存在意義は?「ヤりたいときに鳴らすベル」/『生き恥ダイアリー』③

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公開日:2019/9/23

『生き恥ダイアリー』(カレー沢薫/日本文芸社)

語るは恥だが役に立つ! 淑女たちよ、下ネタは男のもののみに非ず…。
奇抜だけれども知っていればいつか役立つ(かもしれない)、カレー沢薫の珠玉のコラムが開幕!

「セックスしたい時に鳴らすベル」というのが、一時期話題になったそうだ。

 セックスしたい時に鳴らすベルとは、セックスしたい時に鳴らすベルのことである。

 別にその音を聞いた相手もセックスしたくなるなどの特殊効果はない。徹頭徹尾、「俺様は今セックスがしたいんだ」と、意思表示するためだけのベルであり、それを聞いた相手が「はい、よろこんで」と居酒屋の店員みたいにベッドに来るかは、また別の話である。

 しかし、その「ただセックスしたいという意思表示」、すごく大事じゃないか。

 むしろ、明確な意思表示を避け、場の雰囲気とか、「強く当たってあとは流れでお願いします」みたいな、大相撲の八百長みたいなセックスをしていると、その流れが断たれると、いとも簡単にセックスレスに陥ってしまう。

 たまたま1か月しなかったら、もうするタイミングが掴(つか)めなくなっているのだ。

 今まで「俺様は今、猛烈にセックスがしたい」とはっきり言うか、ベッドの上で全裸大の字待機、という明確な意思表示をしたことがないため、今さら言うこともできないのである。 それを考えると、「セックスしたい時に鳴らすベル」、すごく良いじゃないか。おそらくアホエログッズカテゴリーなのだろうが、上品ささえ感じる。

 このグッズはポルトガル製らしいのだが、日本にも古来から「イエスノー枕」という同じようなグッズがある。枕の両面に「YES」「NO」と書かれており、猛烈にセックスしたい時は「YES」面を表に、したくない時は「NO」を表にする。

 シャイな日本人が言葉にせずともセックスしたいという意思を伝えられる画期的グッズだが、大きな欠点がある。「何故NO面を作ったか」だ。

 言葉にせずともセックスしたいと伝えられる反面、言葉にせずとも断れるようになってしまっている。

 もちろん相手にも断る権利はある。しかし、己の「YES」の隣に相手の「NO」が並んでいるのは画が強すぎてPTSDになりそうだ。せめてNOじゃなくて、なにも書いてない、とかにしてほしかった。

 それに、人の人生は「猛烈にセックスしたい日」と「セックスするぐらいなら死を選ぶ日」しかないわけではない。「どっちでもない日」だって結構あるはずだ。

 しかし、枕にはYESとNOしかないのだ。YESにしてたら猛烈にしたいように見えるし、NOにしていたら断固拒否っているように見える。そんな日はどうしたらいいのか。縦にするのか。そうなると「イエスノー枕」の「枕」部分が全く果たされていない。首が痛え。

 もし1年の大半が「どっちでもない日」だったら、頸椎(けいつい)がどうにかなる。

 その点ベルなら、枕のように毎日使うものではない。本当に「猛烈にセックスしたい時」だけ鳴らせばいい、という単純明快、爽(さわ)やかささえ感じるグッズだ。

 そして一番いいのは、対として「セックスしたくない時に鳴らすベル」がない、という点である。

 セックスしたい時に鳴らすベルを鳴らして、したくない時のベル音が返って来たら、すごく嫌である。居酒屋の呼び出しベルを押したら舌打ちが返って来た気分だ。

 しかし、確かにセックスに誘うのも勇気がいるが、真に勇気がいるのは断る方だともいわれている。それが出来ずに、したくもないセックスに応じてしまう人もいるというから、やはり「NO」面は必要なものであり、セックスしたくない時に鳴らすベルも本当は作られるべきなのかもしれない。その場合、音はなんだろう。「カッサカサ」とかだろうか。

 このベルを売っているサイトでは、「どこで」「どんな体位」でを決めるサイコロが売られているらしい。

 サイコロトークならぬサイコロセックスだが、ごきげんようでこれが振られたら、放送事故である。

 外国製品のため、どんな場所が指定されているかはわからなかったが、きっと「義両親の部屋で」「立ちバック」とか、マンネリを打破するスリリングな設定が用意されているのだろう。

 ただし「水中で」「騎乗位」など、明らかに片方の死が約束されているパターンもありそうなので、注意が必要だ。

 おそらくこのサイコロが使えるカップルはセックスにオープンであり、セックスしたいと言えない、などということはないのだろう。

 しかし逆に、「このサイコロを振らせる」という「セックスしたい」という意思表示もありかもしれない。

「賽(さい)は投げられた」という言葉もあるぐらいだ。投げられたからにはセックスすべきだろう。おまけに場所や体位まで決定されて一石二鳥だ。無駄がない。

 人間は生き物の中でセックスセンスが最もない、という話は何度もしているが、このセックスまでの道のりの長さ、葛藤の長さも、センスのなさを端的に表している。

 だがその葛藤の果てに枕やベルを作るというところまでいかれると、「さすが人間」「畜生どもには真似できねえ」と誇らしい気持ちにすらなってくる。


【次回に続く!】