吉田羊「いまのわたしがあるのは、亡くなった母のおかげなんです」初のグルメエッセイ『ヒツジメシ』発売!《インタビュー》

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/30

吉田羊さん

 2022年、デビュー25周年を迎えた俳優の吉田羊さん。コミカルなキャラクターからシリアスな役柄まで演じ分ける彼女は、その姿をメディアで見ない日がないくらい活躍している。このたび、そんな吉田さんの初となるグルメエッセイ『ヒツジメシ』(講談社)が発売された。

 本書は情報誌『おとなの週末』での連載をもとにしたもの。2015年1月号に第1回が掲載され、足掛け8年も続いてきた人気連載の原稿をすべて見直し、大幅に手を入れてまとめられた。自ら取材をしたお気に入りの飲食店が紹介されているだけではなく、俳優業のこと、そして家族のことまでも綴られており、吉田さんの意外な一面を知るきっかけにもなり得る一冊だ。その読み口は非常に軽快。まるで吉田さんが語りかけてくれているようで、あっという間に読めてしまう(それにお腹が空く)。

 しかしながら、執筆には相当な苦労もあったそう。吉田さんにお話をうかがった。

(取材・文=イガラシダイ)

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8年分の歴史が垣間見える一冊になった

――このたび、初めてのエッセイを上梓されましたが、いまのお気持ちは?

吉田羊さん(以下、吉田):連載中から書籍化をずっと打診し続けてくださった担当編集者さんに感謝の気持ちでいっぱいですし、8年越しにやっと形になって嬉しく思っています。「読むとお腹が空きます」という感想をいただいたり、本のなかで紹介しているお店に足を運んでくださったりする読者さんもいて、それもありがたいです。「お腹を空かせてくれたら良いな」と思いながら、毎月執筆してきたので、わたしの思いが伝わっているんだなと感動もしていますね。

――映像が形に残る俳優業と文章が残る執筆業とでは、そこにある思いも異なりますか?

吉田:わたし、自分の文章にコンプレックスがあったんです。そんなわたしの文章を披露することが怖くて。しかも書籍になればなおさら、ずっと残っていくわけじゃないですか。

 書籍化にあたって、8年分の連載原稿を読み返しました。すると顔から火が出るような恥ずかしい表現があったり、「どうしてこのとき、編集さんはOKを出したの!?」と思うような表現があったりして(笑)。あらためて、文章が形になり、残っていくことの怖さを実感しました。でも同時に、わたしが書いてきたものには8年分の歴史が垣間見えるんです。俳優としてどんな風に歩んできたのか、どんな作品と向き合ってきたのか……。そういったものが文章から感じ取れるのは非常に面白いな、とも思いました。

――「俳優としての吉田さん」だけではなく、「ひとりの人間としての吉田さん」も随所に滲んでいますよね。特に“母の味”であるミートソースについてのエピソードは読んでいてグッと来ました。

吉田:母の味って真似しようと思っても再現が難しいんですよね。そもそもわたしの母はいつも目分量で作っていたので、濃さもシャバシャバ加減も毎回異なっていて。ただ不思議なもので、味の根幹部分は絶対に変わらないんですよ。

 母は5年前に亡くなっていて、その直前、福岡から東京へ出てきて、我が家に泊まりました。そのとき、わざわざミートソースを作って持ってきてくれたんです。実はそのミートソースが、まだ冷凍庫に眠っていて。それが本当に“最後のミートソース”なので、どうせ食べるなら家族みんなで分け合いたくて、でも食べたらなくなっちゃうから葛藤もしています。5年間も冷凍していたら味なんて劣化しているはずですけど、それでも大切なんですよね。

もう無理かも……と諦めかけた瞬間

吉田羊さん

――紹介しているお店は本当に吉田さんが足で探して、潜入取材をして決めているんですよね。

吉田:そうなんです。気になるお店を見つけたら、ひとりでふらっとお邪魔します。でも、お店の方々って親切で、そっとしておいてくださるんですよ。なかにはわたしの連載を読んでいる方もいて、お料理について質問するとすごく丁寧に説明してくださって。「取材されている!」と思うのか、キッチンが騒がしくなったこともありましたね(笑)。

 取材中はとにかく食べて、メモをしての繰り返しです。その場でメモを取らないとすぐに忘れちゃうので。感動したお料理についてはどんどん文字数が増えていって、メモがいっぱいになりますね。それをいざ原稿に書くときには、情報を泣く泣くカットしていくほどです。

――原稿執筆時にはどんな苦労がありましたか?

吉田:毎回、1700字の原稿を埋めなければいけないなかで、語彙や文章力が足りていないという不安もありましたし、それを晒していく恐怖に勝たなければいけないのは苦労しました。特に最初の頃は、文字数がピンと来なくて。1700字と言われても、どれくらいなのか掴めないんです。実際に原稿用紙のフォーマットで計算してみると、5枚に満たないくらい。それを毎月埋めていけるのか、血の気が引いたのを覚えています。

 でも一方で、執筆は鍛錬にもなりました。原稿を書くことって俳優業にも通ずるんです。たとえば文章が0から1を生み出す作業であるのと同じように、俳優がまっさらな役柄に肉付けをしていく作業はとても似ていて。だから連載を続けていくなかで、俳優としても鍛えられている実感はありました。

――では、「もうやめたい」と思う瞬間は特になかったんでしょうか?

吉田:「やめたい」とまでは思わなかったんですが、「今月は無理かも……」と諦めそうになる瞬間はありました。なにを書けばいいのか、どうにもこうにも浮かばなかったんです。

――それは切り抜けるのも大変そう……。

吉田:その頃、作文の苦手な小学生が「何故、自分は文章を書くことが苦手なのか」を切々と綴った文章がネットニュースになっていたんです。いかに苦手なのかを書いているだけなのに、それがすごく面白い。そのときに「そうか、この手があったか!」と閃いて、わたしも「今月はどうにも筆が進みません」というような内容を切々と書きました(笑)。でも禁じ手なので、もう二度と同じ手は使えませんけども。それくらい追い込まれたときが一度だけあったくらいで、基本的には楽しく書かせていただいています。やはり読者の方々から反応をいただくと、書き甲斐も感じられますしね。

お母さんのおかげで書けた一冊だと思う

吉田羊さん

――ご自身のことをオープンにしている部分も少なくありませんが、執筆中に意識していることはありましたか?

吉田:書けること書けないことの線引きは明確にしていました。わたしの本業はやはり俳優なので、『ヒツジメシ』の文章が俳優業を邪魔しないように配慮しているんです。すべてをオープンにすればいいというわけではないと思うので。

 家族について書くときも、必ず許可を取っています。それこそ親の話を書くときも家族全員で審議して、「ここまでは書いてもいいですよ」と許可されたなかで執筆しました。

――本書の最後のページには、お母さんとのツーショットが載っていますよね。

吉田:あの写真を掲載するときも、事前に家族全員に相談しました。ただ、モザイクをかけるという手段もあったかもしれませんが、それは嫌だったんです。なんだかやましいものを載せているみたいじゃないですか。いまのわたしを形作っている原点には必ず母がいて、彼女の存在はとても大きい。だからこそ、正々堂々と載せたくて、「モザイクなしで載せてもいいですか?」と相談しました。するときょうだいからは「お母さん、綺麗に写っているしいいんじゃない?」と言ってもらえたので、最後のページに忍ばせたというわけです。

――お母さんが読んだらすごく喜んでくれそうですね。

吉田:ですよね。読んでほしかったな。もしも伝えられるとしたら、「お母さんのおかげで、こうして一冊の本が書けたよ」と。

――気が早いかもしれませんが、今後も連載を続けていった後に2冊目の『ヒツジメシ』も楽しみにしています。

吉田:連載モノって書籍化すると終わったりするじゃないですか。だからちょっと怖いんですけど、続けさせていただけるなら頑張りたいですね。今回、書籍には収録できなかったお店もありますし、海外編なんかもあるんですよ。個人的には海外編でまた一冊出せたらいいなと思っていますけど、そのためにはもっともっとネタを増やしていかないと。うん、まずはせっせと取材をして、肩を叩かれるまではコツコツ書いていこうと思います。

写真=嶋田礼奈(講談社) ヘアメイク=赤松絵利(ESPER)

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