いつもそばにあった、母からの愛情に気づく絵本。累計70万部を突破! 『ちいさなあなたへ』インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/5/13

ちいさなあなたへ
ちいさなあなたへ』(主婦の友社)

 2008年の刊行以来、50回以上の重版を重ね、累計70万部を突破した絵本『ちいさなあなたへ』(主婦の友社)。作者アリスン・マギーさんの住むアメリカでは、NYタイムズやAmazonの児童書分野でハリー・ポッターをおしのけて1位の座を獲得したこともあるほどの人気で、今なお読み継がれている。母から子への愛情だけでなく、生きていくことの可能性についても描いた同作。原作者のアリスン・マギーさんと翻訳者のなかがわちひろさんにお話をうかがった。

(取材・文=立花もも)

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――絵本『ちいさなあなたへ』は、どのようなきっかけで生まれたのでしょう?

アリスン・マギーさん
アリスン・マギーさん

アリスン・マギーさん(以下、マギー) 絵本が刊行される5年ほど前の晩のことです。当時6歳だった子どもの部屋をのぞいてみたら、夏の暑さに耐えきれなかったのでしょう、パジャマの上だけ脱いで、うつぶせに寝ていました。月の光が窓から差し込むなか、すやすやと眠る子どもの顔を見ているうちに、この子のこれからの人生に、いつのまにか思いを巡らせていました。これからどんな人生を歩むのだろう、その人生にはどんなことが起きるのだろう、と考えたことを、すぐさま詩として書き留めました。そのときの詩は本当にひどい出来だったんですが(笑)、ここには何かがあると感じ、書き直しました。親から子への愛情というだけでなく、何か、人生の軌跡を感じられるような作品にしたいと思ったんです。

なかがわちひろさん
なかがわちひろさん

なかがわちひろさん(以下、なかがわ) 実は、最初に編集者から打診されたときは、あまり乗り気ではなかったんですよ。私は子どものための作家・翻訳家でありたいと思っているので、大人に向けた作品の仕事はお受けしないのは編集者も知っているはず。それなのに、なぜ……と読みはじめたら、ぐっと胸をつかまれてしまった。私自身の来し方や親しい友人たちの状況などが脳裏を駆け巡り、これは仕事というよりも、プライベートなものとして訳したい、という気持ちになったんです。

マギー 人生というのは、川のようなもの。日々、さまざまな出来事に遭遇していくなかで、私たちは経験を積み、感情や気づきを得ていきます。けれど、起きた出来事の重みや意味を、その瞬間にはうまくつかみとれないまま、流されていってしまうこともしばしば。人が過去をふりかえらずにはいられないのも、その経験が自分にとってどういうものであったのか気づくために時間を要するからかもしれません。親がどういう存在であったのか、どういう想いでいたのか、というのも同じ。絵本の最後に、人生の終わりを迎えたひとりの女性が母親の、そして自分の歩んできた道をふりかえる場面を描いたのは、彼女の姿を通じて、読者のみなさんも人生をふりかえり、それがいかに貴重でかけがえのないものだったか確かめられるものであったらいいなと思ったからでした。

なかがわ 人生を川にたとえるようなアリスンの感性が、言葉や文化の壁をこえて私たちの心に響くのではないでしょうか。アリスンの文章は詩であって、その奥底には、人が誰しも抱いている信仰のようなものがある。特定の宗教という意味ではなく、心を自然に寄せて、人生を深く広いものとしてとらえているのを感じるんです。そんな彼女の姿勢に私たちは共鳴し、心打たれるのでしょう。訳すのはとても大変でしたけどね(笑)。

マギー 文章というのは、書いた人の魂がこめられたものなので、それを自分の身の内に入れ、さらに別の言語で出力し直すというのは、本当に大変な作業だと思います。でも、ちひろさんはただ言葉を直訳するのではなく、どうすれば言葉の本質を表現できるかということに、真摯に向き合っている方だということは、お会いする前、メールのやりとりをしているときから感じていました。そういう方だからこそ、翻訳という魔法のような仕事ができるのでしょう。

ちいさなあなたへ

――訳すうえで、心がけていたことはありますか?

なかがわ 英語のリズムを身体に入れて、できるだけ似た響きの日本語を探し、アリスンの言葉の魅力をどうすれば再現できるかを常に意識していました。それから、文化の違いも。アメリカでは、子どもが18歳になると家を出るのが一般的ですが、日本では必ずしもそうとは限らない。社会的な習慣の違いが目立つと気が散ってしまうので、そこはなるべくなじませるようにつとめていました。

マギー 国や文化によって多少の差はあれど、親というのは我が子に対し、常に、人生の豊かさを謳歌してほしいと願うもの。けれど人生には幸福ばかりが訪れるわけではないし、山あり谷ありの道を抜けた先には必ず終わりが待っています。私たちは誰しも、いずれ、愛する人たちを残してこの世を去っていかねばならない。そして残された人たちは、その先もみずからの力で生き延びていかねばならない。私がこの絵本で表現しようとした、そうした人生のシンプルな真実は、どの国で、どんな言葉を話し、どんな洋服を身にまとっていても変わらないはずなので、多くの読者の心に届いてくれたのかなと思います。

ちいさなあなたへ

なかがわ 刊行されてすぐのころ、講演で北海道を訪れ、50代の女性と、80歳近い女性に絵本をプレゼントしたことがあるんです。お二人は向い合わせにすわってそれぞれ、静かに絵本を読みながら「こんな日があったわね」「そうね、本当に」と涙を浮かべていました。でもね、お二人とも、まったく違うページを見ていたんですよ。そんな情景を、それ以後も何度か目にする機会を得ました。ひとりひとりが心の内にしまっている大切な情景に想いを馳せながら、深いところで共感できるのも、この絵本のもつ力だと思います。

――愛というのは、深く優しいものでありながら、ときに大事な人を縛り付けてしまう危うさもあります。この絵本では、手放すこと、遠い場所から見守ることの大切さも描かれているのが素敵だなと思いました。

ちいさなあなたへ

マギー 子どもであれ、パートナーであれ、とても大事で愛おしい人がいると、相手は自分と異なる人生を歩んでいるのだ、と理解するのが難しく、相手をコントロールしたくなることもありますよね。私も、子どもが18歳になって、大学進学で家を出るときは、親としてそれまでにないつらい思いを味わいました。もう私の小さな子どもではないということをまざまざと突き付けられた気がしたんです。もちろん、何歳になっても我が子は我が子ですし、ときどきは帰ってくることがあるのもわかっています。けれど、自分の一部ではなくなった、と思い知らされるのは、やっぱりつらかったですね。

――その気持ちを、どんなふうに乗り越えたのでしょう。

マギー 私が十代のときに知った言葉の一節に「誰かを愛するなら、その人を自由にさせなさい」というものがあります。今でも誰かを愛しいと思ったときは、頭の中でこの言葉をくりかえすようにしているのですが、私自身、自分を愛してくれる人たちが、私を信じて好きなようにさせてくれる、そのままの私をまるごと受け入れてくれると感じられるときが、いちばん嬉しい。たとえば、私は作家として生涯をつらぬきたいと思っているのに、それに対して嫉妬心を向けられたり、制限されたり、私の根幹にかかわることを変えてほしいと望まれたりしたら、ものすごくつらいですよね。私も、愛する人にそんな思いを味わわせたくはない。愛する人には、自分が最も愛されていると感じることを、してあげたいと思っています。

なかがわ かつて、アメリカの方に「I believe in you.(あなたを信じています)」と言われたことがあります。なぜ「I believe you」とはせず「in」を挿入したのだろう、と考えたとき、私という存在自体を信じるという意味だったのかもしれない、と思いました。愛というのは、そのときどきでかたちが変わっていくもので、たとえば生まれたばかりの赤子を放置して自由にさせておくのは愛とはいえない。はじめて転んだときは、もちろん抱き起こしてあげるはずです。けれどその先、ふたたび転んだときは、あえて手を差し伸べず、自力で立ち上がる姿を見守ることが必要になる。さらに成長すれば、アリスンの言うとおり、自分とは異なる人生を歩む個人として認め、手放す時期がやってくる。そんなふうに、距離のとりかたを変えていくテクニックも、誰かを愛するためには必要なのでしょう。

ちいさなあなたへ

――お話を聞いているだけで、お二人の感性が深く共鳴しているのを感じますが、はじめてお会いした印象はいかがだったのでしょう。

なかがわ リアルで対面できたのは、2019年にアリスンが来日したときですが、「思ったより背が高い/低いのね」とお互いに言い合ったこと以外はなんの違和感もなく、昔ながらの友人にようやく再会できた、という気持ちでした。そのあと、イベント会場に向かう車の中でも、ずっとおしゃべりしていて、打ち合わせするのを忘れていたくらい(笑)。やっぱりアリスンだな、と感じたのは、ホテルの裏の小さな側溝を流れる桜の花びら……いわゆる花筏をしゃがんでスマホで撮影しているのを見たときですね。はじめて訪れた日本のささやかな美しさも見逃さずに五感で吸収しているのを感じました。

マギー ちひろさんも、想像していたとおり、人間というものを深く直感的に理解している方で、一緒にいるのがとても心地よかったです。イベントを終えたあと、一緒に金沢へ旅行したのですが、仕事で来たことを忘れるくらい、楽しかった。

なかがわ でも、最後はひとりで東京の街を歩きたいといって、別行動しましたよね。大丈夫かな? と心配でしたが、詩人には一人旅が必要なんですよね。あとからあちこち歩き回った写真が送られてきたので、ホッとしました。

マギー 本当に、天啓を受けたかのような、特別な時間を過ごしました。東京は世界有数の大都市であるにもかかわらず、歩いていていやな気分になることが一度もなかったんですよね。クラクションを鳴らして大騒ぎする人もいないし、お店に入れば小さなものでも必ず素敵にラッピングしてくれる。誰もが、お互いが気持ちよく過ごすためにはどうすればいいのか、あたりまえのように考え、行動しているという印象を受けました。もちろんアメリカでも、困っていれば誰かが助けてくれますが、助けてくれようとする人同士が、ああでもない、こうでもないと議論をはじめて収拾がつかなくなることがよくある(笑)。日本の方々はみんな穏やかで、常に優しく物事を進めようとしている。ほかの国では見たことのない光景ですし、そんな日本のみなさんに絵本を読んでいただけていることを、心から嬉しく思います。

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