山田風太郎賞受賞! 日露戦争から太平洋戦争まで、満洲の架空都市を舞台に日本SF界の新星が描いた『地図と拳』――その構想は?

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/26

小川哲さん

 先ごろ第13回山田風太郎賞を受賞した『地図と拳』(集英社)は、日露戦争から太平洋戦争までの日本の灰色の時代を通して、満洲にある架空都市〈仙桃城(シエンタオチョン)〉にひき寄せられた人々によって紡がれる歴史大河小説だ。

 著者・小川哲さんはSF小説『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー後、長編『ゲームの王国』(同)で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を受賞し、『嘘と正典』(同)では第162回直木三十五賞候補と最も注目される作家の一人。

 雑誌『小説すばる』での連載開始から休載を挟み4年の歳月をかけて刊行された『地図と拳』(集英社)について小川哲さんに話を聞いた。

(インタビュー・構成・撮影=すずきたけし)

advertisement

――『地図と拳』は日露戦争前夜から太平洋戦争終戦までの中国大陸の満洲を舞台にした小説ですが、満洲という地を題材にした理由はなんだったのでしょうか?

小川哲氏(以下、小川) 満洲を小説にしようと思ったきっかけは、担当編集者から提案があったからですね。大同都邑(とゆう)計画という実際にあった満洲の都市計画がありまして、実現しなかったものの、この計画が実際に進んだ話を書いてみるのも面白いかなと思いました。

「満洲」とはなんなのか、言葉としては知っているけど、実際になにがあった土地で、どんな場所だったのだろうと僕が明確に答えることはできなかったので、僕個人の興味としてもテーマとして惹かれた土地でした。

――満洲のほかにもうひとつ、重要なテーマに「建築」があります。建築に着目した理由もお聞かせください。

小川 満洲はロシアや日本が開発をするまでは基本的には荒野が広がる未開拓の地で、瀋陽とかちょっとした都市はありましたけど、小さい集落が点在してるだけであまり開発されてなかった土地でした。国家として承認はされませんでしたが、日本が人工的に作った満洲という国家の成立自体がひとつの大きな「建築」だと考えれば、満洲という国を語る上で、建物や都市を開発するという小さな「建築」から、国家を作るという大きな「建築」まで、いろいろなレベルの建築が満洲には存在していたと思います。

 もうすこし言えば小説を書くという行為もひとつの「建築」として見ることもできます。ひとつひとつの文章によってひとつの空間を作っていくという話で言うと、文章で柱を作った空間が小説という建物と考えることもできる。いろいろな形で建築について考えることが、そのままその国家について考えることや小説を書くことについて考えることに繋がるんじゃないかという直感がありました。

小川哲さん

――『小説すばる』で休載1年を挟んで4年間執筆されていますが、本作を書く上で苦労はありましたか。

小川 後半の終わり方が見えてきたあたりからは苦労はありませんでしたが、プロットを作らずに書き始めたので、前半は話がどこに向かうかが自分でもわからなくて大変でした。書き下ろしであれば書き終わった後にいろいろと手直しができるのですが、連載では書いたものがそのまま出てしまい、あとで「やっぱ、あれなし」っていうのはできないので、1年の休載でそれまでの原稿をかなり直してます。連載としてはアウトで、ルール違反ではあるんですけど(笑)。

――プロットも作らずということは全体の世界設定とテーマだけで書き始めたということですか。

小川 建築と満洲と「地図と拳」という言葉だけがあって、「どういう話だろう」と僕自身も考えながらですね。もちろん50ページ単位とかで先は見えてますが、大きい話の枠組みというのはまだ見えてないというか、それを探しながら書いています。

――青龍島という島が地図に描かれている話が登場しますが、後半にその島が重要な意味を帯びていることがわかります。あの島のエピソードも書きながら着地点が見つかったということですか。

小川 そうですね。青龍島の意味は連載時に僕が想定していたものと答えは変わっています。神父のクラスニコフ自体も連載時には測量士という設定はなかったので、連載時からの変更はいろいろあります。

――後半部分で終わりが見えてきたというのは物語が自然と出来上がっていく感覚ですか?

小川 前半の「どういう話なんだろう」と探りながら書いてるのも楽しいんですけど、後半は割と結末への行き方がわかってる状態なので、そこまではもう近道してもいいし、遠回りしてもいいしという感じでした。

地図と拳

――タイトルである『地図と拳』の地図とは国家であると、本書のなかでも語られています。小川さんはデビュー作『ユートロニカのこちら側』で個人プライバシーを収集する実験区を題材にされていました。また『ゲームの王国』でもポル・ポト時代のカンボジアの、言ってみれば実験国家的なものを描いていましたが、小川さんにとって都市や国家の興亡というのは昔から共通して興味を持ち続けていたものなのでしょうか?

小川 結果的にはそうですね。いろいろな思惑を持った人がいて、それがひとつの大きな流れになっていくような、そういった流れに対して関わっていくことが小説として書きたいことのひとつなのかなという気はします。だから日本が戦争をすることとか、海の向こうに植民地、植民国家みたいなものを作ろうとする時でも、それに協力した人とか、いろいろな立場の人や様々な思いを持った人がいただろうと思います。でも、それは歴史からだと大きな流れしか学べないので、自分がその大きな流れの中にいた時に何ができるか、と考えたりしますね。いろいろな物事に対してそういうアプローチをするのが好きなのかもしれません。

――戦前戦中の話である本書は大陸での日本軍の振る舞いなど、当時の日本人には大陸の人々の憎しみが向けられています。なかでも印象的だったのが日本人憲兵が貧しい中国人を見て大和民族の非力さに嘆くという支配者のロジックでした。善意ではあるが支配者としての歪んだこの考えに触れたことで、日本人に向けられた憎しみが腑に落ちた感じがしました。今回の小説の中で、憎悪を向けられる側の描き方で意識したことはありますか。

小川 軍国主義というか、国粋主義や植民地主義みたいなものを信奉してる人というのも一定数はいて、そのなかでいちばん極端なものは出しておきたいなと思っていました。でも、戦争をしてる側も誰かを傷つけたいから別に戦争してるわけではなくて、何かを守りたいからで、それが自分のメンツだったりもするんですけど、守りたいから戦争してる。もちろん日本人が現地の中国人を守りたいと思っているというロジックも絶対にあると思っていて、そこには善と悪の戦いではなくて、みんなそれぞれの善があって、互いの善の戦いを表現したいというのがありました。その中でいちばん極端でいちばん自分が理解できない考え方というか、いちばん現代の日本人からは遠い考え方だけど、中身のロジックとしてはちゃんと通っているようにはすごく考えましたね。

小川哲さん

――歴史小説でありながら、小川さんが書かれる小説ということでSF的な要素をつい探してしまうのですが、『地図と拳』では当時の様々な事象から10年先の将来、いわば未来を見通すという、今でいうシンクタンクのような戦争構造学研究所というのが出てきます。この「未来を見通す」というまさにSFなるものを歴史小説の中に入れ込んだことがとても嬉しかったのですが、今回歴史小説を書くにあたってSF的なものを入れようという考えははじめからあったのですか。

小川 戦争構造学研究所自体はたしかにそうですね。当時の担当編集者から「ちょっとSFっぽいのを入れられますか」みたいなことを言われ、そのときは「ダサい注文だなぁ」と思いながら(笑)、まあしょうがないなみたいな感じで初期の段階では一応入れてたんです。猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』(新版 中公文庫)は実際にあった仮想内閣の話なんですが、これがすごくSFっぽいと思っていてこれを満洲に置き換えた話にしようと考えました。実際にやるかどうか、はじめは考えてなかったのですが、小説では未来を知るというのがひとつのテーマとなってるので、必然的に出てこざるを得なくなったという感じです。ただ、第二次世界大戦について書くこととSFを書くことで違うのは最後に日本が負けるのを読者はわかっているわけですよね。この本の重大なネタバレなんですが(笑)。だから当時の人々が戦争構造学研究所で学問的な知見を使って、無理のないSF的な思考で戦局を見られるということは、読者と同じように日本が負けるというのを知った上での行動になり違和感がなくなる。当時でも敗戦が見えていた人は一定数いたので、そういった人たちを描きたいというのはありましたね。

――小川さんの小説では真顔で言う冗談みたいなギャグもまた魅力だと思っています。例えばアンソロジー『異常論文』(樋口恭介:編/ハヤカワ文庫JA)で小川さんが書かれた「SF作家の倒し方」や、『ゲームの王国』での共産主義ギャグ、今回の『地図と拳』では楊日綱(ヤン・リーガン)の奇妙奇天烈な修行などでも笑ってしまいました。これらの“笑い”は、意識的に小説に入れようと考えているのですか。

小川 小説の中で一番難しいのが「笑い」だと思っています。とくに笑っていいですよ、笑うところですよというのを示すのが難しい。僕はユーモアのある小説が好きで、カート・ヴォネガットも好きだし、太宰治もユーモアがあるじゃないですか。あと坂口安吾も僕は好きなんですけど、特に悲惨なシーンほど笑いを入れたいというのはあるんです。ただ展開的に邪魔になる場面もあるのでそのバランスが結構難しいのですが、基本的に笑ってもらいたくて書いているというのはありますね。だけどその笑いがスベると僕が傷つくし読者も気まずい思いをするので(笑)、笑わなくても成立するようには書いてます。笑わなくても文学として成立するというか、ギリギリのラインみたいなのを常に探りながらですね。

――最後に、今後の刊行予定や、次回作の構想などありましたらお聞かせください。

小川 朝日新聞出版から『君のクイズ』というクイズを題材にした小説が発売になりました。あと、いま書き下ろしの短篇を書いてますが、おそらく年明けにはそれが収録された短篇集が新潮社から、その後に河出書房新社から溜まっている短篇が本になる予定です。長編で言うと検閲官の話で書物をテーマにした話になると思うんですけど、いずれ書くはずです。

小川哲さん

小川哲(おがわ・さとし)
1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(2019年)で第162回直木三十五賞候補となる。

あわせて読みたい