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もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代-

もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代-

もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代-

作家
木原浩勝
出版社
講談社
発売日
2016-10-06
ISBN
9784062202435
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「バルス!」のシーンは、無かったかもしれない?! 『天空の城ラピュタ』誕生の物語

『もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代』(木原浩勝/講談社)

 2016年、劇場公開から30周年を迎えた『天空の城ラピュタ』は、テレビでの放送回数も多く名作の誉れ高い。ところが、歴代邦画興行収入ランキングの1~3位を宮崎駿作品が占めているのにもかかわらず、当時は100位圏内にすら入っていない。すでに『風の谷のナウシカ』で宮崎監督はアニメファンから高い評価を得ていたものの、一般的な認知度はまだ高くなかったのだ。それが、今ではテレビ放送の際にネット上で、パズーとシータとともに「バルス!」と呟く「バルス祭り」なる現象まで起こり、今年のテレビ放送時には1分間に34万件を超える「バルス!」がツイートされた。

 そんな社会現象にまでなったラスト近くの「バルス」のシーンに、「もう一つ」の案があったことが、『もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代』(木原浩勝/講談社)には記されている。

 本書の肝は、『天空の城ラピュタ』の制作当時に制作進行として宮崎駿監督の間近で働いていた著者が、公式の設定資料や絵コンテ集などにも載っていな…

2016/10/28

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もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代- / 感想・レビュー

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はるわか

バルス(閉じよ)。天空の城ラピュタ(1986年)。ムスカ。「ジブリ」ゆうのはサハラ砂漠に吹く熱風のことなんだと。宮崎さんは傲慢な人でも気難しい人でもない、しいて言えば不矜の人だ。この頃の宮崎さんの口癖は「この作品は失敗できないんですよ」。宮崎さんは当時45歳、黒々とした髪が、制作の追い込みになるにつれて、頭頂部から白くなっていき、完成した時には白髪になっていた。仕事に関してはとことん厳しい宮崎さんだが、基本的にユーモラスな人。絵コンテの天才。「アニメーションは、タイミングがすべて」。

2016/12/26

詩 音像(utaotozo)

「ジブリ」設立第1作制作秘話。非作画人員でありながら全体の把握と管理をしつつ、絵コンテ完成までをすぐ側で見続けた制作進行からの生々しい描写がユニーク。何度も繰り返される「失敗できない」という宮崎の重責。結末不明のまま作画作業開始という綱渡り的制作体制。監督に対する憧れと尊敬ゆえの意地で、謎かけのような質問責めに頭をフル回転させ即答。時間がかかれば「もういいです」。デューン談義とポム爺さん解釈は白眉!完成まで無休という著者の決意に自分の意思とは言え、金田伊功ら巨匠の急逝への言及もあり、業界の業の深さを憂う。

2020/06/19

もえたく

『天空の城ラピュタ』の制作進行に関わっていた著者の思い出話。しっかりと映画を観ていないと話についていけない部分も多々ありますが、空中海賊ドーラ一家が有する昆虫型の飛行艇「フラプッター」の発明者が当初は神父で科学者と設定されていたなどの裏話は楽しい。もちろん、「バルス」のもう一つの設定も。

2016/11/26

胡瑯

ラピュタを見直したくなった。制作進行視点からのラピュタ、そして宮さんの人となりが見られた。やっぱりこういうものを作れる人は癖が強いな~。また宮さんは映画つくりに戻ってくるみたいだから期待したいですね。

2017/08/16

のり

ラストは飛行石を見せる「バルス」と、飛行石を見せない「バルス」の葛藤があった。「バルス=閉じよ」。宮崎駿さんの人柄や仕事ぶりや、アニメが作られていく過程が垣間見えました。天空の城ラピュタが無性に見たいです。

2016/10/30

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