手に汗握る任侠時代活劇!――『背負い富士』山本一力 文庫巻末解説【解説:髙橋修】

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/24

“清水の次郎長”と呼ばれる伝説の博徒の生き様を描き切った渾身作。
『背負い富士』山本一力

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

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『背負い富士』文庫巻末解説

解説
たかはし おさむ(東京女子大学教授)

 清水しみずのちよう(一八二〇〜九三)と同じ時代を生きた博徒集団の抗争はれつを極めるものであった。試みに彼と対立した甲州博徒の親分衆の場合をみると、その死亡理由の多くは不慮の事態によっていた。博徒間の抗争に伴う殺害、捕縛後の刑死・獄死などが主たる死因であり、死亡した年齢も二〇〜四〇代の事例がよく見られた。まさに「畳の上での大往生」とは無縁の生涯であり、全力疾走で幕末維新という時代の転換期を駆け抜けたのである。それが彼ら博徒達の生き方であった。
 こうした中、明治という新しい時代の中で余生を無事に過ごし、七四歳で天寿を全うした清水次郎長は同時代の博徒と比較しても、特異な存在であった。さらに、当時の博徒の生涯はほとんどが不明であるのに対し、伝記的事実がある程度、判明しているのもである。
 清水次郎長を巡っては、これまでにも数多くの小説・芝居・映画等が創作され、現在でもされ続けている。これが可能となったのは明治一七年(一八八四)に刊行された『東海ゆうきよう伝』のおかげである。同書は次郎長の養子であったあまあん(一八五四〜一九〇四)が関係者に聞き取り調査を行い、伝記としてまとめ上げたものである。これにより、博徒時代の次郎長の生涯を克明に追い、あわせて東海地方を中心とした博徒間抗争の全容を把握することが可能となったのである。
『東海遊俠伝』の表題に掲げられている「遊俠」という語句はその歴史が深い。古代中国の歴史書である、せん(紀元前二世紀頃)著の『史記』に登場する程である。同書では「遊俠列伝」という項目が設けられ、「遊俠」とされる人物を次のように解説する。

遊俠とは、その行為が世の正義と一致しないことはあるが、しかし言ったことはぜったいに守り、なそうとしたことはぜったいにやりとげ、いったんひきうけたことはぜったいに実行し、自分の身を投げうって、他人の苦難のために奔走し、存と亡、死と生の境目をわたったあとでも、おのれの能力におごらず、おのれの徳行を自慢することを恥とする、そういった重んずべきところを有しているものである。

 本書の次郎長はまさに「遊俠」と呼ばれるに相応ふさわしい存在といえよう。また、次郎長のみならず、彼をとりまく人々の動きを追うと、けん抗争に明け暮れた武勇伝の域を超え、ある種の理想化された人間像を描いていると思われるのである。
 儒教の重要な経典の一つである『ちゆうよう』には、「知と仁と勇との三つが、世界じゅうにあまねく通用する徳」であり、それを身に付けることで、人を治め、やがては天下・国家を安定的に統治し得ることが述べられている。
 本書の主要人物はまさに「知・仁・勇」の要素をそれぞれ分有した関係にある。次郎長の軍師・知恵袋的存在であるおときちおおまさは「知(知性)」を担い、震災復興をはじめ様々な社会事業に尽力した次郎長は「仁(思いやりの情)」を担い、どんな不利な状況でも不屈の闘志で戦ういしまつは「勇(強い意志)」を担っている。それぞれの要素が混然となることで彼らの行動そのものが一つの理想性を帯びた人間像として結実しているのである。それ故、石松が惨殺されたことに対し、次郎長が烈火の如く怒るのも当然である。次郎長にとっては「知・仁・勇」の一角である「勇」の要素が取り払われ、理想的な人間像が欠落させられたのも同然だったからである。
 他にも本書で描かれる次郎長像は古くからの儒教的な考えを想起させる部分がある。その始祖 こうの言行録である『論語』は次のとおり記している。

先生が言われた。「一日じゅう腹一ぱいに食べるだけで、何事にも心を働かせない、困ったことだね。博奕ばくちがあるではないか。何もしないより博奕をした方がましだ」

 孔子が弟子達に博奕を奨励している訳だが、これは現代的感覚からすれば違和感を覚えるかもしれない。しかし、当時、博奕とは神意を占う神聖性を帯びる行為に準じたものであった。古代社会の政治の在り様は「まつりごと」と呼ぶとおり、祭政一致であり、超自然的な存在の意向をうかがいながら執り行われた。その手段としてぼくせんをはじめとした呪術的行為があり、これらを基に遊戯的性格を強めたのが博奕であった(増川宏一『賭博の日本史』平凡社、一九八九年・呉智英『現代人の論語』文藝春秋、二〇〇三年)。
 本書に登場する「そらたつへい」は天気予報の達人で、次郎長は彼の才能を生かしながら米相場で成功し、大金を手に入れる。相場情報など当時の流通経済事情をふんだんに盛り込んでいるのも本書の特徴である。それを支えたのは天気を通して未来を見通す能力であり、その意味においても彼らは儒教の思想に近しい。
 かかる視点からすれば、本書の語り部である「吉」の名前も象徴的である。時を正確に刻む機械音を連想させ、晩年の彼の日課は時計の管理であったからである。古来、日本では、天候の具合を読み、そこから暦を定める者が王であり、いわば時間を管理する重要な役割を担っていた(宮田登『日和見』平凡社、一九九二年)。音吉が毎日、時計のぜんまいを巻くのは、清水港の平穏な日常が繰り返され続けることを無意識の中に司っていたともとらえられるのである。
 一方、本書で描写される博徒間のせいさんな私闘については無論、現代社会にあって決して許容されるものでない。しかし、それを認めながらもなお、本書の次郎長をはじめとした人物達は実に魅力的である。そう感じられるのは、右に述べた、東アジアに共通する儒教の理想的な人間像を彼らがよく体現すると共に、古くから日本に伝わる民俗的感性に訴えかけるからに他ならない。
 以上、勢いに任せて堅苦しい事柄を述べてしまった。こうしたことよりも美酒を片手に、随所に挿入される料理のうんちくさかなにしつつ、音吉翁の興趣の尽きない思い出話に耳を傾ける。それこそが本書の極上の楽しみ方であろう。

※引用にあたっては次の書籍を基にしながら、一部、改変を加えた。
 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』五(岩波文庫、一九七五年)
 金谷治訳註『大学・中庸』(岩波文庫、一九九八年)
 金谷治訳註『論語』(岩波文庫、一九六三年)

作品紹介・あらすじ

背負い富士
著 者:山本一力
発売日:2024年02月22日

手に汗握る任侠時代活劇!
船頭の息子に産まれた長五郎は、米穀商である養家が没落したことで、腕一本でのし上がっていくことを決意する。“清水の次郎長”と呼ばれる伝説の博徒の生き様を描き切った、山本一力の渾身作。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322307001280/
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