ヨシタケシンスケ「自分を甘やかす口実を、いくらでもつくったらいい」最新作『そういうゲーム』に込めた想い【ヨシタケシンスケ×尾崎世界観 対談インタビュー前編】
更新日:2025/3/7
ヨシタケシンスケさん最新作『そういうゲーム』の刊行を記念し、作品のファンだという尾崎世界観さんとの対談インタビューが実現。前編では、作品の誕生背景から魅力についてを語ってもらった。

――〈自分を傷つける人からどこまでとおくにいけるか〉という切実なものや〈こっちのレジのほうが早かったらかち〉という些細な遊び感覚まで、『そういうゲーム』はさまざまなゲームを乗り越えて明日に向かう人たちの姿が描かれていました。
ヨシタケシンスケ(以下、ヨシタケ) 今作に限ったことではないのですが、僕がやりたいのはフォーマットの提案なんですよ。「こういう受け止め方、かわし方もあるけどどうでしょう?」っていう。今作でいえば、僕自身が心配性だったり物事を大袈裟にとらえたりと、必要以上に身構えてしまう毎日のなかで、どうすればもうちょっと気楽に生きていけるかを考えた結果、日常を小刻みにして、ゲームに置き換えてしまえばいいんじゃない? 別に負けても誰かに殺されるわけじゃないんだし、と思ったところから始まりました。
尾崎世界観(以下、尾崎) いい意味で、ゲームに一貫性がないですよね。「こういう流れなのかな」と予想したとたん、まるで関係ないゲームが提案されてひっくりかえされる。そしてどんどん「勝ち」という言葉の意味が広がっていく。これは今作に限らず、ヨシタケさんの作品には、言葉が内包するものを見直し、ふくらませていく力がありますよね。
ヨシタケ ありがとうございます。それも、そうであればいいな、と思っていることです。今作も、読んでいるうちに「勝ちってなんだ?」とみなさんがわからなくなるくらいがいいなあ、と思っていて。そもそも勝ったところで嬉しくないゲームも、たくさんあるじゃないですか。自分にとっての勝ちとはなんなのか、自分はそもそもなんのゲームをやっているのか、と考えるきっかけになったらいいな、とも思っています。

――尾崎さんも、『そういうゲーム』を読んで考案したゲームをX(旧Twitter)で発表していました。
他人の活躍を見るたび悔しくなるのに、今何が起きてるかつい気になってしまって、見る。膨大なネットニュースを上から下までスクロールして、「悔しい」と思うごとに一機減る。ぜんぶで三機あって、見終わった時点で一機でも残っていたらかち。そういうゲーム。
ヨシタケ あ、いいゲーム!
尾崎 これは本当に、日々やっていることなんです。でもずっと、どことなく後ろめたい気持ちを抱えていたんですよね。でも「そういうゲーム」と認め、公式にしたことで、不思議と気にならなくなりました。2回は悔しくなっても大丈夫だと思えて。
ヨシタケ ちょっとほっこりしたら一機増えたりしそうですよね(笑)。
尾崎 そう、何かのポイントがたまったら、たまに増える(笑)。でも減らなきゃ減らないでさみしいというか、複雑な感情も生まれるゲームなんです。
ヨシタケ わかります。残り一機のギリギリで勝つのがいいんですよね。
尾崎 どんな物語も、主人公が無傷で勝ってしまうのはつまらないですからね。ギリギリで負けそうになって、最後の最後で逆転する。そんな過程の心地よさは、子どものころから刷り込まれているのかもしれません。
ヨシタケ 尾崎さんみたいに、みんながいろんなゲームを考えて「俺の思いついたこのゲームどう⁉︎」って言いたくなる、そんな絵本であってくれたら嬉しいです。なんなら僕自身、絵本を描き終えたあともゲームを考え続けていて、「もっとはやく思いついておけばこのゲームを入れたのに!」と悔しくなるときがあります。かといって『そういうゲーム2』をつくるのも、なんか違うし。
尾崎 でも、あとから「これを入れておけばよかった」と悔しくなること自体が、もう「勝ち」ですよね。それだけの本をつくれたということだから。
――個人的には〈予定よりはやく帰らなきゃいけない、と伝えたとき、さみしそうな顔をさせたら かち。〉のページが好きでした。ヨシタケさんの描く「さみしそうな顔」も絶妙で。
ヨシタケ 実は、恋愛系のゲームはそれ一つしか入っていないんですよね。頑張って、しぼりだして、それしか思い浮かばなかった。もうちょっとないですかね、って言われたんですけど、恋愛系は完全にアウェイ。僕が個人的に気に入っているのは〈自分が「正解」の側にいないことのさみしさに、かわいい服を着せてあげられたら かち。〉というものなんですけど、同じさみしさでもその感情はまったく違う。「勝ち」だけでなく、言葉というのは基本的にいいかげんなものなのだなあ、とつくづく思います。
尾崎 同じ言葉でも、文章でも、人によって受け取り方が違いますよね。つまりは、使い方も。
ヨシタケ それなのに、みんな了解をとれているような顔をして、世の中がそれなりにちゃんとまわっているんだってことが、すごい。そりゃあ行き違いも起きるし、傷つくわなあ、ということも日々感じています。
――本作は、そういう行き違いの傷つきで、しんどい想いをしている人も救われるようなゲームがいくつもありました。お二人は、どうしても受け止めきれないようなネガティブな感情が生まれたとき、どう攻略していますか。

尾崎 とりあえず、逃げることはしないですね。ネガティブな感情って、基本的に、頑張ろうとするから生まれるものだと思うんです。対人関係であれば、その人と向き合おうとした結果だし、ネットニュースを見て悔しくなるのも、必死でもがいているから。しっかりやろうと思えば思うほど、悲しみや不安もそこに付いてくる。だからある意味で、そういう感情にまみれるということは、うまくいっているということ。もうそれ込みで楽しもうと思っていますね。まあ、そうはいってもいやなものはいやなので、悩みはするんですが(笑)。
ヨシタケ 僕らのように表現を生業にする人たちのラッキーは、ネガティブな感情が経費で落ちるってことなんですよ。ものすごく嫌な気持ちにさせられて、死ねばいいのにって思うほど憎しみが湧いたとしても、それをアウトプットして昇華することもできるし、なんなら、人を楽しませることができるかもしれない。表現の仕事をしていなかったとしても、不安を逆手にとるとか、どうやって覆い隠すか……覆い隠すならどんな蓋がいいだろうかと考えるとか、選択肢を増やしていけたらいいなと思います。
楽しめないなら無理をする必要はないけれど、打ちひしがれやすい性格だからこそ、こういう工夫をしてみたらどうだろう?というのが、僕自身、日々模索していることなので。その模索に時間を費やすことを趣味とすれば、まあ、わりと長持ちもしますよっていう。だってネガティブな感情はなくならないですからね。
――その一つが「そういうゲーム」として考えることなんだと、改めて思いました。今作の魅力は、同じゲームに挑み続けてもいいし、毎日違うゲームをやってもいいと思えるところですよね。
ヨシタケ 自分を甘やかす口実を、いくらでもつくったらいいと思うんですよ。どんなにつらくても今日は二度とこないんだから大丈夫、明日ものすごくいやなことがあっても一日は24時間で終わるんだから大丈夫、だってそういうゲームなんだからって考えると、自分の気持ちに区切りもつけられる。俺の一生はハズレだと考えるとものすごくつらいだろうけれど、500年後には自分が生きていたことで何かものすごい価値が生まれるかもしれない、人生という枠をどれだけ伸ばして考えられるかで「勝ち」が決まるゲームなんだと考えたら、少し見える景色も変わるかもしれない。一般的な損得の尺度ではないところで勝負する、というのは一つの救いになるような気がしています。
取材・文=立花もも、写真=川口宗道
ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。2013年に刊行した絵本デビュー作『りんごかもしれない』で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、『りゆうがあります』で第8回同賞第1位、『もうぬげない』で第9回同賞第1位の三冠に輝く。著書に『なつみはなんにでもなれる』、子育てエッセイ『ヨチヨチ父―とまどう日々―』など多数。
尾崎世界観
1984年、東京都生まれ。ロックバンド・クリープハイプのボーカル・ギターを務める。2012年、『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。16年に半自伝的小説『祐介』を上梓し、執筆活動でも活躍。著書に『苦汁100%』、『苦汁200%』、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』『母影』『転の声』がある。2020年に『母影』、2024年に『転の声』が芥川賞候補作に選出された。
<衣装>
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