「がんを宣告された親友とどう向き合えば…」死の直前だから深く友好的に心を通い合わせることもできる/あきらめよう、あきらめよう③

暮らし

公開日:2020/7/25

あきらめよう、あきらめよう。そうすれば、どんなときも幸せは見つかります。この困難な時代をしなやかに生きるヒントを語った、シスター鈴木秀子、渾身のメッセージです。さあ、一緒に聖なるあきらめのレッスンをしていきましょう。

『あきらめよう、あきらめよう』(鈴木秀子/アスコム)

聖なるあきらめとは許すことでもある

 あるとき、50代女性のFさんからこのような悩みを相談されました。

「がんを宣告された親友・Gさんと、どう向き合えばいいかわかりません」

 FさんとGさんは共通の趣味があり、長いつきあいになるそうです。

 また、それまでのGさんはとても明るく社交的な性格で、どこにいても笑顔でみんなに愛されるような人だったそうです。けれども、がん宣告について電話で打ち明けてくれたとき。Gさんの声は暗く、会話の最後は取り乱したような雰囲気だったといいます。

 私はFさんにこうアドバイスしました。

「まず、『二人の関係はこれまでと同じではない』と思ったほうがいいかもしれませんね。新しいコミュニケーションの時期に入ったと考えたほうがいいでしょう。医学が進んだ現在は、『がん宣告=死』というわけではありません。とはいえ、がん宣告を受けた人のほとんどが、人生の終わりについて意識をするようになります。周囲の人も、おつきあいの形や話の内容をよく考えたほうがいいかもしれません」

 そして私はFさんに、次の二つを諦めるよう提案しました。

「私が会話の主導権を取らなくては」と思うこと。

「相手を励まさなければ」と思うこと。

 また次のようにも伝えました。

「これからFさんがGさんと直接話をするとき。一番大切なことは、Gさんの言葉や気持ちをFさんが丁寧に受け止めていくことです。『Gさんの顔を見たら最初にどんな言葉をかけようかしら』などと思い悩むことはありません。『私が会話を明るく盛り上げなくちゃ』などと意気込むこともありません。Gさんの話を無心に聞いて、あいづちを打つ。それだけでGさんの心は深く満たされていくことでしょう。それから、たとえGさんの病が進行していったとしても、お見舞いなどの形でもいいので一緒に過ごすようにしてください」

 人生の終末期にある人との時間を、私は「仲よし時間」と呼んでいます。その人とともに過ごした日々、それも楽しかったことについて言葉を交わす時間です。

「つらかったこと」や「イヤなこと」ではなく、「楽しかったこと」。

「争い」ではなく「わかり合うこと」。

 このような視点で言葉を選んでいくことが大事です。

 つまり、過去にGさんと何かわだかまりがあったとしても許す。

 Gさんの過去も今もすべて受け入れる。

 許すことも、受け入れることも、もちろん難しいことです。

 けれども、FさんとGさんの二人の置かれた状況を明らめることで、何をするのが二人にとって幸せなのかを見つける。すると、これまで挙げた諦めるべきことも見つかる。このような聖なるあきらめをすると、格段にうまくいくことが多いものです。やがて二人の心は、どちらも必ず深く満たされていくはずです。

 死の直前だからこそ、やり方一つでより深く友好的に心を通い合わせることもできる。それは残されていく私たちにとって大きな救いであり、希望でもあるのです。

<第4回に続く>