「アカ狩り」で共産党員が公職追放されたとしても、自由な市場はちゃんと彼らに職場を与えてくれる。金銭的に労働力として見合えばいいだけの話なのだ。

〈プロフィール〉
蔭山克秀●早稲田大学政治経済学部経済学科卒。代々木ゼミナール公民科講師として、「現代社会」「政治・経済」「倫理」を指導。最新時事や重要用語を網羅したビジュアルな板書と、「政治」「経済」の複雑なメカニズムに関する本格的かつ易しい説明により、「先生の授業だけは別次元」という至高の評価を受けている。