sumika・片岡健太初の著書が完成。多くの人を魅了する音楽家が歩んできた「失敗だらけの人生」をめぐる物語

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/1

片岡健太

 すばらしいメロディとリスナーの日々に寄り添う歌詞によって支持を集め続けている4人組バンド、sumika。ボーカル・ギターを務める片岡健太氏が、初の著書『凡者の合奏』(KADOKAWA)を発表した。これまでの半生を振り返りながら、そのときどきに出会った人、起きた出来事、その中で感じたことや「そういうことだったんだろうな」という想像を丁寧に綴った本書は、楽曲やライブに触れて感じる片岡の人生観や考え方をよりはっきりと伝えてくれる。さまざまな紆余曲折を経て、何度も挫折や絶望を味わいながらも音楽を続け、今こうして多くの人に求められる存在になった彼の視線を通して描かれる世界には、つい見過ごしてしまいそうになる大事なものがたくさん輝いている。いいことも悪いこともすべてが繋がって編み出される「人生」という名の物語。読み終えた後には、きっと何気ない日常が少し美しく見えるようになるはず。sumikaのファンのみならず、一生懸命もがきながら日々を生きるすべての人に出合ってほしい1冊だ。

取材・文=小川智宏 写真=中野敬久


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失敗したから今の自分がいる。失敗しても大丈夫だよっていうことを伝えたい

――『凡者の合奏』大変面白く拝読しました。これ、書くの大変だったんじゃないですか?

片岡:書くのは大変でした(笑)。執筆期間は3ヶ月半ほどだったんですけど、ちょうどsumikaのツアーと重なっていたので、ライブをやって文章を書いてしかしてない3ヶ月半でした。作詞で言葉とは触れ合うことをやっていたのでアドバンテージがあるかなとも思っていたんですけど、全然なかったですね。

――しかも半生を振り返って、自分の記憶を、いいこともよくないことも掘り起こす作業だったわけで。そういうことも、あまり日常的にはしないですよね。

片岡:そうですね。最初に本を執筆するときに決めたこととして、この本には今の片岡健太に結びついているところだけを抽出して振り返ろう、と思っていたんです。そういうルールで振り返っていくと、それって99%つらい記憶なんですよ。失敗だったり悲しいことだったりしかないので、思い出す作業は毎回「つらい」から始まるんですよね。しかもぼんやりと思い出すだけじゃなくて、ふたをした記憶を深層まで深めていく作業が必要だったので。でも、そこを深めていくと意外な発見があったり、こういう部分で実は今も自分に繋がってるんだなって感じることもあったりして。そうやってこんがらがった糸をちゃんと解きほぐして気持ちいい状態まで持っていくと、今までトラウマや黒歴史とか、都合のいい言葉で済ませていたものにも全部ちゃんと意味があったんだなって思えて、浄化された感覚になったんです。自分の中でモヤモヤしていた、言語化する必要もなかったはずのことが浄化されて本になったので、想像もしていなかったですけど、言葉にするというのはすごい力を持っているんだなと思いました。

――恐るべき物語性というか一貫性ですよね。本当にすべてが繋がって今があるということが伝わってきます。

片岡:そうですね。でもなかなか思い出すのは大変でした(笑)。とにかく時間を使いましたね。暇さえあれば昔の写真を振り返ってこの前後何があったかなとか、親に電話して「このときの俺ってどうだった?」って聞いたりして。それでちゃんと今繋がってるものを見つけられたので、時間はかかりましたけど、本当にやりがいのある作業でした。

――単に出来事を書くだけではなくて、そのときに自分が思ったこと、さらには相手がどう思っていたかということまでが丁寧に書かれていて。それがあるからちゃんと物語になっているんですよね。そこまではなかなかできないんじゃないかなと。

片岡:そうなんですよ。僕も最初はそこにいけなくて。でもこの本を作ってくださるチームの方に「事象だけなら誰でも書けます、片岡さんの今に繋がっている心象にこそ価値があるんです」って言っていただいたんです。そのときどう思って、今の自分はどう思っているのか、これからどうしていきたいのかをまず書いてくださいって。その交通整理をしてもらえたおかげで、自分が悩むべきところに心を割くことができました。それはチームのおかげです。

――受け取る人にはどう受け止めてほしいと思いながら書いていましたか?

片岡:昨今の現代社会の中で、すごく失敗しづらい風潮があるなと思っていて。失敗って1回しちゃうともう終わり、1回バツがついたら人生終わりになるっていう空気があるなと思うんです。でも僕の半生を振り返ったときに「これ、どう考えても失敗だらけだよね」って。今のsumikaの活動はすごく楽しいし、どう考えても僕は報われてる部分がたくさんある。そうなる過程の中には失敗がたくさんあって、そのおかげで今の僕がいるんだとしたら、失敗したらもうダメになっていってしまうという方程式は成り立たないですよね、と伝えたいなと思ったんです。失敗したから今の自分がいる。失敗しても大丈夫だよっていうのは、特に若い人には伝えたいなと思いますね。

――そういうふうに思えるようになってきたのはいつごろからですか?

片岡: 2015年に声が出なくなって(片岡が原因不明の失声症になり、一時ライブ活動を休止した)、そこから戻ってきたタイミングですね。戻ってこられたこと自体もそうですし、そこからバンドの状況が劇的に変わっていった。それはやっぱりそう思わざるを得ない事件でしたね。

――それこそ声が出なくなって、病院に行っても治らなくて、藁にもすがる思いで飛び込んだ鍼灸院でマッサージしてもらったら声が出たっていうエピソードも書かれていますけど、本当に奇跡みたいな話ですね。

片岡:本当にノンフィクションで。人生ってやっぱり喜劇みたいな瞬間があるんですよ。絶対いかがわしいお店だと思ったんですけど(笑)。でも絶望の淵に立った瞬間にこそ、そういう笑えることってあるんだなって感じるんですよ。たとえば親戚のお葬式に出たりすると、もちろん悲しいんですけど、そういうときに限って何か楽しいことが起きたりする。なんかマイナスなこととプラスなことって密接な関係があって、悲しみや絶望の中にも必ずどこかに面白いことって落ちているんだなって。

どうせきついことをやるんだったら、楽しんでやるっていう方向を見つけてみよう

――というか、本当に絶望的な状況の中でも希望を見つけるのがすごくうまい人なんだなって思います。もう無理かなっていうときに限ってバンドに新しいメンバーが入ったり、何かいいことが起きるじゃないですか。

片岡:そうなんですよ。不思議ですね。もちろん本だからいいところを書いてはいるんですけど、嫌なことはやっぱり膨大にあるんですよね、その近辺に。でもその中で1個、いいことがあるだけで……月曜から土曜まで週の6日間はつまらないんだけど、日曜日だけ楽しいと1週間頑張れる、みたいなことってあるじゃないですか。それぐらいのバランスだと思うんです。大体つまらないし悲しいしきついけど、1個の楽しいことで全部逆転できちゃうことって、やはり人生の中であるので。それを信じて生きていきたいなと思いますね。

――そこをすごく正直に書いている本だなって思いました。つまらないことや嫌なことはいっぱいあるけど、でもその中の1%の欠片を一生懸命集めて、大事にして。そうしたらこうなりましたっていう物語。

片岡:そこは意地もありますよね。土曜日まで頑張ったんだから日曜日ぐらいいいことあるよっていうか、「絶対いい日曜日にしてやる」みたいな。もはや僕はそこが習慣になりすぎてて、月曜から土曜までの期間すら楽しいなって最近思い始めているんですけど(笑)。サウナみたいなものですよ。暑いけど外気浴や水風呂があるってわかっているから、限界までいきたいなって思える。最初は60℃でもきついけど、だんだん「110℃くらいいきたいよね」みたいな。どんどんそうなっていくんですよね。そうなると人生って相当楽しくなると思う。

――ものすごくマゾな人生観ですが(笑)。

片岡:そうなると楽しいんですよ。きついのは変わらないんですけど、その後のことを想像できるかどうか。これがうまくいったらこうなるよなっていう想像力のおかげで、自分の現状とも向き合えているんだと思うので。それは毎回、音楽をやっていても思いますね。ツアー途中とかはやっぱりきついですし、曲を作っていてもきついんですけど、それを届けることができたときに自分が得られる感情を想像できれば頑張れる。想像力にだいぶ救われてるなと思います。

――sumikaの音楽もまさにそうですよね。何気ない風景や会話の中にすごく大事なものがあるんだよっていうことをイメージしてずっと歌ってきている気がしますし、だからこそ退屈な日常を生きているいろいろな人に届くんだと思うんですよね。

片岡:自分ではそういう自覚があんまりないんですけどね。どうせ生きるなら楽しく生きていきたいというのはあるんですよ。つまらなそうな顔してても、誰もハッピーじゃないじゃないですか。だったらとりあえず笑って全部やってみるか、みたいな。そういうことは前のバンドがうまくいかなくなった頃から、やっとちゃんと思えるようになったことではありますね。どうせきついことをやるんだったら、楽しんでやるっていう方向を見つけてみようかっていう。諦めの中から見つけてきたものなんだと思います。つまらないこと、意味ないなと思うようなことでも、楽しそうにやってみる。それには意外と意味があると思っています。

――それは本当におっしゃったように、意地でもあるし執念でもあるし、戦いでもある。

片岡:そうですね。そうやってやってるうちに本当に楽しくなってくるということもある。

片岡健太

これは自分にとっては逃げ道を封じた本でもあると思うんです

――だからこの本の中にいろいろな人が登場するじゃないですか。その中にはあまりいい思い出ではないものにまつわる人もいたりしますけど、ここに書かれて悪い気はしないだろうなっていう感じがするんですよ。「この人の人生の1ページにちゃんと残ってるんだな」って感じることができるから。人に対する愛情みたいなのもすごくありますよね。

片岡:いや、ここ数年で、やっと「やっぱり人だな」っていうことをちゃんと言葉に出して言えるようになったんです。それこそ休養明けに「Lovers」っていう曲を作ってからですね。それまでの僕が「Lovers」なんて書いたら「ええ?」って言う人もいっぱいいたと思います。「愛してる」みたいなことも歌詞で書いたことなかったですし。基本的に好きだとか愛してるっていうワードを使わないでラブソングも書いていたんですよ。でも休養が明けてからどんどん脱いでいけたというか、裸をさらけ出すことの大事さに気づいたんです。いっぱい着込んでいて実体が見えないのは嘘だな、と思ったので。

――でもその服の下にはあったわけですよね、ずっと。そうじゃなきゃ絶対にメンバーもついてこなかったと思うし。

片岡:そうですね。それを感じ取る力がメンバーにあったんでしょうね。僕はめちゃくちゃひねくれていたので(笑)。最近はやっと素直ですけど。

――メンバーに限らず、この本に登場する人たちみんな、ちゃんと片岡さんの気持ちを汲み取って導いてくれたわけですよね。

片岡:奇特な人たちですよ。そういう人に生かされているなという本なんですよね。

――逆にいえば、片岡さんが人と出会ったときにそこから大事なものを感じられるかどうかも大きかったんだと思います。

片岡:まあ、それは感じ取ったところだけ書いている、というのもありますけどね。だからその瞬間を、何倍、何十倍も逃してきているのかもしれない。それを全部感じ取ってアジャストしていけたら、たぶん20代の前半とかでもっといい状況になれたんだと思うし、でもそうではないので。もっと早く気づきたかったなとも思いますけど、もう戻れないので。自分が「早く気づきたかったな」と思うからこそ、おこがましいかもしれないですけど、この本を読んでもらって、これから進路を決めなきゃいけないという人も、仕事を変えたいなって思っている人にも気づいて選択肢を増やしてもらえたらなって思います。

――「気づいてもらう」。むやみに背中を押すとか「このままいけよ」とかじゃないんですよね。

片岡:そう。けっこう、キャッチコピーでそう書いていただく機会が多いんですけど、それが実はすごく苦手なんです。「みんなの背中を押してくれるバンド、sumika」っていうと、なんかけっこう乱暴じゃない?って思うんですよね。だってその先が落とし穴かもしれないのに背中を押すなんて無責任じゃない?って。ライブのMCでもたまに言うんですけど、背中は「押す」じゃなくて「さする」が正しいんです。さすって、吐き出せないものを吐き出すのを見届ける。そういう立ち位置にいるべきだと思いますね。

――「そちら側」に立つという、それがまさに『凡者の合奏』ということだと思いますけど、それはきっと、力強く背中を押すよりも何倍も難しい作業ですよね。

片岡:うん。思いやりみたいなことだと思うんですけど、誰しも人と接するときにはそれが必要で。思いやりの原材料っていうのも絶対に想像力だと思うんですよ。想像力を働かせて、その上で自分が導き出した答えの強さや頻度で背中をさする。そこで悩むっていう工程が正しいと思うんです。その人に心を使って、時間を割いて考えてみるっていう。僕はそれをずっとしていきたい。「お前、そういう本を作ったのにできてないじゃん」って言われる人生は歩めないし、これは自分にとっては逃げ道を封じた本でもあると思うんですよ。僕がこの本をこのタイトルで出す以上は、周りの人がどう感じるかを想像しながら生き続けていく人生を歩むことを選択したということだと思います。

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