母、認知症。姉、ダウン症。父、酔っ払い…どうにもならない現状も、真っただなかから描く! 1回で1200万以上閲覧された、にしおかすみこの家族・介護エッセイ

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/29

にしおかすみこさん

 久々に実家に帰ったら、“石にされる――”と思うほど、これまで見たことのないほど、家は荒れていた。そして、母の様子がなんだかすごくおかしい……。“母、八十歳、認知症。姉、四十七歳、ダウン症。父、八十一歳、酔っ払い。ついでに私は元SM女王様キャラの一発屋の女芸人。四十五歳、独身、行き遅れ。全員ポンコツである”という一文から始まる書籍『ポンコツ一家』(講談社)。2021年、「FRaU web」で連載スタートするなり、1回で1200万PV超を記録した人気連載が、書き下ろしも加えて待望の1冊に。執筆中の気持ち、そのなかで決めていたこと、そして家族のことについて、著者のにしおかすみこさんにお話を伺った。

(取材・文=河村道子 写真=川口宗道)

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――“一緒に暮らし始めてわかったことが一つ。どうにもならない!”。冒頭の「実家が砂場になっていた」でそう記されていらっしゃいますが、“どうにもならない!”は、この一冊のなかに頻繁に登場するワード。それを言っては身も蓋もないけど、正直でまっすぐなそのひと言が響いてきました。

にしおかすみこさん(以下、にしおか) ほんとにどうにもならない現状なんですよ。だからどうにもならないことは放っておいていいんじゃないか、そんなに背負わずとも、仕方ないか、と思いながらその言葉を綴っていました。

――実際にご家族の介護をされている方、今はそうでなくても「他人事じゃない」と思った方々は、その言葉、そこから滲んでくるそのお気持ちに、肩の力が少し緩まったのではないでしょうか。「実家が砂場になっていた」は1回で1200万PVを超える途方もない反響を呼びました。

にしおか それがどれくらいすごいことなのか、ピンときていないんです。でもすごくうれしいです、話題になってほしいという気持ちはすごくあったから。さらに話題になったとき、非難が来るだろうなという思いも強かったので、まさかこんなにも温かいお言葉をたくさんいただけるなんて。なんで皆さん、こんなやさしいんだろうって。読んでくださった方に、元気になってほしいという思いで私は書いているんですけど、逆に元気をいただいています。

――「どうにもならない」気持ちを書かれているとき、家族の現実はご自身の内側から見ていましたか、俯瞰して見ていましたか?

にしおか 内側からです。そして中でぐちゃぐちゃです(笑)。私は何かを俯瞰で見られたこと一度もないんです。

――にしおかさんの芸を見ていると、俯瞰で物事を見ていらっしゃるのかなと。

にしおか SMの女王様は内側も内側! 真っただなかからです(笑)。俯瞰したらお仕置きできないです(笑)。

――ご家族のことも真っただなかから見ていたのですね。

にしおか とにかく巻き込まれるので(笑)。部屋にいても勝手に入ってきますし、最近よくあるのが、トイレに入っているときに限って母が来て、ドアの外から「悩み事があるんですけど」って話すんですよ。「出てからでもよくない?」って思うんですけど(笑)。牧師さんが懺悔室から話を聞くじゃないですか。それと比べるのはたいへん失礼なんですけど、そんな気持ちになります。それも大した話じゃないんです。「お風呂に入りたくないんだけど、髪の毛がかゆい、どうしましょう」とか、ゴミの日に「袋がいっぱいあるんだけど、これ全部出すとご近所さんに迷惑ですかね」とか(笑)。

にしおかすみこさん

――そうした「どうにもならない」家族の日常を「書く」という行為は、ご自身の気持ちにどんな作用を及ぼしましたか?

にしおか 気が晴れるとか、紛れるとか、そういうことがあったらいいんですけど、ないですね(笑)。家族の日常については、何かあったらメモするようにしているんです。連載も本も、1年前のことを書いているんですけど、書くときは、その当時のことを振り返るんです。すると、腹を立てていたことがぶり返すこともあるし、なんとなく笑えるときもある。整理整頓できたことはないんですけど、そういうときに自分の気持ちを書いてみるんです。その気持ちに言葉をいくつも当てはめてみて、しっくりしないときは、「あ、私、実はそうは思っていないんだな」と、自分の気持ちを振り返ってみて。そんな作業をしながら書いています。

――おそらくその光景を目の前にすると、壮絶であろう家族の現実。けれど、にしおかさんの書く文章にはユーモアがあり、あたたかさがあり、なかでも「この温度感が好き」と思ったのが、押しつけがましくない「家族」です。

にしおか 私自身、「家族って何?」ということをわかっていないから、そういう風に読んでいただけるのかなと。連載を始めてから「家族とは?」という質問をよくされるんですけど、言い切れたことが一度もなくて。わからないから、そういう書き方になるんだと思います。

――「家族」、わからないですか?

にしおか 全然、わからないですね。どう言葉を尽くしても、ちょっと歯が浮くというか、ムズムズしちゃって。どれも間違いではないんでしょうけど、自分の口から出た「家族」に対する言葉にしっくり来たことはないなぁと思っています。

――その「わからない」も含め、ひと言では言い尽くせない気持ちの粒子が、この一冊のなかの隅々にまで入っていたので響いてきたというか。読み手に伝えるため、一番大切にしていたことは何ですか?

にしおか まず誇張しないということ。そして、きれいごとではないので、きれいごとは書かないということに気を付けていました。さらに認知症の方、障害のある方、その方々を見守る方に対してもそうですけれど、盛ったエピソードを書いたとき、「認知症ってそういうことするの?」と誤解されたくなかったし、そういうイメージも持たれたくなかった。うちの母がやってもいないことを書くのもいやだったので、誇張しない、ということを一番、大切にしていました。

――“衰退の背比べ”“居間にデタラメなタレコミ屋がいる”“下からポロリ事件に感謝!”など、ご家族、殊にお母さんとのやりとりを、ひと言でバシッと表現されるところも、お笑いのツッコミのようで楽しくて。そのひと言が作中に現れると、吹き出してしまいます。

にしおか “下からポロリ事件”に関しては母が言ったことです。それは母のセンスですね。天然で言っていると思うんですけど(笑)。

――ご家族の介護支援を受けるか迷う「地域包括支援センターと冷凍マグロ」という章で、庭で倒れたお母さんとの大変なやりとりのなか、“なぜ笑うんだろう”と立ち止まる場面が出てきます。人を笑わせる生業のにしおかさんが、“何で笑うの?”と問いを持つ。家族のなかにあるどうにもならない現実を通し、“笑い”ってなんだろう、という思いが出てきました。

にしおか “笑い”ってなんなんでしょうね。でも実家に戻ってから、母ともめたあとに、たまにふたりで一緒に笑うようにもなりました。なんで笑っているかわからないときもあるし、切なくても、怒ってても、最終的には笑っていたりするから。「なんで笑っているんだろうね」と言いながら、お互い笑っていたりするんです。実家に戻ったばかりの頃、母は絶対に笑わなかったから、今、なんで笑っているかわからなくても2人で可笑しいんだから、ま、いいかみたいな。あんなに喧嘩していたけど、笑ったからまぁ、良し! みたいな(笑)。仕事で「これは100点だ!」と思うネタを作って舞台に立ち、大滑りしたときも「笑いって何?」って思うので、もうわかんないですよね、“笑い”って。

にしおかすみこさん

――ひとつ年上のダウン症のおねえちゃんの描写も可愛らしくて。自身が認知症になっても、お姉ちゃんを第一に考えられるお母さんの様子も。

にしおか そうですね。母と姉は一心同体というか、一蓮托生というか。

――言ってはいけないことを、おねえちゃんに対し、つい口にしてしまった自分が嫌になり、家を飛び出した「大晦日の大事件」や、幼少期の姉妹の記憶についても遡っていった「姉のバタフライ」などは、まるで物語を読んでいるようでした。

にしおか ありがとうございます。でも、ただそのままを書いていただけなんです。平等に母は育ててくれてはいたんですけど、「おねえちゃんばっかり」という思いは、幼い頃、ちょっとだけありました。けど今はもう、いいんじゃないかと。やっぱり姉を一番大事に考えている母が好きですし、そうであってほしいし。

――時々顔を出してくる、おねえちゃんが、“すみちゃん”を大切にしているエピソードも素敵です。

にしおか おねえちゃん、やさしいんですよ。でも、姉の言わんとしていることをすんなり理解できるのは母なんです。どういう意味で言ってるのかな? と、私が戸惑っていると、母が、「こういうことよ」って、すっと言うときがほとんどなんです。

――淡々と書かれていく現実のなかに、するっと入り込む感傷。そのバランスが絶妙で。それについて、“何より勝手に感傷に浸ったことが恥ずかしい”“私のセンチメンタル、穴を掘って埋めたい”と、自分の頭を叩いているようなところも、気持ちに寄り添ってきます。

にしおか センチメンタルになるときもあって。そんなとき、正直に自分の気持ちを書くんですけれど、あとで読み返すと「これ、自分よがりだよね」って恥ずかしくなるんです。だからその「恥ずかしい」も、そのまま「恥ずかしい」って書いてしまいました(笑)。

――“ブチ切れセールのような日”を綴った章「ソワソワ」のなかでは、“ふつうってなに?”ということを自問されています。ふつうの家族って何? 家族のふつうって何? と。

にしおか 「ふつう」ってなんでしょうかね。でも「ふつう」ってみんなそれぞれですよね。家族のなかでもふつうの基準は違うし、自分がそれを「ふつう」だと思ったらそれでいいんじゃない? と。自分の「ふつう」が「自分のふつう」。いこごちのいい状態がふつう、でいいと思うんです。

――連載をしていることが、家族にわかったとき、いったん騒動は起きたけれど、お父さんからは「みんなから愛されるものを書きなさい」、そしてお母さんからは「あんたの文章を好きになってもらいなさい」と温かな言葉がかけられたのですね。

にしおか そしてありがたいことに、その連載がこうして一冊になって。やっぱりうれしくて、母にはちらっと言っちゃったんですけど、「誰が買うんだ?」って言ってました(笑)。その返しに「さすが身内!」だなって(笑)。でも本が出るということはすごいことだというのは母もわかっているので、「いろんな方に感謝しなさい」と言われ続けています。

にしおかすみこさん

――この一冊のなかにも、お母さんの発信する「感謝を大切にする気持ち」が滲んでいますね。

にしおか 実家に戻ってきてから、誰に対しても、それが人でなく物であっても、母は「感謝する気持ち」を多めに持っているんだなぁと。そして母はやっぱり姉と私を一番に考えてくれているんだなぁ、親だなぁと思います。この先、どこまで親でいてくれますかね。

――“いつか整理整頓するから。私の頭の中の引き出しに全部一緒に入れていこう”という言葉がはじめのほうに出てきますが、このエッセイはまさにその引き出し。本が刊行される今、その引き出しのなかは整理できましたか?

にしおか 整理以前に今も開かない状態です(笑)。最初に入れたものがどこに行っているかもわからないし、たとえば3人がみんないなくなったとき、この引き出しが開くかどうかもわからない。でもそのなかのものが、こうして本になったので、読んでくださる方と、その一部を共有させていただいている感があって、すごくありがたいなと思います。この本はまさに私の引き出し。どうぞ共有してください!

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