ゲイである自分とは、一体何者なのか――三島由紀夫『仮面の告白』

文芸・カルチャー

2018/11/11

『仮面の告白 (新潮文庫)』(三島由紀夫/新潮社)

 生まれつき肌が白く病弱な“私”は、祖母に溺愛され、女の子のように育てられた。幼少期、汚れた青年の下半身の膨らみを見て、また、彼の仕事を想像し、「私が彼になりたい、彼でありたい」と、胸をざわつかせる。

 13歳になった私は、裸の青年が痛々しく縛られた殉教図、グイド・レーニの「聖セバスチャン」を見て、「ただ青春・ただ光・ただ美・ただ逸楽」を感じ取り、興奮する。そして生まれて初めての射精に至る。

 やがて私は、学友の中のひとり、荒々しく、「男らしい」青年の近江に恋をした。それは明白に、「肉の欲望にきずなをつないだ恋」だった。懸垂をする近江の格好良さと腋毛の逞しさに目がくらみ、しかし同時に、愛する人に「なりたい・似たい」という感情から嫉妬を覚え、自らその恋を諦めてしまう。そして私は、女性の裸に興奮する同級生と違う自分は特異な存在なのではないかと、深く傷つき悩み始める。

 やがて私は、友人の妹、園子に対して「肉の欲望」のないプラトニックな愛情を抱くようになる。戦争の最中、徴兵を免除された私は園子と文通を続け、「普通」の男女の恋人を演じた。そして彼女とキスをしたが、結局何の快感も得られなかった。自分の性嗜好が「異常」だと確信した私は傷つき、園子の家族からの結婚の申し出を断る。戦争が終わり、園子は他の男と結婚した。

 その後私は園子と偶然再会し、肉体関係のないまま密会を重ねる。性欲のない恋など存在して良いのか、明らかに論理に反している、と私はまたも悩む。ある日園子とダンスホールに出た私は、荒っぽく、美しい肉体を持つ若者に見とれてしまう。すると園子が、「あと五分だわ」と悲しそうに言う。その瞬間、私は自分の中で何かが2つに引き裂かれるのを感じた。

文=K(稲)