逢崎 遊「私は泳げません」【連載コラム「告白します」】

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/4

最も旬で刺激的な物語が詰まった月刊文芸誌「小説 野性時代」より、コラム「告白します」を特別公開!
執筆者の個性が光る「告白」をお楽しみください。

(本記事は「小説 野性時代 2024年4月号」に掲載された内容を転載したものです)

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逢崎 遊「私は泳げません」
【連載コラム「告白します」】

 実は、泳げないのに三年ほどスポーツジムの水泳教室でコーチをしていた。
 子供を水泳教室に通わせている保護者は夢にも思うまい。あんなに堂々と子供達に水泳を教えているコーチが、実は二十五メートルプールすら泳ぎ切れない金槌だなんて。それは多分、会社のバレてはいけない闇の一つだったに違いない。
 私自身も小学生の頃に水泳教室に通っていたが、泳ぎは一向に上達せず。それどころか、高校の水泳のテストでは蹴伸びの時点で両足が攣って、最終的な記録は十メートルというさんたんたる結果だった。海でも溺れかけた事がある。その時は必死に海面に揺れる防護ネットを摑んで手繰り寄せて、何事もなかったかのようにそのまま家に真っ直ぐ帰った。
 そんな私がなぜ水泳教室のコーチをしていたのか。それは、沖縄県出身だし泳げるだろうと周囲に勝手に期待されていたからだ。それに子供の扱いが得意な方で、気付けば幼児クラスから小学生クラスまでを教えていた。初期の頃なんて、保護者の前で鼻に水が入って悲惨な表情をさらして、恥ずかしさで死ぬかと思った。その時は「これがダメな例ね」と子供達に教えるふりをして誤魔化した記憶がある。
 当時はスタジオのレッスンもあり、パーソナルトレーナーの試験勉強もあったので、到底水泳の自主練に回す時間はなかった。だから働きながら懸命に学んだ。また、どんな時でも事故だけは起こらないように徹底していた。それに私は触りの部分の担当で、ちゃんと泳げるコーチは隣に居た。私の役目は、プールサイドを爆走する子に「走るな!」と怒鳴ったり、お母さんが恋しくて脱走する幼児の捕獲をしたり、鼻血を出した子供の応急処置をしたりと、基本的に準備や補助が常だった。
 そんなドタバタを、三年間必死に続けた。そして気付けば、水に顔をつけられなくて泣いていた子が、ビート板なしで泳いでいる。
 無事にトレーナーの資格を取得し、独立も視野に入れ始めた。この職場を離れるのも時間の問題だろう。そこでふと、私の泳力の成長具合を測ろうと思った。人生で今が一番プールに入っているのだ。子供達に教えていく中で、もしかしたら自分も泳げるようになっているかも知れない。
 プールサイドからプールの中へ、静かに入水して身体を沈める。肌の温もりが冷ややかな水にさらわれ、わずかな浮力に慣れた後に壁のタイルを蹴る。そして床に延びる青い線の先を目指し、勢いよく水を搔く。
 全身の筋肉が攣った。攣れるとこ全部。
 教える技術と実践は、全くの別物なのだ。やっぱり。

プロフィール

逢崎 遊(あいざき・ゆう)
1998年、沖縄県生まれ。神奈川県在住。桑沢デザイン研究所卒業。2023年、『正しき地図の裏側より』で第36回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。

書籍紹介

正しき地図の裏側より(集英社刊)
著者:逢崎 遊
発売日:2024年2月26日

社会から切り離される圧倒的な絶望と、心と心が深く繫がるやさしさを描いた、25歳の若き著者による、第36回小説すばる新人賞受賞の感動作。

掲載号紹介

小説 野性時代 第245号 2024年4月号
編 小説野性時代編集部
発売日:2024年03月25日
商品形態:電子専売

朝井まかて、待望の新連載。佐藤正午、東川篤哉、河野裕ら連載陣も充実! 今もっとも刺激的な月刊小説誌。

【新連載】
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【連載】
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荻原 浩――我らが緑の大地
誉田哲也――暗黒戦鬼グランダイヴァー
伊東 潤――天地震撼 信玄と家康
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伊吹有喜――銀の神話
近藤史恵――風待荘へようこそ
長浦 京――シスター・レイ
佐藤正午――熟柿
恩田陸――産土ヘイズ
今村翔吾――天弾

【コラム】
私の黒歴史――川上佐都「手のひらのほくろ」
告白します――逢崎 遊「私は泳げません」

【記事】
Book Review「物語は。」吉田大助
――ヨシタケシンスケ『おしごとそうだんセンター』

Book Interviewこの本に注目!
白川尚史『ファラオの密室』

第16回 小説 野性時代 新人賞 応募要項
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第45回 横溝正史ミステリ&ホラー大賞 応募要項

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