金城一紀ロングインタビュー 2001年11月号
更新日:2013/8/19
ひたすら読むことに専念
初めての執筆は25歳のとき
「純文学の新人賞に応募する気は最初からありませんでした。自分が読んで救われた作品にエンターテインメントが多かったということと、読者に楽しんで読んでもらえる起承転結がはっきりしている起伏のある物語を目指していましたから。
そのタイトルに込められた意味
新宿にある「典型的オチコボレ男子高」に通う語り手の「僕」と仲間たちは『ザ・ゾンビーズ』というグループを結成し、良家の子女が通う女子高の学園祭に潜入する計画を立てる。一昨年、去年とその計画は失敗し、3年目の今年、新たな作戦を立てて彼らは学園祭を“襲撃”する。タイトルの意味はそこに込められている。
「もう一つの意味があるんです。ビートルズのホワイト・アルバムに『レボリューション1』と『レボリューション9』という曲があるので、『レヴォリューションNo.3』があってもいいのではないかと思って、タイトルを付けました。
「『ザ・ゾンビーズ』のレヴォリューションは、『ラン、ボーイズ、ラン』で終わっています。彼らは必要なときに集まって、必要なときに襲撃して、散っていく連中なんです。彼らは群れないんです。だから、高校卒業後の彼らを書くことはできないんです。3作目では47人のメンバー全員が参加していません。彼らのレヴォリューションは襲撃している時だけですから。メンバーの一部の人間がストーカーをめぐる事件を解決する3作目は余話的作品ですね」
小説化するときの技術
「僕が通った高校には作中人物のモデルとなるような人がたくさんいたんです。被爆された先生やマンキー猿島のような先生もいて、社会の縮図だなと思いました。偏差値社会の中では吹きだまり的な場所だったかもしれないけれど、個性のあるやつがいっぱいいて学校生活は楽しかったんです。それを自然に取り込んだだけです」
その中でも重要な人物がヒロシだ。彼は難病で亡くなるが、メンバーはヒロシのためにアクションを起こし、彼らのレヴォリューションを成功させる。さらにそこには、作者の友人の死をめぐるオブセッションからの自己解放という個人的な思いが投影されている。
「僕は小説の中に神を描いて殺してしまうんです。それに触発された連中が、死を通して自分のアイデンティティを確認する、という構造は確かにありますね。
「自伝的な要素をダイレクトに反映させるとナルシズムが強い物語になってしまいます。自分のもっている情報の中で書くという意味において、どんな作品でも作者の自伝性は反映されると思います。ナルシズムをどうやって消去していくか、という部分が重要です。ユーモアを取り込むのは一つの方法です。
『GO』の主人公の杉原は、朝鮮籍から韓国籍に変えて日本の高校に進学したという僕の年譜的事実を踏襲していますが、その中で起きていることはまったく違います。ポイントとなる事実は同じであっても、その狭間を埋めるエピソードはすべてフィクションです。こういう人生だったら面白かったのになあ、ということを書いているという言い方もできますね。実際に父親からボクシングを習いましたが、『GO』の父子の対決みたいなエピソードはありません。自分の人生を利用してホラを吹いているということですね(笑)」
「他の作品からの引用がある小説を読むのが好きだったんです。そういうことを自分の小説でもやってみたいと思ったんです。ある本の一部が効果的に引用されていたりすると、その本を全部読んでみたいとか思いますよね。僕はそういう形で自分の読書の世界を広げてきました。北村薫さんが『空飛ぶ馬』のあとがきの中で、『小説を読むのは一度しかない人生への抵抗である』というようなことをおっしゃっています。すごくいい言葉だと思います。小説を通してそういう体験を読者にしてもらいたいと思っています」
『GO』は僕にとって在日文学解体のイントロ的作品です。
そういう意味で、一つのジャンルにとらわれないさまざまな要素が混じった作品を書いていきたいです。坂口安吾や福永武彦のような超ジャンル的な作家になりたいですね。在日の主人公があまり登場してこなかったSFやミステリを書いて、在日文学を解体していきたいと思います」