国民作家・夏目漱石の名著をめぐる、三世代の物語――『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』発売記念! 三上延インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/29

ファン待望の「ビブリア」新シリーズ第4弾が発売になりました。今作では、智恵子、栞子、扉子の三世代が時を超えて夏目漱石の名著の謎に挑みます。時を超えて紐とかれる秘密と真実とは? 著者の三上延さんにキャラクターへの想いやこだわった点などをたっぷりとお聞きしました。

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取材・文:髙倉ゆこ

『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』
三上延インタビュー

日本で一番有名な国民作家・夏目漱石がテーマ

――ファン待望の「ビブリア新シリーズ(扉子シリーズ)」第4弾ですね。かねてより「いつか書きたい」とおっしゃっていた「前日譚」のような手触りがある1冊です。今作では栞子、そして智恵子の過去が明かされていますね。

三上延(以下、三上):当初イメージしていた前日譚とはまったく違ったけれど、やっと書けてホッとしています。ひとりの人間でも過去と現在で違うことを言っていたり、とんでもない言動をする人にもその人なりの理由や歴史があったりすると思う。それを物語の中で描けたら面白いんじゃないか、というのが今作の出発点になりました。
 サブタイトルにもなっていますが、過去と現在を引き継ぐ話です。登場人物たちの過去の考えや行動によって、現在のその人ができあがっていることが伝わるんじゃないかと思います。

――智恵子、栞子、扉子。昭和、平成、令和の時代、高校2年生(17歳になる年)の三者三様の古書にまつわる物語が描かれます。

三上:17歳って、ある程度大人になっていて、できることはそれなりに多い。でも背伸びをして失敗してしまう年頃ですよね。そういう意味で描きやすくていいなと思いました。僕が高2の時は、文芸部に所属していて本ばかり読んでいましたね。僕が台本を書いた芝居を仲間に演じてもらって文化祭で披露したり。あまりパッとしない青春だったけれど、それなりに充実していた気がします。

――今作のテーマとなる作家は、夏目漱石です。なぜ漱石を選ばれたのでしょう。

三上:漱石は日本で一番有名な国民作家のひとりです。第一巻の一話でも『漱石全集・新書版』(岩波書店)をモチーフとして使いましたが、いつか本格的に書きたいと思っていました。デビューから10年以上が経ち、漱石についてかなり調べたし、本も読んできたので、今なら書けるんじゃないかと重い腰を上げたという感じです(笑)。いろんな人が読んで、大事にしている作家である分、ハードルは高かったですね。

――第一話 令和編『鶉籠』(扉子)、第二話 昭和編『道草』(智恵子)、第三話 平成編『吾輩ハ猫デアル』(栞子)です。それぞれの本を選んだ理由は?

三上:『鶉籠』には「坊ちゃん」「二百十日」「草枕」が収録されていますが、「坊っちゃん」が入っていたのが大きいですね。漱石の導入として欠かせない作品だと思うので。それで最初は『鶉籠』にしようと決めました。

『道草』は漱石が完結させた最後の長編です。かなり陰鬱な話ですし、他のものと毛色が違うところに惹かれました。智恵子が読む作品だと考えたとき、彼女の雰囲気と合っているんじゃないか、と。

『吾輩ハ猫デアル』は漱石の原点であり、もっとも有名な作品のひとつです。モチーフにしているのが『道草』と同じ時期の漱石自身なので、智恵子と栞子の対比という意味でも、栞子の物語のモチーフになるのは『吾輩ハ猫デアル』がいいんじゃないか、と。そういったバランスでこの3作品に決まった感じですね。

漱石が今、生きていたら炎上していると思う(笑)

――初版本や関連図書をかなり読み込まれたそうですね。

三上:漱石の文章はある意味天才肌で、才覚の要素が大きいと思うんです。初版本やそれに近い本を読んでいると、言葉遣いや表記などが統一されていなくてラフな部分が目に入る。そういうところはあまりこだわっていなかったんだと思います。今出版されている本は表現も揃えられているけれど、古い本を読んでいるとそういった面白い気付きもあるんです。

出版された当時の世相や事情を鑑みながら本や資料を読むのは楽しかったですね。「こんなことがあったんだ!」という驚きのネタも多くて。たとえば、漱石の家に入った泥棒が庭で脱糞し、鈴木三重吉から届いた長文の手紙でお尻を拭いて逃げたというエピソードがあります。漱石は「こんなに情味のある手紙でお尻なんか拭いちゃバチが当たる」と、めちゃくちゃ怒っていたと漱石の妻の手記で読みました。すごく興味深い話だけど、これに栞子は反応しないだろうし、語らせられない(笑)。ということで、泣く泣く捨てたエピソードもいくつかあります。

――あらためて、漱石ってどんな人物だったと思いますか?

三上:明治という時代の中で悩みながら自我のテーマを追求していた知識人だと思います。優れた人だけど、同時に欠点や人間くささもある。昔の時代にちゃんと生きていた人である、僕と同じ人間なんだな、と身近に感じられました。「今、もし生きていたら……」と想像するのが好きなんですけど、漱石は確実に炎上していると思います(笑)。妻に暴力をふるうなど家庭生活が荒れていた時期があるので。でも反感を持っている人でも語らずにはいられない魅力的な人物だったと思います。

そして漱石の作品はやっぱり面白いです。今作の執筆を終えた今もまだ漱石を読んでいます。『明暗』は最後まで読んでいなかったので、きちんと読みたいと思って。

――今作に出てきた漱石の作品のなかにも未読のものがあったので、ぜひ読んでみようと思いました。また、戦中、鎌倉の文士たちが立ち上げた貸本屋「鎌倉文庫」も、今作の重要な鍵となりますね。

三上:もともとは鎌倉文庫の話を書くつもりだったんですよ。それで調べていたら、鎌倉文庫の中に漱石の初版本などが含まれていることを知り、急きょ、漱石の本をテーマにすることになったという流れがあります。かなり取材もしたし文献も読んだので、たぶん今、鎌倉文庫については日本で7番目くらいに詳しい自負がありますね(笑)。

――7番目なんですね(笑)。貸本屋で扱っていた本がほとんど見つかっていないというのも、ミステリのようで興味深いです。

三上:貸本屋が閉まったときに譲渡されたことも、その人物もわかっているんです。ただし、それがどこの誰かなのかがわからない。本の行方が気になるし、どうなったのか知りたいですよね。でも僕が今作で書いたようなことには絶対なっていないはずです(笑)。鎌倉文庫はわかっていること自体が極端に少ないんです。だから調べた情報のほとんどが今作に入れられたのはよかったと思います。
文士たちは戦後、貸本屋だけではなく、「鎌倉文庫」という名の文芸出版社も営んでいました。出版ブームに乗っていろんな本を出したり、一時期、遠藤周作が働いていたりと題材として非常に面白いです。それが「ビブリア」シリーズにうまくハマるかどうかわからないんですけど、いつか取り上げてみたい素材ではありますね。

書くために実際にラーメンを作って食べてみた

――智恵子、栞子、扉子それぞれが、個性豊かに書き分けられていて素晴らしいです。女性たちを描く楽しさ、大変さ、書き分ける工夫などがありましたら教えてください。

三上:むしろ、ちゃんと書き分けられているのか心配です(笑)。大変だとは思わなかったんですけど、これまで書いてきた彼女たちとスムーズにつながる感じにしなければいけなかったので、そちらに関心が向いていましたね。智恵子の学生時代はこうだったんだろうな、栞子はこうだったんだなと、想像ができるように。あまり時代の価値観などは入れず、人物の個性を描くことを心がけたつもりです。

――ご自身が気に入っている、書くのが楽しかったキャラクターは?

三上:どのキャラクターもフラットに見ているつもりなのでお気に入りということではないですが、一番書きやすかったのは智恵子ですね。この中で一番、悪意をはっきり持ったキャラクターなので。僕はホラー小説を書いてきたので、人間の悪意を書くのが好きなんです。ただ、周りにこういう人がいたら大変ですけどね(笑)。

書いていて楽しかったのは登です。大学生の頃のちょっと抜けたところのある彼や、中年になってから苦い過去を抱えながらふたりの子どもを育てている彼、どちらも書き応えがありました。平成編の登が、現在の僕の年齢に近いせいもあります。おっさんに、おっさんが共感していたということですね(笑)。智恵子と登の関係性を深く書けた気がするのでそれには満足しています。

――これまで智恵子はクールなイメージだったのに、自分の恋心に対して無自覚でいるところなど今までになかった智恵子の一面が見られて、「ビブリア」シリーズのファンとしてはたまらないと思います。登が作ったラーメンを店内で一緒に食べるシーンは最高です。

三上:ありがとうございます。1973年の家庭にありそうなものとして、卵の他に、コーンビーフを入れてみようと思いました。適当なことは書けないと思い、締め切りに追われている多忙な時期に、実際、自宅で作って食べてみたんです(笑)。これなら書いてもいいだろうと、あのシーンが生まれました。読んでラーメンが食べたくなってもらえたら嬉しいです。

――古書店の娘、息子たちの友情や青春模様がまぶしいです。扉子と恭一郎の関係がどうなっていくのかも気になります。

三上:じつはもう先は決めているんです。ネタバレになるので詳しくは話せないんですけど、暗い感じにするのはやめようと思っているので安心してください。10代を描くのは楽しいけれど、「大丈夫かな?これで合ってる?」と思うところはありましたね(笑)。娘はまだ小学生だから周りにサンプルになりそうな人もいないし、学生時代からずいぶん経ってしまったので。でもきっと許してくれるだろうと思いながら書いています。

――この他、三上さんがこだわって書かれた点がありましたら教えてください。

三上:サラッと書いてすっかり忘れていたんですが、登が「ブラック・ジャック」を読んでいる描写があります。1973年11月19日号の「週刊少年チャンピオン」で連載がスタートしている。このことから11月に連載が始まったと思っている人が多いけれど、実際にはもう一ヶ月ぐらい前に始まっているんです。今でもそうですけど、雑誌は名目上の発行日と実際の発売日にズレがあるので。「ブラック・ジャック」ファンの方なら気付くはずなので、もう少し丁寧に書いてもよかったかなと思います。

 また、第二話で智恵子が持っていた『道草』の縮刷本の奥付が間違っているんです。元の本がそうなっているのでそのままにしていますが、漱石に詳しい人なら間違いだとわかる。ただ、本が間違えているので私が間違えているわけではないとお伝えしておきます(笑)。
 なぜ間違っているのか調べたら面白いことがわかったので、それをテーマにショートショートを書きました。有隣堂、ツタヤ、未来屋書店の購入特典としてお渡ししています。気になる方はぜひ読んでみてください。

――ありがとうございます! それでは今後の「ビブリア」シリーズについて、展望を教えてください。

三上:メインとなる本や作家はまだ決まっていないんですけど、智恵子と栞子の関係性の発展が今後のキーになってくる部分なので、そこには注目してほしいですね。智恵子は古書を扱おうとするとどうしても避けては通れないキャラクターなので、キーパーソンとして登場するのは間違いないです。いくつかアイデアがあるのでこれから詰めていこうと思います。扉子と恭一郎の関係にも変化が訪れそうなので、ぜひそこも楽しみにしていてください。

プロフィール

三上 延(みかみ・えん)
1971年神奈川県横浜市生まれ。10歳で藤沢市に転居。市立中学から鎌倉市の県立高校へ進学。大学卒業後、藤沢市の中古レコード店で2年、古書店で3年アルバイト勤務。古書店での担当は絶版ビデオ、映画パンフレット、絶版文庫、古書マンガなど。2002年に電撃文庫『ダーク・バイオレッツ』でデビュー。2011年に発表した「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズは累計700万部を突破するベストセラーになり、TVドラマ化、実写映画化、コミカライズ、スピンオフ小説などのメディアミックス展開もされている。

作品紹介

ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~
著者:三上 延
発売日:2024年03月23日

三つの世代を超えて挑む、夏目漱石・名著の秘密。ビブリア新シリーズ第4弾
まだ梅雨の始まらない五月の終わりの鎌倉駅。よく似た顔立ちだが世代の異なる三人の女性が一堂に会した。
戦中、鎌倉の文士達が立ち上げた貸本屋「鎌倉文庫」。千冊あったといわれる貸出本も発見されたのはわずか数冊。では残りはどこへ――夏目漱石の初版本も含まれているというその行方を捜す依頼は、昭和から始まり、平成、令和のビブリア古書堂の娘たちに受け継がれていく。
十七歳の「本の虫」三者三様の古書に纏わる物語と、時を超えて紐解かれる人の想い。

作品紹介ページ:https://biblia.jp/
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