知らないことは怖いこと。映画『アイアン・ジャイアント』/ReoNa「あにめにっき」

アニメ

公開日:2022/4/22

『ソードアート・オンライン』シリーズなど、数々のアニメ作品の主題歌で印象的な楽曲を届けている「絶望系アニソンシンガー」ReoNaさん。彼女の表現の根底には、自身を救い支えてくれた、アニメへの深い感謝と熱意があります。同時に、関わり触れ合った周囲の人に広く愛されるのも、彼女の魅力。クリエイター、アーティスト、メディア――さまざまなジャンルから「ReoNaに観てほしいアニメ」をレコメンドしてもらい、ReoNaがレビューする「あにめにっき」、スタートです!

ReoNa「あにめにっき」

ダ・ヴィンチWebをご覧のみなさん、こんにちは。
絶望系アニソンシンガー・ReoNaです。

 ReoNaの「あにめにっき」では、作品や楽曲でご一緒させていただいた方、普段お世話になっている方からレコメンドしていただいたアニメ作品を観て、受け取った想いを綴ります。
 第3回にお届けするのは、『ソードアート・オンライン』でご一緒させていただいている小説家・川原 礫先生がオススメの、映画『アイアン・ジャイアント』です。

 

レコメンダー川原 礫 推薦コメント

 私はこの作品を公開当時に劇場で観たのですが、あの頃はまだSNS的なサービスが存在していなかったにもかかわらず、周囲の友人知人の間でバズりのような現象が起きたことを憶えています。たぶん「いいアニメ」の枠を超えた何かをみんな感じたんじゃないかと思うんですよね。もう二十年以上も昔の作品ですが、ReoNaさんがお歌で表現されている世界観とどこか共鳴するものがある気がして、この『アイアン・ジャイアント』を推薦させて頂きました。

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知らないことは、大抵怖い。
知らない人、知らない街、知らない言葉。
そんな、知らないことだらけの世界に急に落とされた彼は
この世界が怖くは無かっただろうか。

温かみのある、どこか懐かしいタッチで描かれるアニメーション映画、ブラッド・バード監督の『アイアン・ジャイアント』
遠い宇宙から、突如として田舎町に落下してきた巨大なロボット。
そしてそれを発見した、少し夢見がちな少年の物語。

最初は善悪も、言葉もわからない。
ただ空腹のままにそこら中の鉄を貪って、そしてそのあまりの巨大さに恐怖すら感じるロボット。
だけれど少年・ホーガースと時を過ごすにつれて、「良いこと・悪いこと」や、「言葉」を覚えてゆく。
レトロな作画の中に、ポツンと異形の大きな大きな存在。
無機物な鉄の塊のはずの彼が、少しずつ表情や感情表現を覚えるうちに、1人の無垢な子どものように見えてきたり。
何度かかわいいな、とすら感じるシーンもありました。
大人になると「怖い」が先立って触れられなくなってしまうものや、
描けなくなってしまう理想も、子どもの柔らかい心だからこそ素直に表せる。
あの巨人が最初に触れた人間が、「相手を理解しようと思う心」がとっても強いホーガースでよかったな、と思います。

そして鉄の巨人・ホーガースの友情を温かく見守ろうとする大人、ディーン。
最初はかなり懐疑的だった彼も、時間が経つにつれ、徐々に巨人を受け入れていきます。
ただ、融通の効かない大人たちはどうしたっているもので。
巨人を受け入れられない、「兵器に違いない」と決めつけて止まないお役人は、血眼になって巨人の居場所を探し始めます。
ようやく心を交わし始めた少年たちに立ち塞がる、大きな壁。
理解しようとしない人たちの恐ろしさ…。

ヒーローになるのも、悪役になるのも、自分の選択次第。
90分間のシンプルなストーリーだからこそ、この作品で切り取りたかったもの、伝えたかったことがまっすぐに受け取れたような気がします。
彼らの築いていった友情は、間違いなくあの街の運命を大きく変えていって。
最初は鉄塔や木を引きちぎっていた指も、少年を守るためのものになって。
簡単な言葉すら話せなかった口も、想いを伝えられるようになって。
クライマックスシーンで巨人の選んだ言葉も、行動も、全部がそれまでの積み重ねで。
切なくて温かくて。
まさかこの物語を観始めた頃の私は、最後自分が泣いているとは想像もしていませんでした。

嵐の夜から始まる、少し不思議な友情物語。
「なりたいものになれる」わたしたちに。
ぜひ、観ていただきたい作品です。

【レコメンドして下さった川原 礫先生へ】

川原 礫先生にいただいたレコメンドでこの作品を目にしたとき、記憶の奥底に眠っていた一冊の本を思い出しました。
テッド・ヒューズ(著)・神宮輝夫(訳)『アイアン・マン-鉄の巨人-』
突如として村に現れて、鉄を貪る巨大なロボット。
小さい頃、何度も何度も読んだ本でした。
当時の私はまだ幼くて、映像化されていることも知らなくて。
紙の上に並んだ文字から、その巨人の様子や少年の表情を目一杯想像していた作品。
今回ご紹介した『アイアン・ジャイアント』の元となった一冊でした。
それが時を経て大人になって、アニメーションとして観られる。
なんだか巡り合わせのようなものを強く感じました。
当時読んだ物語とは、結末も、そこに至るまでのストーリーも全く違っていて。
今、この作品を観終えて感じるのは、「知らないこと」より「知ろうとしないこと」の方がよっぽど怖いのだな、ということでした。
大人になるにつれて、どうしたって未知のものは避けようとしてしまう。
知っている言葉を使って、知っている道を通って、知っているものを食べる。
無意識の中で「大丈夫」だとわかっているものの中で自分を創っていく。
そこの中には、小さい頃は捕まえられた名前も知らない虫や
小さい頃は仲良くなれた、公園で出会う名前も知らない誰かは居なくって。
時折、昔より私にとっての「世界」って、広くなったのか狭くなったのかわからなくなってしまう。
私には、「鉄の巨人」のように、無理やり世界を広げてくれる存在は空から降ってきたりしないかもしれないけれど。
いつだって何かと出会える心の柔らかさは持っていたい。と改めて感じさせてくれる物語でした。
大人になった今だからこそ、受け取りたい一作。
川原 礫先生、素敵な作品との再会をありがとうございました。

<第4回に続く>

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