家を継ぐことは絶対にしない! わたしは里を捨てた人間『忍者だけど、OLやってます』③

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/7

 OLの陽菜子には秘密がある。実は代々続く忍者の里の頭領娘だが、忍者の生き方に嫌気がさして里を抜けだしたのだ。ある日、会社の上司・和泉沢が重要書類を紛失してしまう。話を聞くと、どうやら盗まれた可能性が。会社のためにこっそり忍術を使い、書類を取り戻そうと奔走する陽菜子だが、背後には思いもよらない陰謀が隠されていて…!? 人知れず頑張るすべての人に贈る、隠密お仕事小説!

『忍者だけど、OLやってます』(橘もも/双葉社)

「好きな男のために、あんなにいやがっていた忍術に手を出すの? けなげだねえ、ヒナちゃんは」

 ウィッグとにらめっこしていた陽菜子の背後に、いつのまにか同居人の篠山穂乃香が立っていた。シャネルの香水がぷんと漂う。きついのに、いやじゃない。むしろクセになる。その絶妙なラインを穂乃香は熟知している。

「気配を消さないっていうのが、同居のルールだったはずだけど?」

「消してないよ。ヒナちゃんがぼうっとしてただけでしょ」

「……ていうか、好きな男ってなに。しかも術を使うなんて一言も言ってないけど」

「えー、だったらどうしてそんなもの出してるのよー」

 そう言いながら、穂乃香は陽菜子にしなだれかかる。柔らかく豊満な胸を背中に押しつけられ、陽菜子は同性ながらもぞわりと快感に身をふるわせた。

 穂乃香の香は色香の香、と言われるだけのことはある。同じ産院で5日違いで生まれて以来、一緒くたに育てられてきた陽菜子でさえ、不意打ちをくらうと惑わされそうになる。生まれたてのころからその笑みで院内中の男性医師を虜にし、おかげで陽菜子はしばらく生まれたことさえ気づかれなかったという嘘か本当かわからない逸話が残っているくらいだから、穂乃香は天性のくノ一なのだろう。なんで頭領娘のお前はああじゃないんだ、と父がぼやきたくなるのもわかる。わかりすぎて、嫉妬心も出ない。

 ええいうっとうしい、と肩で穂乃香を押しのけると、「ヒナちゃん冷たぁい」と拗ねるような声が飛んだ。

「変な勘繰り、やめてよね。わたしは里を捨てた人間なんだから」

「うふふ。久しぶりに見られるんだね、ヒナちゃんの変身術。常々、もったいないと思ってたのよ? その才能。ね、今からでも遅くないから、あたしと一緒にお店で働こうよ。ヒナちゃんなら絶対、会社の人にもばれないから」

「だから聞いてる? そんなんじゃないって言ってるでしょ? だいたい才能ってなによ。穂乃ちゃんだって変身はうまいじゃない。いつもの出勤スタイル、とてもじゃないけど今と同一人物には見えないよ」

「あたしのはただ化粧を盛ってるだけの変装。見る人が見たら、あたしだってすぐにわかるもの。でもヒナちゃんはちがう。誰ひとり、ヒナちゃんのことは見破れない。だから〝術〟と呼べるのよ」

 どこか誇らしげな穂乃香に気まずい気持ちになりながら、陽菜子はウィッグのひとつに手を伸ばす。

 勉強も、剣術や体術も、陽菜子は何においても十人並みかそれ以下だった。

 それでも頭領一家の跡取り娘かと叱りつけられ、納屋に閉じ込められ、夕飯を抜かれて、泣きながら努力だけは続けてみたが、生まれ持った才には限界がある。いつまでたっても陽菜子は里一番の落ちこぼれだった。

 そんな陽菜子が、唯一褒められたのが変身術だ。

 まわりに溶け込む。目立たない。誰にも印象を残さないまま、任務を遂行する。その訓練だけは、誰にも負けなかった。

 だがそれはつまり元の素材が異常に地味だということに他ならず、褒められたところで嬉しかった記憶は一度もない。

 そんな技がなんの役に立つのだと、逃げることを許さず、すべての術の体得を強いる親も里のしきたりも、陽菜子はずっと嫌悪し続けていた。

「ヒナちゃんが復活して里に戻ってくれたら、頭領──ヒナちゃんのお父様も喜ぶと思うんだけどなあ」

「どうだか。一度決めたことも守れんのかってますます怒るだけじゃない」

 ふたりが生まれ育った八百葛は、400年以上も連綿と続く忍者の一族が住まう里で、人口300人にも満たない山奥に潜む集落だ。

 里の子供はみな、物心つくより前から忍びとしての高等教育をほどこされ、高校を卒業するまでにそのすべてを習得させられる。とはいえもちろん、フィクションの世界で描かれるような黒装束を身にまとい、四六時中、手裏剣をかまえているわけではない。むしろ目立たないよう凡庸に世間に溶けこんでいる。穂乃香のように色香を控えても目立ってしまう場合もあるが、あくまでよくいる〝クラスで人気者のかわいい子〟という程度だ。

 卒業後は、忍びの身分を隠したまま、ある者は大学へ、ある者は専門技術を学ぶ場へ、あるいは働き口を見つけて外に出る。政治、金融、医療に芸事の世界――それぞれの能力を生かせる職業につき、里からの指令にいつでも応えられるよう備えるのだ。在野にあっても八百葛の忍びとしての誇りを失うなかれ、指令がくだれば必ず従え。それは、戦国の世の終わりとともに職を失った忍びたちが、諜報員として生き延びるために敷いた暗黙のルールだった。穂乃香が夜の店に勤めているのも、日本の中枢に進出していく一族の人間を補佐するためだ。

 一族の頭たる望月家の一人娘である陽菜子も、当然、そうすることを求められた。IMEに就職すると告げたときは、よくやったと両親はもろ手をあげて喜んだものだ。これからの時代、エネルギー産業は必ずや日本の大きな要となる。その業界に身を置くことは、一族のためにもなる、と。

 だが陽菜子は断った。

 家を継ぐことも、一族の誰に協力することも、絶対にしない。わたしは里から離れた場所でひとりで生きていく。

 そう告げた陽菜子に、何カ月もの争いの末、ついに父はこう言った。

 ならばお前は永遠に日陰の存在として生きていけ。決して目立つな。里との関わりを一切絶て。もし約束を破ればお前を社会的に抹殺する。

 冷徹にそう告げた父が、電話を一本かけるだけでそれができる力をそなえていることは知っていた。だから陽菜子は、徹底してその約束を守った。忍術にも二度と手を出すまいと心に決めた。

<第4回につづく>

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