KADOKAWA Group

Facebook Twitter LINE はてブ Instagram Pinterest

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ 174)

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ 174)

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ 174)

作家
斎藤環
出版社
中央公論新社
発売日
2005-04-10
ISBN
9784121501745
amazonで購入する

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ 174) / 感想・レビュー

powerd by 読書メーター

ころこ

状況論が多く、昔のことなので現在と前提が異なる。「ひきこもり」と「ニート」、児童虐待、表現規制と様々な論点があり、ある程度読んで来た読者が、現在を相対化するために過去を確認するという使い方が出来るかも知れない。「ひきこもり」は遅々として進まないが、児童虐待の対応は変わっている。表現規制は出版物ではなく、現在はSNSの政治的な発言に問題が移っている。「負けた」教とは自傷的自己愛のことで、負けたと思い込むことで自分のプライドを温存しているという、遅れてきた世代の成熟社会における自己肯定化の方法として興味深い。

2023/05/12

活字スキー

サブカル系に理解のある精神科医としてその名は何度もお見かけしていた斎藤さんを(たぶん)初めて読んでみたぞっ。何よりタイトルの「負けた」教には自分も心当たりがありまくりだし、周囲にもその傾向が疑われる人がチラホラいるのでかなり期待していたのだが……やや期待外れ。サブタイトルの「ニート・ひきこもり社会論」に軸足を置きつつ、メディア論や司法・行政の在り方などかなりとっ散らかり気味で、韓国の若者事情などそれなりに勉強になる部分もあるにはあったが、あまり「役に立つ」という印象は得られなかった。

2017/07/16

白義

斎藤環にはいくつもの顔がある。現場で鬱やひきこもりに関わり治療する臨床家としての側面、それを臨床の場にとどめず、社会の構造問題としてとらえ支援活動を行う工学者、社会学的な側面、現代思想を縦横無尽に操る理論家、それを元にメディア社会論など時評を展開する評論家としての側面と、どの立場に立つ時でも斎藤環に一貫しているのは、常に具体的実効性と抽象的な自由や公平、両方に配慮したリアリストとしての姿勢だ。この本は斎藤環のにうってつけ、便利な時評集。話題は古いがどれから読んでも斎藤環らしい発想法がうかがえる

2011/11/24

きんぎょっち

2018年最初の本がこれ‥しかも図書館本(笑)。 日韓のひきこもりの相違が興味深かった。日本の若者は、諸外国と比べてどうしてこうも自分に自信がないのか。そのわりに若者が好む日本人論がナルシスティックな思考停止へすぐに陥るのはなぜなのか。社会を見ずに自己責任論で他人を簡単に断罪する短絡はどこから来るのか。以前から謎に思っていたことが取り上げられていた。異物を排除する文化が原因なら、移民をどーんと入れて小学校の生徒の半数は外国人、みたいな混沌とした社会にしてしまえ、と思う自分はきっと乱暴で少数派なんだろうな。

2018/01/08

noko

負けた教とは、自分を自分で負け組だと思い込んでいる人達ということらしい。コミュニケーションが苦手というだけで、すぐ負けたと思いがち。コミュ力高いと勝ち組に見えるが、本当に勝ち組なのだろうか?自分が負けたと思い込むのもナルシシズムの産物で、自己愛が強いがゆえ。引きこもりが長期化すると精神症状をもたらす。引きこもりそのものより二次被害がまずい。家庭内DVは被害者を生むことになるので大問題だと感じた。韓国にも引きこもりはいるが、家庭内DVは日本程ではない理由に入院が容易だからとあるが、儒教的文化だからでは?

2022/10/31

感想・レビューをもっと見る