残酷で耽美な作品を愛した女性の思考を覗く……単調な日常から抜け出したい人への日記本

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/18

 誰かの日記を読むのが好きだ。

 日記を読みたくなるときの気分はきまって、誰かの日常に触れて安心したいときだ。人の数だけ生活があり、喜びがあり、葛藤がある。そうして人の生活や頭の中を覗かせてもらうことで安心する。ひどい不眠症の人が人の寝息を聞くと眠れるように、人や生活の気配を感じることが安心につながるのは、想像しやすいかもしれない。

 だから、私にとって、日記とは安心するための読み物だった。少なくとも、不安を覚えたり、刺激を受けたりするために読むものではないと思っていた。二階堂奥歯の『八本脚の蝶』(河出書房新社)を手に取るまでは、の話だけれど。

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Ikeda Akuri

『八本脚の蝶』は、25歳のときに自ら命を絶った編集者の二階堂奥歯が亡くなる直前までサイト上で更新した2001年から2003年までの日記のほか、作家や恋人など生前に親しかった13人の文章を収録した本だ。

八本脚の蝶
『八本脚の蝶』(二階堂奥歯/河出書房新社)

 この日記には生活感がまるでなく、総じて刺激的だ。著者が最後に自死することがわかっているから、というつまらない理由からではない。文庫本にして500ページ超にもなる文章に敷き詰められている、買ったもの、買おうかどうか迷っているもの、読んだ本や観た展示で感じたことと、それを裏付ける熱量の高さが、だ。

 奇妙な形をしたカンブリア紀の生き物・アノマロカリスの模型を買うか買うまいか悩み、アルビオンのエクサージュホワイトのサンプルで顔がかぶれて「あ―――ん、ショック――――!」と書かれたかと思えば、「純愛ゾンビスプラッタ映画」である『ステーシー』を観て泣き、マンディアルグの「ダイヤモンド」を下敷きにした、澁澤龍彦の『犬狼都市』について「ダイヤモンド」と対比した所感を淡々と述べる。

「展示に行った」「本を読んだ」という日常的な語りから、文中で紹介されている作品世界に一気に引き込まれるようで、日記の体裁をした作品・ブックガイドのようにも読める。彼女の趣味嗜好の広さと見識の深さ、何よりも彼女自身の多面性に魅せられて、その輪郭得たさにページをどんどん手繰ってしまう。

 好きなものや作品への圧倒されるほどの熱量の源は何なのだろう。そう思いながら、読んでいくとこんな言葉に遭遇する。

生を呪うのは裏切られた者だけで、そして裏切られるのは信じていた者だけなのだ。生自体には根拠も目的もないということを自明のものとした上で、「あー! 〇〇ほしい!」「××したい」という小さな(長いスパンのものも、短いスパンのものもある)欲望に引っ張られて私は日々をすごしている。(それらは「〇〇を手に入れるまでは生きていよう」「××するまでは生きていよう」ということと同義だ)
※2002年1月14日(月)より

 彼女にとって、「読みたい」「知りたい」「手に入れたい」という欲望こそ、生きる糧だったのかもしれない。そう思うと、ヴィヴィアン・ウエストウッドについての嬉々とした語りや、模型が絶版になって買いそびれてしまった落胆も、唐突に重みを増してくる。

 奥行きの知れない教養を総動員して語る本への所感・批評は、どれも幻想世界への巧みな誘いのようだったけれど、女性の人権が踏みにじられるような描かれ方をする作品について語るときには、とりわけ「人間味」が感じられた。

道具になりたい。特権的な容器となって、自我を手放し全一性の光の中に溶けてしまいたい。でもそれでいいの!? いつもすぐさま自分を問い詰めてしまう。(中略)私が男性だったら、主体を失い、他者として物体化されることに無邪気に憧れることができただろう。しかし、女性にとって、それは否応なしに与えられたジェンダーを受諾し徹底することとあまりに似すぎている。
※2001年9月20日(木)の日記より

表参道のナディッフへ「会田誠展 食用人造少女・美味ちゃん」を見に行く。(中略)彼女らは痛覚も死の恐怖も持たず、食べられ喜ばれることになによりの幸福を感じるそうです。勿論ひっかかるんですよ。たくさん。でも好きなの、こういうの。
※2001年7月27日(金)の日記より

 自分を被虐的な物語になぞらえることを好みながら、たとえ愛する作品であっても、女性の人権の蹂躙に対しては慎重になる。その熱量と厳しさを目の当たりにしたとき、彼女の輪郭が色濃くなった気がして、もっと彼女を知りたくて、終わりが近づくことを惜しむのも忘れて、ページを手繰り続けてしまうのだった。

 本書を手に取るとき、まるで水の中にいるように、重力と音がなくなったような不思議な感覚に陥る。ささくれ立った、あるいは単調な日常をぱたりと閉じるとき、本の向こう側にまた別の世界が広がっている。

 人の日常に触れて安心を得るタイプの日記しか知らなかった。けれど、日常を遮断して別世界に誘うことで癒してくれる日記もあるのだと、私は本書に教えてもらった。

文=佐々木ののか、バナー・イラスト=Ikeda Akuri

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka

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