愛とセックスの関係を分析する5つの指標とは? 望ましい性関係において「性的同意」の大切さ/3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし⑤

暮らし

公開日:2021/2/5

約3万人の大学生に「人間と性」をテーマに講義を行った村瀬幸浩氏。当時学生に話した中身を要約して紹介しつつ、講義を聴いた学生たちのリアルなレポートを元にまとめた1冊。複雑なからだ・性の仕組みを学び、性について語る「言葉」を持つことで、大切な人との関係性は変わる…!

3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし
『3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし』(村瀬幸浩/KADOKAWA)

「愛していたから」「好きだったから」―性交経験の動機調査から考える―

 大学生はもちろん、高校生で18歳成人が間近に迫っているように、大人としての判断力と行動が求められている時代です。ところが第1章のデートDVでみたように結構な数の人がなかなか難しい問題を抱えているのです。しかもその背景に、高校を卒業しても付き合っている人がいないなんてみっともない、みじめ、などと童貞・処女コンプレックスをベースとして恋愛を急ぐ気持ちがありはしないか、付き合っていることはセックスすること、していることと重なって意識されてはいないか、という疑問があります。

「好きだったら、いいよね?」、これはまず男性がよく言うセリフですが、そう言われると断りにくい。断れば好きじゃない、愛していないと思われてしまうから。彼を離したくない、でもセックスするのはまだ早い気がするし、積極的にはその気になれない…。こんなジレンマの中で結局応じてしまったが、気持ちは本当に納得していたわけではないからスッキリしない…。ところが男性の方はセックスによって彼女を自分のものにしたとばかりに支配しようとする。こんなパターンがDVを生む関係としてあったのです。

3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし

3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし

 データ5を見ると、初めてセックス(性交)を経験したとき、どのように感じましたか、という質問には、

 高校生女子にいたっては「経験をしてよかった」という数は多数とはいえず、「経験しなければよかった」「どちらともいえない」という数が半数前後に達していることは注視すべきと思われます。なにも最初の体験がすべてではないし、うまくなかったと思ったらそれはなぜなのか、振り返り反省して次に活かしていけば良いのだけれど…、でも90%くらいの人が「経験してよかった」と言えたらいいなと思ってしまいます。

 

 データ6では、性行為に対する感受性、性的快感への近づき方の性差というものが分かります。私は女性に対してもっと、性の快楽に前向きになってほしいし(男性のためということではなく)、男性にはもっと女性の性の快楽について心くばりをしてほしいと思いました。初めからはなかなか難しいとは承知していますが、ひとまず心がけるくらいは、と思います。

 

 また、セックスしたことを“大人の仲間入りができた”という単なる通過儀礼ではなく、「大人を生きるとはどういうことか」ということと結んで考えてほしい。その第一歩は自己中心の“わがままでなく、他者とともに生きる”ということではないでしょうか。“愛”が本質として“相手の幸せのために役立ちたい”感情であるとすれば、性交の体験が大人を生きることへの脱皮の機会になり得る、そんな意味づけが可能になるかもしれません。

 いかがですか?

愛とセックスの関係とは(焦らず、慌てず、急がず、慎重に)

「男の人はどうして愛情もないのにセックスができるのですか?」
「男女の性心理の違いについて教えてください」
「恋愛はどうしてするのですか?」「恋愛しなければならないのですか?」

 高校生へ講演をする時の事前アンケートの自由記述欄に、こんな質問がありました。

 総じて恋愛や結婚について、とても関心が高いことがわかります。まあ当然といえば当然ですね。そうしたことをまともに考えたり話し合ったりすることって滅多にありませんから。中学や高校の性教育もこのあたりのことを考えてみる余地が大いにありそうに思います。さて、冒頭の質問「男の人は愛情もないのにセックスできるか」。自分が付き合っている人のことを言っているのか、買春する男性のことを指した言葉なのか。

 私はこう話しました。

「愛がなくてもセックスできるのは男だけではありません。できるかどうかを問うなら、女もできるのです。例えば望ましい例ではありませんが、売春※する女性はいちいち相手の男に愛情など感じていたら1日に多くの人と性行為などできないのではないでしょうか。お金のために、 生活を維持するために、好きでもない人と性行為をする、それが売春という仕事だからね。つまり、男も女も愛なしのセックスは“できる”と考えるべきだということです。そして問題はできるかどうか、ではなくて、したいかどうか、ですね。どうですか、皆さん! 皆さんは“愛なしのセックス”をしたいですか、したくないですか?」

 この問題、ここで終わりではないのです。愛とセックスはいつも一緒とは限らない、別々に成り立つということは、愛し(され)ているのならセックスしなければならないと思う必要はない、ということと、セックスをしたからそこに愛がある(あった)とは限らない、という問題に発展していきます。そして、“愛に裏付けられたセックス”や“セックスを伴う愛”というものが本当にあれば、それはとても素晴らしいことだけど、そうたやすくは手に入らないものかもしれない、とまず思い知っておく必要があるのです。

 安易なセックスは、カジュアル・セックス、あるいはセックス・フレンド、さらにフックアップともいわれて、しばしば相手の変わるセックスが当たり前のように語られることがあります。そしてその流れに乗っていかないと遅れている、と煽る情報もあるようですが、焦ることも慌てることもない。からだ、こころ、性が熟するのを待ってからでも決して遅くはない、むしろそれこそが望ましいと私は語っているのです。

 ところで、愛しているから、好きだから、愛されているなら……これがセックスへの流れを強力につくり出す、主たる感情であり、動機でしょう。しかし実際には、その「愛」が相手への支配、強制を生み出したり、「愛」が自己犠牲を自らに強いたりしていることがあることもすでに述べてきました。「愛している」という言葉は実に魅力的であるけれど、とても怖い言葉でもある。そこで私は、このとらえどころのない愛という言葉よりも、「納得」「同意」「安心」「安全」「快適」という言葉で、自分のからだ、こころ、セックスにつながる相手との関係を分析・点検したらどうかと考えているのです。

「納得」 理解した上で承知することです。得心ともいいます。

「同意」 同じ気持ちというよりも、ハッキリと賛成、という意思表示と考えてください。反対ではないとか黙認ではなくて、「私もそう思うし、そうしたい」と声を上げるような積極性のある態度表明のことです。

「安心」 予期しない妊娠とか性感染症の心配がない。トラブルを避ける手立てが万全であること。

「安全」 セックスは互いに全く無防備な形でかかわり合うことです。もしもどちらかに邪な気持ちがあったとしたら、これほど危険な関係はありません。傷つけられる、場合によっては命さえも危くなる行為になりかねないのです。この意味から絶対条件といえる課題です。

「快適」 辞書(『広辞苑』など)によると「心身によくかなって気持ちのよいこと」とありましたが、いい表現ですね。セックスは互いに心身によくかなって気持ちのよいもの※でありたいもの。そうでなかったら、セックスをすればするほど惨めになるし、相手への恨みも募ろうというもの。また、初めから相手に対し「快適」を分かち合おうという気持ちのないセックスは犯罪、虐待です。

※売春、買春という言葉の「春」には、めざめ、生命力、希望などの意味もあり、性の売買の美化、あるいはその意味をあいまいにする恐れもある。したがって「性売」「性買」と表現すべきと主張されるようになった。私が大学で授業をしていた頃はそうした考え方は示されていなかったし、私も使っていなかったので、本書ではそのまま書き表した。

※単純にオーガズムの有無を指しているわけではない。心身ともに充たされている、生きているのは良いこと、という気持ちでいられるかどうかである。

「性的同意」について深く考えてみる

 望ましい性関係のあり方について私は「不確かな愛のあり方や言葉を問題にするよりも、納得、同意、安心、安全、快適であるかどうか自分の心に問いかけ確かめよう」と話してきました。そして今、この中の「同意」とは何か、どう考えたらいいかが性のあり方をめぐって大きな問題になっています。これはあなた方の現在と将来に深く関わることがらです。

 

 みなさんは2017年に、それまで「強姦罪」と呼ばれていた性犯罪が刑法改正により「強制性交等罪」に変わったことを知っていましたか? 明治40年(1907年)に制定されて以来、なんと110年ぶりのことです。これは罪名が変更されただけではありません。従来の強姦罪は「膣性交」だけ、つまり男性器による膣への強制的挿入を対象としていました。したがって加害者は男性に限られ、膣以外、たとえば口の中や肛門への性的侵襲※1は外されていました。それは膣性交だけが妊娠の可能性があるからであり、配偶者以外による子孫の誕生が、日本の家制度、家系の紊乱※2を招くことになるからです。女性の人権を考えてのことではありません。このことは強姦被害を訴えた女性に対し、「暴行または脅迫」があったかどうか、しかも「相手方の反抗を著しく困難ならしめる程度のもの」であったかどうか、さらに女性がどれほど必死になって抵抗義務をはたしたのかを問う、という苛酷なハードルがあったところにみることができます。しかもその暴行の程度を法廷の場で証明したりそれを裁判官(当時は全員男性)が判定するという、まるで法廷の場で2度目のレイプ(セカンドレイプ)を受けざるを得ない屈辱を前に、告訴をしない、しても取り下げる状況が続いてきたのです。

 2017年の刑法改正によって成立した「強制性交等罪」は膣性交のみならず、肛門性交、口腔性交などもその対象とし、男性も被害者として認める道を開きました。さらにこの段階では「暴行、脅迫要件」が存続しましたが、3年後の見直しの過程で女性たちを中心とした大きな運動の力※3を得てこの要件は撤廃される方向で新たに「不同意性交の処罰化」が論議されるようになったのです※4。この刑法改正は遅きに失したとはいえ幸せな性のあり方や両者の関係づくりを追求するうえで大きな進歩であることに間違いありません。そうした理解の上に立って「性交における同意とはなにか」「第3者がいない両者だけのプライベートな場において同意を確認するにはどうすればよいのか」という性教育にも直結する「性の主体者形成」という新たな課題を私たち1人ひとりが負ったことを自覚しなければならないと思います。

 

 さて、不同意性交の処罰化制度はすでにスウェーデン、イギリス、カナダ、ドイツ、アメリカの一部の州では実現しているといいます。“NO Means NO”ですね。日本ではセックスにおける同意をめぐって俗に「いやよいやよも好きのうち」などと言われてきました。これは英語表現においても“NO Means YES”という言葉があるようで、そうした言い方で結果として無理やりな性行為を許してきたのです。今後の刑法改正がこうしたあり方を否定し、同意なき性行為を犯罪とする画期的な出来事となることを強く希望します。

 このような動きのなかで2018年に法改正したスウェーデンでは、相手が“YES”と言っている場合でない限り(性行動の自発的関与)性行為を行うことはレイプであると規定しています。“YES Means YES”、つまりYESかNOか不明な場合、YESではないのであるから有罪になるというのです。時代はここまで変わってきたのですね。素晴らしいことです。

 

 言うまでもなく性的行為が行われる時、その場にいるのはまず当事者だけ、2人だけです。またその時に、2人の間に同意があったかなかったか、どのように誰が判定するのでしょうか。それは当事者以外にありません。

 ということはこれから後、性行為に臨む2人としてどのような表現で誘いかけ同意を求めるのか、それに対してどのように応答するのか、誤解のない応答の仕方、あるいは同意を得られない場合それを尊重し退くことの重要性、性器も含め性に関することを言葉として表現し、行動できるという教育課題が課せられていくことは必至です。

 性教育にかかわる1人としてこのことを肝に銘じておかなければなりません。そしてみなさん1人ひとり考えていくことが大切だと思います。自分ごととして。

※1 侵襲 侵入し襲うこと。

※2 紊乱 秩序、道徳が乱れること。
 戦後の新憲法のもとで撤廃されたが戦前まであった姦通罪では夫以外の男性と性交した女性だけ処罰し、男性は相手の女性に夫がいなければ免罪されました。夫の血統外の子の出産を禁じるための差別的な法律であった。

※3 #Me Too運動など。

※4 父親からの性的虐待、暴行を受けていた女性をめぐる裁判で2019年に無罪判決が相次いで出された。この事件などをきっかけに女性の怒りが全国に広がった。こうした動きが刑法再改正の声と響き合った。『なぜ、それが無罪なのか!?』(伊藤和子著、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)参照

続きは本書でお楽しみください。