棚橋弘至があきらめない仕事術&生き方を伝授!「プロレス総選挙」「棚橋大人計画十か条」/『逆境からの「復活力」』⑥

ビジネス

公開日:2019/8/16

新日本プロレス、不動のエース・棚橋弘至。「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、なぜリングに上がり続けることができるのか? 職場や家庭で孤独を感じ悩める読者の背中を押し、あきらめない仕事術&生き方を伝授する…!

『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』(棚橋弘至/マガジンハウス)

自分自身に期待し、次なる好機を待つ。──特番『ガチで投票! プロレス総選挙』

 2017年の3月にテレビ朝日系列で『現役・OBレスラー200人&ファン1万人がガチで投票! プロレス総選挙』という特番が放送された。

 この番組は投票で“史上最高のプロレスラーランキング”を決定し、上位20名を発表するというもの。新日本プロレスのスタッフからこの番組の話を聞いた時点で、僕はすでにソワソワしていた。

 しかもその放送枠は夜9時から2時間以上。「えっ、いいの? ホントに!?」が素直な感想だった。

 昨今、情報番組のプロレスをテーマにしたワンコーナーに呼んでもらったり、バラエティ番組にゲスト出演したりする機会は増えてきたにせよ、プロレス単体を地上波で長時間扱うのは異例であり、しかも放送の時間帯も抜群。プロレス無関心層への影響力を考えると喜ばしいかぎりだった。

 もし「世の中にこんな世界があるのか!」と知ってもらえれば、高校生のときの僕のようにプロレスを好きになってくれる人が必ずいる。その確率を上げるために、僕は全国津々浦々をプロモーションで回ったり、さまざまなメディアに出演したりとずっと頑張ってきたのだ。

 新日本プロレスの中継番組である『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)が金曜夜8時のゴールデンタイムに放送され、毎週のように視聴率20%を取っていた時代は、単純計算で1%=100万人として、2000万人もの人々がプロレスを観ていたことになる。

 番組冒頭で実況の古舘伊知郎さんが「全国2000万人のプロレスファンのみなさま、こんばんは!」というフレーズを口にしていたが、けっしてオーバーな表現ではなかったのだ。なんと夢のある世界だろう。

 さて、この『プロレス総選挙』だが、実際は『ワールド・ベースボール・クラシック日本対オランダ』の中継が延長し、放送開始が3時間以上も遅れることになってしまった。こればかりは仕方がないし、それでも深夜帯としては良い視聴率だったと聞いてホッとした。きっとプロレスファンのみなさんも同じ気持ちだっただろう。

 そして、ランキングの発表。結果的に棚橋弘至は6位だったが、非常に光栄に感じた。というのも7位が“天才”や“怪物”と呼ばれたジャンボ鶴田(つるた)さんで、5位が日本のプロレスの始祖である力道山(りきどうざん)先生だったからだ。

 偉大な先人たちに挟まれる逸材。これだけでも誉れ高いことだが、今後はもっと高みを目指していきたいと思う。

 現役選手だと当時IWGPヘビー級王者だったオカダ・カズチカが4位にランクイン。オカダに負けたことは悔しいけれど、これらの結果を通して現在の新日本プロレスの勢いが正しく伝わっているという確信を持った。

 この投票自体は1・4東京ドーム大会の放送直後だったそうで、その大舞台でオカダと対戦したケニー・オメガも15位にランクインしていた。

 放送後の反応もさまざまでおもしろかった。番組の感想をSNSで追いかけると「○○が入ってるのに、●●が入っていないのはおかしい!」など、ファンもそれぞれのランキングを持っていて興味深かった。

 では、なぜ今回はこのようなランキング結果になったのか? それは“今”だから。この一言ですべて説明できると思う。もしアンケートが10年前や10年後、いや1年でも違えばランキングに変動が見られるのは間違いないだろう。

 人の記憶とは曖昧で儚いものだ。それでも上位にランクインするアントニオ猪木さんやスタン・ハンセンさん、力道山先生やジャンボ鶴田さんといったレジェンドレスラーたちの凄さを痛感する。

 果たして自分は諸先輩方のように時代を超えることができるのだろうか? 自分自身に期待しつつ、次なるチャンスをつかみにいきたい。

 収録を終えた控え室で、テレビ朝日のディレクターさんに声を掛けられた。

「もし棚橋さんがいなかったら、いまのプロレスの盛り上がりも、この番組の放送もありませんでしたよ。本当にありがとうございます!」

 僕は最後に、6位以上の喜びと誇りをもらった。

棚橋弘至
新日本プロレス所属プロレスラー。1976年、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部時代はアマチュアレスリング、ウェイトトレーニングに励み、1999年、新日本プロレスに入門。同年10月10日、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。その後、団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座に何度も君臨。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の“歴代最多防衛記録”である“V11”を達成した