「『魔女の宅急便』の著者が、自身の戦争体験から描いた9歳の少女の物語。――『トンネルの森 1945』角野栄子 文庫巻末解説【解説:小川洋子】

文芸・カルチャー

更新日:2024/1/30

「兵隊さーん」そこでイコが目にしたものは……。
『トンネルの森 1945』角野栄子

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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トンネルの森 1945』著者:角野栄子

『トンネルの森 1945』文庫巻末解説

焦らなくてもいいんだよ

解説
がわ よう(作家)

『トンネルの森 1945』。このタイトルを見た時、無意識のうちに、1962から1945を引き算していた。答えは17。
 ああ、そうか、自分が生まれた時、終戦後、まだ17年しか経っていなかったのか、と改めて気づかされた。17年と言えば、平成の時代の半分ほどである。あっという間じゃないか、と自分でも驚いてしまった。
 しかし、幼い頃の実感として、戦争は既に遠い時代の出来事だった。確かに、空襲で岡山城が燃え落ちる様子を祖母が話したり、育ち盛りに豚の脂身が一番のごそうだった経験を持つ父が、私と弟の食べ残すそれをいつも全部平らげていたり、そんな場面に戦争の気配は感じていた。ただ、自分にとっての現実は、空襲とも空腹とも無縁であり、それらは上の世代の人たちの記憶に過ぎず、切実に考えたことはなかった。
 もし私がもっと賢く、感受性の豊かな子どもだったら(たとえばイコのように)、身近に刻まれた戦争のこんせきを、敏感に受け止めていたかもしれない。当然ながら、数字の上で、1945年は遠ざかってゆくばかりだ。今の子どもたちが、直接戦争を体験した人に接する機会は、ほとんどないだろう。
 そこで大事な役目を果たすのが、本である。決して忘れ去られてはならない記憶を、時の流れの中、物語は辛抱強く伝え続けてくれる。おかげで私たちは、自分が生まれる以前の時間にさかのぼり、そこに生きる人々と同じ風景に身を置くことができる。彼らと心を通わせることさえできる。
 燃える岡山城と豚の脂身という現実が、本当の意味で私の意識に根付くためにも、やはり本が必要だった。いしもも『ノンちゃん雲に乗る』、まつたにみよ『ふたりのイーダ』、ハンス・ペーター・リヒター『あのころはフリードリヒがいた』、つぼさかえ二十四のひとみ』、そして『アンネの日記』。こうした数々の本のおかげで、私は戦争を他人ひとごととして片づけることができなくなった。ノンちゃんもアンネも大事な友だちだった。本を開いている間、彼女たちは架空の人物でもなければ死者でもなく、ページの向こう側にありありと存在していた。
 そんな子どもの頃、イコに出会いたかった。きっとどんな秘密でも打ち明けられる、友だちになれただろう。
 最初に心奪われたのは、出征直前のおとうさんが手に入れてきた、ロシヤの真っ赤なあめをイコが食べる場面だ。お菓子が姿を消しつつあった時代、私なら絶対、夢中になって頰張り、少しでも長い時間、甘みを味わおうとするだろうが、イコはちょっと違う。その甘さに隠された、〝底意地がわるいような、あやしい感じ〟をくみ取る。〝白雪姫のまま母の血の色はこんな色?〟と想像を巡らせる。更には、なかなか溶けないことに我慢できず、無理矢理かみ砕いてあごを痛め、涙を流す。
 飴をなめながら、自分は今、まま母の血を味わっている、と想像する女の子の何と魅惑的なことだろうか。単純な甘さにだまされない、少し屈折した感じが大人びている。普通の子が見過ごすところに、特別な視線を送っている。こんな子の近くにいれば、他の誰も気づかない世界の秘密に触れられるかもしれない。
 このあとイコは、おとうさんに焼きおにぎりを作ってもらう。ロシヤの飴より、おとうさんの焼きおにぎりの方がずっと美味おいしいと思う。おとうさんへの素直な愛情が、おしようの匂いとともにこちらにも伝わってくる。彼女なりのやり方で、戦争へ行ってしまうおとうさんにお別れを告げている。まま母の血と、おとうさんの焼きおにぎり、その両方を、一人の女の子が矛盾なく胸に抱えている。
 やがてイコは、父とも祖母とも離れ、まま母の光子さん、生まれたばかりの弟ヒロシとともに、森に囲まれた古い一軒家で疎開生活を送ることになる。本書のもう一人の主役は、両側から木が覆いかぶさり、トンネルのようになった、庭と森をつなぐ一本の道、と言えるだろう。暗く、ひんやりとし、木の根でごつごつしたこのトンネルを通って、イコは学校へ行かなければならない。
 最初は気味の悪い道でしかなかったトンネルだが、そこを通るたび、イコはさまざまな体験をする。自然が発する音を耳にし、不思議な視線の気配にとらわれ、もし出口がなくなったら、という空想に襲われる。
 しかし決して怖がってばかりのイコではない。森に向かってお辞儀をし、自己紹介をし、歌をうたって少しでも自分の存在を受け入れてもらおうと努める。いつしか、「イコがとおりまーす、イコがとおりまーす、イコがとおりますよー」と、おまじないを口にするようになる。だんだんとイコは森と仲良しになってゆく。
 もちろん、森の外側でもいろいろな出来事が起こる。国民学校では東京の言葉をからかわれ、なかなか友だちができない。同じクラスのカズコは、父親を戦地で亡くし、母親は病に伏せっている。空腹に耐えきれず、人の家の柿を取ろうとして罪悪感にさいなまれる。おとうさんが恋しくなり、家出を決意する。東京が空襲で焼かれる。
 しかし、イコはめそめそなどしない。いや、そうしたくてもできないのだ。まま母光子さんと、小さな弟だけの暮らしの中では、いつも自分一人で、自分の涙を受け止めるしかない。特に、光子さんとの関係はややこしい。光子さんだって別に悪人ではない。天涯孤独の身で子どものいる人と結婚したかと思ったら、夫はすぐに出征してしまう。なさぬ仲の娘と実の子を抱え、見知らぬ土地で懸命にがんばっている。
 お米に換えるため、死んだおかあさんに買ってもらったれいな着物を、光子さんが手放す決心をする場面がある。イコは心の中でつぶやく。〝そうですか、よかったですね、優しいおかあさんがいて〟
 イコの口調にどことなくユーモアがあるので救われる。本音をぶつけたら、決定的に何かが崩れてしまうということに、利発なイコはちゃんと気づいている。
 光子さんとイコは、産みのおかあさんを亡くした者同士、同じ種類の悲しみを知る間柄なのだ。だからたとえ、すれ違いに傷ついたとしても、大丈夫。時が経てば、きっとかけがえのない関係を築けるはずだ。一生懸命戦争のさなかを生き抜こうとしている二人に、そう声をかけたくなった。
 戦争は、子ども時代を否応なく奪う。子どもを残酷な速度で大人に成長させようとする。本当なら生まれ育った東京の下町で、家族に囲まれ、もっと無邪気な毎日を送れたはずのイコも、時代の荒波に巻き込まれてゆく。必要以上の緊張感の中、少女から大人へと急速な背伸びを強いられる。
 そんなイコを、焦らなくてもいいんだよ、という声にならない声で包むのが、トンネルの森だ。最初、トンネルは未来へ続く道の象徴だろうか、と思った。けれど単にそれだけではなかった。むしろ、逆の役割を持っている気がした。光の出口を指し示しながらも、ただそこへ導くためだけの通路ではない。もっと大事なのは、トンネルの途中で立ち止まることなのだ。
 そこでは時が遮断されている。急ぐ必要はない。木々のざわめきに包まれながら、大事な人のことを、ゆっくり願えばいい。トンネルの森はいつまででもイコを守ってくれる。最初は単に恐ろしいだけだったトンネルが、生命力を持った安らぎの存在である、と気づけたことが、イコにとっての一番の成長の証になった。
 最後に、若い人々に命を分けるようにして亡くなったおばあさん、タカさんのために祈りたい。タカさんがこしらえたお人形と、のこしたボタンの缶は、必ずやイコの生涯に寄り添い続けることだろう。

作品紹介・あらすじ

トンネルの森 1945
著 者: 角野栄子 カバーイラスト:片山若子
発売日:2023年11月24日

「『魔女の宅急便』の著者が、自身の戦争体験から描いた9歳の少女の物語。
太平洋戦争さなか、幼くして母を亡くしたイコは父の再婚相手になじめぬまま、生まれたばかりの弟と三人で小さな村に疎開することに。家のそばにある暗く大きな森がトンネルのようで怖くてたまらなかった。同級生たちはあの森に脱走兵が逃げ込み自殺したのだ、と噂をしていた。ある夜、森の奥からハーモニカの細い音色が流れてくる。数日後、沼で失くしたイコの下駄が森の出口に置かれていた。「あり・が・とう」イコはちいさく呟いた。戦争は激化し、東京大空襲で半死半生の父が見つかる。不安に押しつぶされそうになったイコは森に入る。「兵隊さーん」そこでイコが目にしたものは……。「「魔女の宅急便」の著者が描く少女の戦争。(解説:小川 洋子)

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