ラスト、世界が反転するせつないミステリ――『僕の神さま』芦沢央 文庫巻末解説【解説:吉田伸子】

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/26

小学校で広がった、少女の死の噂話。その真相とは――
『僕の神さま』芦沢 央

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

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『僕の神さま』文庫巻末解説

解説
よし のぶ(書評家)

 2020年8月、本書の元版が刊行された時、帯コピーの秀逸さにうなったことを今でも覚えている。

「あなたは後悔するかもしれない。第一話で読むのをやめればよかった、と。」

 このコピーを考えた編集者はすごい! こんなコピーを目にして、素通りできる活字中毒者がいようか。この本を手に取らないでいられる読書好きがいようか。否。かつて編集者として、本の帯コピーを悩みに悩んで考えていた身にとっては、せんぼうを覚えるほどのものだった。
 こんなコピーは、本の中身に絶対の自信がなければ書けるものではない。そして、何よりも凄いのは、実際に本書を読んだ読者が、こう思うことだ。買って良かった、と。読んで良かった、と。
 前置きはこれぐらいにして、肝心の本書の内容に移る。本書は四話+エピローグからなる連作集だ。春に始まり、季節を一巡りして、春で終わる。物語の語り手は、小学五年生の「僕」だ。
 第一話は、桜の塩漬けの瓶を「僕」が落としてしまう場面から始まる。それは前年の夏に心臓発作で急逝した祖母が、祖父のために作り置いていたものだった。毎年、桜茶を飲むのを楽しみにしていた祖父。どうしよう、とうろたえる「僕」の頭に浮かんだのは、みんなから「神さま」と呼ばれているみずたにくんだった。
 そもそも「僕」は、水谷くんと見つけた捨て猫に牛乳をあげようと、祖父の家に取りに行ったのだ。水谷くんは捨て猫と一緒に「僕」を待っている。さぁ、ここから、「神さま」水谷くんが、どうやって“ダメになった桜の塩漬け問題”を解決していくのか。
 あしざわさんが凄いのは、こんな短い物語の中に、ちゃんと「謎」と「謎解き」を盛り込んで、きっちりとミステリにしているところだ。それも、思わず、あ! と思ってしまうような。
 以降の話でも、真ん中にあるのは「謎」で、「謎解き」をするのは水谷くんなのだが、「僕」が祖父を思いる気持ちに、ほんわりとしたぬくもりを感じていると、第二話ではいきなりヘビーな展開が待ち受けている。「僕」と水谷くんの同級生であるかわかみさんという女子の登場で、一気に物語の重みが増すのだ。
 第二話で描かれるのは、「神さま」である水谷くんの“限界”だ。「やまさんのリコーダーがなくなったときも、クラスで飼っていたハムスターがかごから逃げ出してしまったときも、学芸会のためにみんなで作った幕が汚されていたときも」、「真相を推理して解決してきた」水谷くんでさえ、力が及ばないことが描かれる。
 なら、いくら洞察力に優れた水谷くんといえど、彼はまだ小学五年生なのだ。社会的には子どもであり、そして子どもの力が及ばないことは、沢山ある。「僕」が気づけなかった川上さんの苦しみを見抜き、そしてその原因に一時的に対処する方法を考えつくことはできても、根本的に原因を取り除くことは、子どもである水谷くんには無理なのだ。
 水谷くんが解決できない現実が描かれた第二話に続く第三話では、再び水谷くんの「神さま」ぶりが描かれ、第二話のヘビーさが和らいだのも束の間、ラスト、転校してしまった川上さんのその後が明らかになることで、読者はまた重いものを受け取ることに。この、第一話、第二話から第三話へ至る流れの巧みさたるや!
 第四話は、その第三話のラストを受けた話になっているのだが、ここで、ようやく本書のぜんぼうが見えて来る。本書の核にあるのは、「僕」と水谷くんの関係の変化であり、「僕」の精神的な成長の過程なのだ、と。
 それまでは、ただただ「神さま」水谷くんの凄さに感動していた「僕」。それは“傍観者”としてのものだった。けれど、この第四話で、「僕」は初めて主体的に動く。もちろん、そんな「僕」のことは、水谷くんはすっかりお見通しなのだが、ここで重要なことは、「僕」がこれまで絶対視していた、水谷くん=神さまという図式が、揺らぐことだ。第一話から第三話まで、少しずつコップのふちから盛り上がっていた水が、第四話にきて、とうとうこぼれ落ちる。その瞬間が鮮やかに描かれている。
 この流れからのエピローグは、第一話から一年後の春だ。ここで描かれるのは、三学期の終わりに転校していった隣のクラスの女子から持ちかけられた相談──四歳の弟が行方不明になっている──を鮮やかに解決する水谷くんだ。水谷くんは第一話から一貫して水谷くんで、今回もそのまま終わるかと思いきや、さにあらず。ここに来て、芦沢さんは「僕」と水谷くんを、きっちりと向き合わせるのだ。読んでいて、うわ、と思わず声が出そうになる。
 それまでさりげなく描かれていた「僕」のキャラが、ここでぐっと意味を持つ。「僕」は心の優しい男子ではあるけれど、はっきり言ってしまえば「陰キャ」なのだ。みんなから「神さま」と呼ばれ、常に頼りにされている水谷くんとは、まず立ち位置が違う。そもそも、小学五年生の男子で運動が苦手というのは、これはもうそれだけで大きなハンデだ。あと、微妙に計算高いこと。それは、第三話で「僕」が自身のことを、「結局のところ、僕は強い子に認められたいのだ。力がある子に仲間として扱われたい」と自己分析していることからもわかる。
 そんな「僕」がどうして水谷くんと一緒に行動しているのかといえば、水谷くんが「僕」を拒まない──おそらく水谷くんは誰のことも拒まない──からだし、水谷くんから離れてしまうことは、「ぼっち」になってしまうことでもあるからだ。
 もうね、このエピローグが刺さる、刺さる。「僕」に向けられた水谷くんの言葉は、大人の私たちにも、ぐさぐさくる。

「殺したりなんかしたくなかったから、たくさん殺すことになったんだ」

 これは、ナチスについて水谷くんが語った言葉だ。この言葉は、こんなふうに続けられる。

「殺したりなんかしたくないのに、命令されて仕方なく殺してしまった人は、その瞬間、後にはもう引けなくなったんだ。死んだ人は決して生き返らない。もう取り返しがつかない。これで、ナチスの考えが間違いだったことになれば、自分は
「間違ったことをしていると思っていたからこそ、罪悪感にさいなまれていたからこそ、それを否定してくれる理屈にしがみついたんだ」

 たとえば、「殺す」を「いじめる」に置き換えてみると、より具体的にイメージできるのでは、と思う。
 水谷くんからこの言葉を向けられて、「僕」は自分を振り返る。そして、自分の弱さを自覚する。そこで初めて気づくのだ。水谷くんの“覚悟”に。今の自分には持ちようのない“覚悟”に。
 このエピローグは切ない。でも、切ないだけではない。自分の弱さを受け入れた「僕」に対して、でも大丈夫、君はまだ子どもなだけなんだから、これからだよ。君は、周りの子よりも強くなったんだから、大丈夫。という作者の声が聞こえてくるように思うのだ。そして、そう思うのは私だけではないはず。そう、本書は優れたミステリであると同時に、「僕」の成長の物語でもあるのだ。そこがいい。そこが本当にいい。
 個人的には、水谷くんがどんな青年になるのかも気になるところだ。大学生になった水谷くんが、ミス研に入部して……などと、私は勝手に妄想を膨らませている。

作品紹介・あらすじ

僕の神さま
著 者:芦沢 央
発売日:2024年02月22日

ラスト、せつなさ迫るミステリ
「知ってる? 川上さん、父親に殺されたらしいよ」僕が通う小学校で広がった、少女の死の噂話。川上さんは父親から虐待を受けていたが、協力を得られないまま転校したと聞いていた。しかも彼女の怨念が図書室の「呪いの本」にこめられたという怪談にまで発展する。日常のさまざまな謎を解決し、僕も「神さま」と尊敬する水谷くんは、噂の真相と呪いの正体に迫るが……。ラスト、世界が反転するせつないミステリ。

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