真っ黒に焼け焦げた人間が近づいてくる… 絶対に掴まれてはいけない…/蝦夷忌譚 北怪導③

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/6

大ヒットご当地怪談『恐怖実話 北怪道』の続編がよりディープになって帰ってきた! 道内の民家や住宅地など生活圏内で、いま現在進行形で起きている怪事件、霊現象… 実はあなたの周りにも⁉ もっとも身近で恐ろしい北のご当地怪談を試し読み。

『蝦夷忌譚 北怪導 』(服部義史/竹書房)

手稲区のコンビニ

「多分……、始まりはコンビニだと思うんですよね」

 松永さんは仕事終わりに、札幌市の手稲区にある一軒のコンビニに立ち寄った。

 時刻は二十四時を回った頃、残業でおなかが空いていた為、コンビニ弁当で晩御飯を済ませようと考えていた。

 買い物を終え、出入り口から一歩出た瞬間、目の前に横たわっている人に気付いた。

 咄嗟に跨ぐような形でやり過ごす。

(危ないだろ、この野郎)

 いざ振り向くと、そこには人の姿はなかった。

 自分の見間違いだったのか、と思い直す。

 確かにその場にいたように気がしたのだが、よくよく考えると人だと思ったのは真っ黒な人影であった。

 既に周囲は暗がりに包まれている為、街灯などの光の関係でそう見えたのだと自分を納得させ、車に乗り込む。

 そのとき、ゾクリとした悪寒が一瞬背中を走ったが、それも気の所為とアパートへ向かった。

 遅い晩御飯を済ませると、翌日も朝早くからの仕事に備えて早々に寝床に就く。

 その夜、彼は夢を見ていた。

 全く見覚えのないトンネルの前に立っている。

 どうやらコンクリートでできたものではない。大きな岩山をくりぬいて作られた小さなトンネルは、その場から見える限りでは照明のような物は見当たらない。

 不気味さを感じ、中に入ることを暫く躊躇っていた。

 やはり引き返そうと思い後ろを向くと、獣道のような一本の小道がまっすぐ伸びていた。

 道の両端は生い茂った草に覆われ、侵入するのを拒まれているような気がした。

 仕方なしに夢の中の彼は、とぼとぼとその道を進んでいく。

 暫く歩いた気がしてきた頃、ガサッという草を踏み潰すような音とともに、人が目の前に倒れ込んできた。

 眼前に転がる人は、焼死体と思える。

 全身が黒く炭化したような姿は、髪の毛も存在せず、顔のパーツすら判別不能であった。

 その場で震え、逃げ出したくても足が動かない。

 心の中で何かに助けを求めた瞬間、目が覚めた。

 

 反射的に上半身を起こし、夢であったことに安堵する。

 身体には信じられない量の冷汗が噴き出しており、夢に怯えていたことに気付かされる。

(んっ?)

 布団越しに、足元に何かの重みを感じる。

 嫌な予感がしつつも照明を点けてみる。

 ――夢で見た焦げた人が眼前に横たわっていた。

 そのまま松永さんは気を失う。

 目が覚めると、いつの間にか朝になっており、夜中に見た人の姿は消えていた。

 咄嗟に、布団に焦げた跡などがないかを確認するが、黒ずんだような箇所は見当たらない。

 ただ、鼻を衝くような強烈な臭いだけが部屋の中に漂っていた。

 松永さんはすぐさま窓を全開にした。いつもの出社時間まではまだ余裕があるのだが、その場にはいられない、と会社へ向かった。

 

 その日の仕事は何事もなく終わった。

 定時に上がり、テレビを見ながら時間を潰す。

 しかし、彼の頭の中にはどうしても昨日のことが思い出される。

 夢だ、錯覚だ、と自分に言い聞かせるが、何処かで恐怖に駆られていた。

 ぼんやりとテレビを見続けていると、二十三時を過ぎた頃、急激に眠気が襲ってきた。

 このまま寝てしまえ、とばかりに布団に潜り込む。

 暫くの間は熟睡していた。

 が、突然、足元に熱を感じて目が覚めた。

 慌てて照明を点けると室内は煙に包まれていた。

 どうやら布団の足元の付近から、ぶすぶすと黒煙が上がっているようだ。

 叩いて消火しようとするが、埒が明かない。

 ままよ、と布団を丸め込んで担ぎ上げると、風呂場へと走る。

 そのまま布団を浴槽に放り投げると、勢いよくシャワーを出し、火の元を漸く消した。

 精神的にも疲れ果てて室内に戻るが、まだ煙は漂っている。

 家中の窓を全開にし、転がっていた小冊子を団扇代わりにして、煙を外へ追い出す。

 視界がクリアーになってきた頃、やっと一息つけた。

 リビングにどっかりと腰を下ろすと、煙草に火を点けながら色々と考え込む。

(しっかし、火災報知器が作動しなくて本当に助かった。こんなのが管理会社に知れたら、大変なことになっていた。絶対、寝煙草だって言われるだろ)

 動転している頭の中では、そもそもの原因については一切考えられなかった。

(あっ!!)

 布団も早急に処理しなければならない。

 アパートのゴミステーションに捨てると、他の住民から管理会社へ連絡が行くかもしれない。

 幸い時刻は三時を回った頃である。

 平日のこの時間なら、他の住民と出くわす可能性も少ない。

 彼は早速、大量の水を吸った布団を浴槽から取り出し、踏みつけるようにして水気を絞る。

 布団が入りそうな袋はない為、そのままの状態で車に積み込むと適当に車を走らせた。

 二十分程のドライブで、普段、自分が通らない場所のゴミステーションを見つけた。

 ゴミステーションの前に車を停めると、付近を窺う。

 タイミングを見計らい、今しかないと布団を投げ捨て、逃げるように家路に就いた。

 

 帰宅した松永さんは完全犯罪を成し遂げたように満足する。

(これでもう大丈夫だ)

 安心し切った頃に、漸く頭が冷静に働きだした。

(いやいや、そもそも何で火が出たんだ?)

 彼の寝室には火の気のようなものはない。

 煙草だって必ずリビングで吸う癖が付いている。寝煙草などは絶対に起こさない。

 脳裏に、あの黒い人影が浮かび上がる。

 偶然という言葉では片付けられない。何らかの関連性を感じて、彼は震え上がった。

(こんなときはお祓いか? いや、除霊とかのほうがいいのか? いやいや、何処の誰に頼ればいいんだよ)

 答えの出ない思考は堂々巡りに陥り、気が付くと朝を迎えていた。

 

 それから一週間は何事もなく過ぎた。

 夢に見ることもなければ、黒い人を見ることもない。

 忙しい日々に追われ、彼は一連のことを忘れかけていた。

 

 その日は午前中に取引先に提出する資料を纏め、午後から社用車に乗りお得意先へと向かった。

 相手方の会社まで後十キロ近くまで来たとき、目の前を黒い人影が横切った。

 事前に、歩道にそのような人がいたのは全く気付かなかった。

 急ブレーキを掛けるが、タイミング的には完全に轢いてしまった。

 しかし、車には一切の衝撃がない。車を停車させて周囲を確認するも、人の姿は何処にもなかった。

 やはり、何処かで気にしていた為、錯覚を見たのだと自分に言い聞かせる。

 そして気を取り直して車を発車させた数十秒後、松永さんの運転する社用車のボンネットから煙が上がりだした。

 慌てて車を路肩に寄せると、その場から離れる。

 警察に通報すると五分も経たずに警察車両と消防車両が到着した。

 取引先にも事情を説明し、その日の打ち合わせは中止となった。

 結局、社用車のエンジンルームは全焼し、廃車処分となる。

 実況見分が終わると、松永さんはタクシーを捕まえて帰社した。

 すぐさま上司への報告と形式上ではあるが、始末書を書かされる。

(ついてねぇ……。何もしてねぇのに……)

 やるべき仕事のスケジュールはびっしりと詰まっていた。

 今日の仕事が後日になることで、調整やら残業が増えることは確定していた。

 松永さんは定時までに日程を変更してくれるよう、取引先への電話業務に費やした。

 何とか目途が立った為、そこから資料や見積もりを作り始める。

(丸々一日潰れたようなもんだからな)

 必死に作業をしているとおなかが空いてきた。

「すいませーん、今日は何時予定ですか?」

 声に振り向くと、巡回の警備員が立っていた。

 時計を見ると二十三時を回っている。

「あー、そろそろキリがいいので上がります」

「そうですか、ではフロアーの警備をお忘れなく……」

 突然、遠巻きに会話する二人の間を黒い人が横切った。

 何処から現れたのかも分からない。

 が、黒い人はどんどんと松永さんのほうへ近付いてくる。

 どうやら警備員も気付いているようだ。

 驚いた表情のまま、目は黒い人を追っている。

 松永さんは恐怖に駆られ、声を発することも動くこともできない。

(助けて! お願いだから助けて!)

 警備員に懇願の目を向けるが、状況を理解できていないようでただ立ち尽くしている。

 黒い人は彼の真横まで近付くと突然方向を変え、真後ろの席に腰を下ろした。

 背中合わせの状態ではあるが、強烈な圧力のようなものを発してくる。

 振り向きたくはない。だが、怖い。

 松永さんはできる限り首を回し、視界に入るギリギリのラインを確保し続ける。

(消えろ! 消えろ! 消えろ!)

 心の中でその言葉だけを叫び続ける。

「危ない!! 」

 警備員の声が聞こえた瞬間、黒い人はその身体をねじるようにして松永さんに飛び掛かってきた。

 彼は反射的に椅子から崩れ落ちると、黒い人は眼前でその姿を消した。

 ホッと安堵する間もなく、黒い人が座っていた椅子から火柱が上がる。

 その熱量から逃げるように、松永さんは床を転げ回った。

「本当に火柱っていう感じで、幅は五十センチもないとは思うんですが、天井まで焦がしましたからねぇ」

 スプリンクラーも作動し大事には至らなかったが、現実離れした状況に松永さんと警備員は放心するしかなかった。

 

「結局ね、スプリンクラーの所為で、周囲のパソコンや資料やら、全部パーになりましたよ」

 幸いに警備員という証人がいた為、彼の不祥事扱いにはならなかった。

 ただ上司に当てた報告書では、〈黒い人〉のことは一切触れられていない。

 原因不明で突然出火したということになっている。

 警備会社からの報告も同じ内容だったのだろう。

 二人とも大人の対応を選んだ。

 

 それから半年が過ぎたが、松永さんは黒い人に遭遇していない。

 ただ、彼は安心していない。

 いつまた何処で会うか。あの黒い人に今度こそ掴まれでもしたら、自分が焼死するのではないかと不安な日々を過ごしている。

<第4回に続く>