私はおばあちゃんが、嫌いで大好きで疎ましくて恋しいんだ(皐月・京都)③/月曜日の抹茶カフェ

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/1

川沿いの桜並木のそばに佇む喫茶店「マーブル・カフェ」。ある定休日の月曜日、1度だけ、京都の茶問屋のひとり息子によって 「抹茶カフェ」が開かれる……一杯の抹茶から始まる、東京と京都をつなぐ12ヵ月の心癒やされるストーリーが試し読みに登場! 祖母の物言いに思わずかっとなって言い返してしまった光都。部屋にこもってやるせなさに涙をこぼした彼女だったが……。

『月曜日の抹茶カフェ』を最初から読む


月曜日の抹茶カフェ
『月曜日の抹茶カフェ』(青山美智子/宝島社)

 部屋にこもってから二時間ばかり経って、喉が渇いたのでそっと台所に行った。居間におばあちゃんの姿はない。雪乃さんがすでに夕飯の仕込みをしていた。私は雪乃さんの隣に立つ。

「ごめん、やらせっぱなしで」

「いいのいいの。下ごしらえ、もう終わるから。枇杷、食べる?」

 千葉の実家から送られてきたのだという。私が答える前に冷蔵庫から枇杷のパックを取り出し、ざるに実をあけてさっと洗った。私はもう一度、居間を確認してから訊ねる。

「…………おばあちゃんは?」

「部屋でちょっと寝るって」

 やっぱり、どこか悪いんだろうか。私があんなこと言ったせいで、悪化したのかもしれない。

 もし。もしおばあちゃんが、病気だったら。心臓がドクドクと早打ちした。私は思い切って雪乃さんに切り出す。

「あの……おばあちゃん、もしかして体調がよくない、とか?」

 雪乃さんが、ぷ、とこらえきれなくなったように笑った。

 きょとんとしていると、雪乃さんは枇杷をお皿に載せながら言う。

「ごめんごめん、笑ったりして。心配いらないわよ、珍しくお昼寝してるだけ。健康診断もばっちり優秀で、骨密度年齢なんて二十歳も若いんだから。もう、健康体そのものよ」

 雪乃さんは食卓に座った。私もそれに倣って向かい合う。彼女は枇杷をひとつ手に取ると、器用な手つきでするすると皮を剝き始めた。

「タヅさんね、今日光都ちゃんが来るから、嬉しくて嬉しくて昨夜一睡もできなかったんだって。今朝だって何度も時計ばっかり見て、新幹線は予定通り走ってるかJRに確認の電話かけたり、家の外でちょっとでも物音がすると光都ちゃんじゃないかって窓からのぞいたりしてね。昼ごはんだって、何にしようかタヅさんがさんざん考えた献立よ」

 それは私もうすうす気づいていた。私の好物ばかりだったこと。あの執念ともいえる錦糸卵の細さは、おばあちゃんの手によるものだということ。きれいに皮の剥けた実を、雪乃さんは私のほうに差し出す。

「なのに、光都ちゃんが来たらあんなツンツンした態度とって。私、もうおかしくて」

 私は枇杷を受け取る。みずみずしいその果肉は、口に含むと優しくて甘くて、さっぱりした酸味も感じられた。雪乃さんみたいだな、とぼんやり思う。

「タヅさん、かわいいひとよ。いつも光都ちゃんの話ばっかり」

「どうせ、悪口しか言わないでしょ」

 照れ隠しもあって、私はそう答えた。雪乃さんはちょっと首を傾ける。

「悪口っていうか。タヅさんって、自分にとって魅力のない人の話はしないのよ。大好きか、どうでもいいか、どっちかなの」

 私は顔を上げる。雪乃さんはふっくら笑った。

「毎日夕方になるとタヅさん、テレビで全国の天気予報を見ててね。東京は雨だねとか、寒くないかねとか、つぶやいてるの。首都圏の地震速報なんて出ようものなら、それが震度2でも1でも、絶対安心だってわかるまで部屋をうろうろしてるのよ。光都ちゃん本人に訊けばいいのにね」

 そんなおばあちゃんの姿、想像もできなかった。

 さっきとは違う温度の涙が、食卓の上にぼとぼと落ちる。

 私はおばあちゃんが……おばあちゃんが、嫌い、大好き、疎ましい、恋しい、背を向けたい、甘えたい。ぐちゃぐちゃだ、いつも。どうしようもない。

 整理のつかない矛盾を抱えながら、苦しくて、離れたくて。

 その一方で、すごくすごく心配で、元気でいてほしくて。

 

 星になったよだかは、今はもう、ただ静かに燃えている。平安のうちに。

 だけど私は星じゃない。生きてる。この地の上で。

 だから誰かの言動に傷ついてしまうし、同じように誰かを傷つけてしまう。

 でも、自分の力で必死に生きてたら、少しだけでもみんなを照らすことができるかな。それが私を「大丈夫」にしてくれるんじゃないかな。

 

 またひとつ、きれいに皮を剥いた枇杷の実を、雪乃さんが私に向けた。私は小さく首を振る。

「自分で剥いてみる。ありがとう」

 雪乃さんはにっこりとうなずき、手に持った実にかぷりと歯を当てた。

 

 自分の部屋に戻ろうとして、入り口で私は足を止めた。

 半分開いたドアから、おばあちゃんの後ろ姿が見える。

 おばあちゃんは、紙芝居を手に取っていた。『風の又三郎』。ちょっとだけほほえんで、そのタイトルを愛おしそうに、そっとなでている。

 宮沢賢治の作品は、ひとクセのある登場人物ばっかりだ。弱さも醜さも愚かさも抱えた彼らの姿は、きれいごとがなくてなまなましい。

 不条理でどこかさびしくて、でも清らかで豊かな自然の理。恵みを受けながら畏れながら、自分ではどうしようもできない感情と対峙する。そんな宮沢賢治の世界に、私は惹かれてやまないのだ。

 おばあちゃんの背中を見ていたら、なんだか笑みがこぼれた。そしてひとつ息を吸い、私はドアを勢いよく全開させる。

「おばあちゃん、また勝手に私の部屋に入って! 断りもなく私のものに触らないでよ」

 おばあちゃんがギクリとこちらを向き、紙芝居からさっと手を離した。

「触ってへん。見てただけやで」

「うそばっか」

 そうだ、こんなふうに、もっと言いたいことを言えばよかったんだ。ケンカすればよかったんだ。黙って秘めないで。小ばかにされてるなんて勝手に卑屈になったりしないで。

 私はおばあちゃんをベッドの上に座るよう促す。怪訝な顔をしながらも、おばあちゃんは素直に腰を下ろした。

 私はベッドの向かいに置かれたカラーボックスの上の小物をデスクに移動させた。紙芝居フレームをその上に載せて、舞台を作る。

 

 おばあちゃん、私、大きくなったよ。

 もう泣き虫の小さな女の子じゃないよ。

 自分で働いたお金で、家賃も食費も光熱費も払ってるよ。仕事がうまくいかなくて落ち込んだり、手痛い恋をしたり、だけどちゃんと立ち直ったよ。

 ゴキブリのしとめ方や、里芋の炊いたんの美味しい作り方や、不安で押しつぶされそうなひとりの夜の乗り越え方だって身につけたよ。だから。

 

「見ててよ」

 

 私は何にでもなれる。どこへでも行ける。蟹になって沢でささやき、象になって仲間を助け、鳥になって空を飛び、馬になって大地を駆ける。

 

 拍子木を鳴らす。カチカチ、カチカチ。

 

「風の又三郎、はじまりはじまりーっ」

 

 どっどど どどうど どどうど どどう、

 青いくるみも吹きとばせ

 すっぱいかりんもふきとばせ

 

 おばあちゃんは幼い女の子みたいにちょこんと座って、紙芝居に魅入っている。

 その目は潤んで光って見えた。真っ暗な夜空で静かに輝く、小さな星みたいに。

 

 どっどど どどうど どどうど どどう

 

 私は声を張り上げ、おばあちゃんを物語の中に連れていく。

 嵐の日に現れた、風変わりな少年になって。

<続きは本書でお楽しみください>

あわせて読みたい