大人になってもいじめのトラウマが消えない。僕のいじめに対する考えは…【いじめを消化する】/ナダル『いい人でいる必要なんてない』

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/21

 人に気を遣いすぎて疲れしてしまう、思ったことをなかなか言えない…。そんな「人間関係」で悩んでいる方も多いのではないでしょうか。

 今回は、人気お笑いコンビ、コロコロチキチキペッパーズ・ナダルさん初の著書『いい人でいる必要なんてない』をご紹介します。

 バラエティー番組に引っ張りだこのナダルさん。本音で生きる彼の姿の裏には、幼少期のいじめ体験や劣等生だった養成所時代など、数多の苦悩や葛藤がありました。そんな経験から「自分を犠牲にしてまで、いい人でいる必要はない」と導き出したナダル流の「本音で生きる術」をまとめました。今最もストレスフリーな男の生き方を綴るエッセイです。

※本作品はナダル著の『いい人でいる必要なんてない』から一部抜粋・編集しました

いい人でいる必要なんてない
『いい人でいる必要なんてない』(ナダル/KADOKAWA)

いじめを消化する

 ここまでいじめの話や、自分なりの変化を書いてきた。文章にしてしまうとあまりにもあっさりとしていて、「もうナダルは前に進んでいるんだね、良かったね」と思うかもしれない。

 その実、僕は芸人という仕事をしているから、今までずっと自分のいじめ体験を笑い話のように扱ってきた。いじめられていたことを真面目に話して「かわいそう」と思われてしまったら、僕を見た人は笑ってくれなくなるだろう。それは芸人のあるべき姿ではないと本能的に思ってしまうからどうしても避けてしまっていた。

 だけど、本当は今でもいじめられていた時のことを思い出すと、言葉に詰まってしまう。

 この本を作る時の事前取材でも、言葉が上手く出てこなくなって「……あ~なんて言ったらいいんですかね」とうわごとのように繰り返していた気がする。いじめられていた当時と比べれば今のほうがずっと幸せで、心がすりつぶされて原形がなくなってしまうような恐怖は感じない。昔のことも今まで取材されてきた内容をテンプレートのように語れる。でも、心の端っこのほうに暗くて目を背けたくなるような記憶があるのも事実だ。

 いじめを克服できたのかと聞かれたら、僕はやっぱり黙ってしまう。僕には分からないからだ。どうしたらいじめを克服したことになるのだろう。明るく昔のことを話せるようになったらだろうか。それとも、今の状態を克服したと言うのだろうか。いじめのことを話す時に息苦しい思いをするたびに、僕はまだあの頃に囚われているような気がする。

 なぜいじめは起きるのか。何度か考えたことがある。今から書くことは僕の意見で、それが正しいというわけではないのでそのつもりで読んでほしい。僕は、学校でいじめが起こるのは当たり前だと思っている。

 人をいじめる人は家庭環境が荒れていたり、罪を犯してしまう人の家庭は意思の疎通ができていなかったりすることが多いらしい。それは、僕をいじめていた人にも当てはまるのかもしれない。学校で起こることは、すべて学校が原因のように見えてしまうけど、家庭環境も大きく影響しているのは忘れてはいけない。

 子どもはそもそも言葉を選ばないし、まだ人の気持ちを考えられるまで成長していない。未熟な状態の人間を学校という同じ箱に入れれば、衝突も起きるし傷も付く。だから、僕は最初に「いじめはダメよ」と教えるべきは親であってほしいと思うし、自分の子どもには教えたいと思っている。

 いじめについての教育、というと難しく聞こえしまうかもしれない。しかし、物事の良し悪しを教えてあげるなら、きっと普段からどの家庭でもしていることだと思う。人が嫌がっていることはしてはいけないんだよ、人を傷つけたら謝るんだよ。そんなこと……と思うかもしれないが、善悪の判断ができないまま学校に通いはじめてしまったら、他人のことも自分のことも大事にできない人間になってしまうかもしれない。いじめの教育とまでいかなくても、まわりからどんなふうに見られてしまうのかを教えるのは親のできることだと僕は思う。

 いじめは子どもの問題だけではなくて、今を生きる親世代の問題でもある。いじめをした当人はもちろん悪いかもしれないけど、そう単純な話でもないと当事者の僕は思うのだった。

<第7回に続く>


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