どうしても描きたかったのは暴力的なまでの生命力でした『アリスとテレスのまぼろし工場』岡田麿里インタビュー

文芸・カルチャー

更新日:2023/8/4

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年9月号からの転載になります。

岡田麿里さん

 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』など脚本家として数々の傑作に携わりながら、2018年公開のアニメーション映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』では脚本のみならず初監督も務めた、岡田麿里

取材・文=吉田大助

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 アニメーター経験のない脚本家が劇場用長編アニメの監督を務めることは極めて異例だが、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で第5回ニューウェーブアワード(クリエイター部門)を受賞するなど結果を残した。9月15日公開予定の『アリスとテレスのまぼろし工場』は、業界最注目のアニメーションスタジオ・MAPPAとタッグを組んだ、待望の監督第2作だ。

 映画公開が待たれるなか、ひと足先に原作小説が刊行された。岡田が自作脚本をもとに小説を執筆するのは、『あの花』以来7年ぶりとなる。実は、小説版『あの花』の下巻刊行時の本誌インタビューの時に、こんなことを語っていた。「小説だからできることって、いっぱいあるんだと気付きました」「次はアニメとは関係なく、新しい話を最初から小説で書いてみたいです」。それこそが、本作。もともと小説の企画として始まったものだった。アイデアの出発点は、狼少女──狼に育てられたとされる人間の女の子──だ。

「素性の知れない野生動物みたいな狼少女と、街に暮らす嘘ばかりつく狼少年みたいな女の子の話。子供の頃に哲学者のアリストテレスという名前を、アリスとテレスという2人組の名前だと勘違いしていたことを思い出して。自分なりに生きることについてつきつめて考えていきたかったのもあって、『狼少女のアリスとテレス』という仮タイトルで原稿を書き進めていました」

 執筆の途中で、現在のタイトルである「まぼろし」に関わるイメージを取り入れた。

「『凪のあすから』(*シリーズ構成を担当した2013年〜14年放送のテレビアニメ)を作る時、スタッフと三重へロケハンに行ったんです。海沿いの街を見に行ったんですが、そこで使われなくなった駅舎だとか、誰も住んでいない家や閉まってしまったお店なども目にすることになったんですね。その風景のことを思い出すうちに、“土地が見る夢”というイメージが湧いてきました。昔は栄えていた街からどんどん人がいなくなっていった時、その土地はどんなことを考えるんだろう、賑やかだった頃の夢を見たりするのかな、と」

 ただ……どうしても筆が止まってしまったのだという。

「題材への思い入れもあるし書きたい気持ちもすごくあるのに、どうしても原稿が進まなかった。“小説だけ書いているから書けないんじゃない?”と思ったんです。アニメの脚本を書いてから小説にするやり方が私には向いているんじゃないか、と。そんな時にMAPPAの大塚(学)さんからオリジナル脚本で監督もどうかというお話が来て、ダメモトでこの企画を提出したら“これをやりましょう”と言っていただけたんです」

脚本だけを書いていたら出せなかったゴーサイン

 製鉄所を擁する海と山に囲まれた田舎町、見伏。ある冬の日、製鉄所が爆発したかと思いきや何事もなかったかのように元の姿へと戻ったが、夜空に巨大な亀裂が入っていた。と、製鉄所から出る煙が狼の群れの姿になり、ひび割れの隙間へと潜り込んでいった。ひびはパテで埋められたように修復され静寂が復活、しかし、その日から見伏は同じような日々に閉じこめられるようになり……。

 文章を追ううちに脳内でくっきりと映像が再生される冒頭のワンシーンで、いきなり心を掴まれる。

「物語を作る脳みそではなく、映像を作る脳みそで考えていった部分が今回は多く入り込んでいるかなと思います。『あの花』の小説を書いた時はできあがった映像が既にあって、その映像に文章を追いつかせなければと頑張っていました。今回は脚本のみで映像ができあがっていなかったからこそ、より自由に言葉で表現することができたんだと思います」

 小説は、時が止まった街で暮らす中学3年生・正宗の視点で進んでいく。文字通り「変わらない日常」の中で、いつか世界が元の状態へと戻った時のために、住人たちは「変わらないこと」を自分たちに課していた。退屈と鬱屈を持て余す日々の中、正宗は謎めいた同級生の睦実にいざなわれ、製鉄所の高炉へと足を踏み入れる。そこにいたのは、喋ることができない野生の少女だった。無垢な狼少女と、嘘ばかりつく狼少年のような少女。奇妙な愛情を交歓する2人の間に正宗が入り込み、三角関係が生まれたことから世界は少しずつ変わっていく。

 設定的にはファンタジーだが、描かれているのは岡田麿里の真骨頂。痛いほどの恋と青春のリアルだ。

「恋をして心臓がバーンって飛び跳ねるような感覚って、生きているという実感に直結していると思うんです。温度が低く停滞した世界を舞台にしているからこそ、その実感が映える」

 ずっと書いてみたかったけれど書けなかった感情が、この世界だから書けたのだという。

「“あいつ、押せばいけるんじゃないか?”と思った瞬間に、ちょっと好きだった状態から、ものすごく好きになる。そういうことって思春期あるあるかなって(笑)。そんなキャラクター、普通だったら主人公として成立しづらいんですが、この話だったら書ける。というのも、今回私は監督もやるので、セリフだけではなくビジュアルや小さな表情の変化も決めることができるんです。卑怯と思われるかもしれない感情を、ホストっぽいイケメン男子で表現するのは引っかかるけれど、正宗みたいなビジュアルのキャラクターだったらギリギリ許されるはず。脚本だけを書いていたら絶対に出してもらえなかったゴーサインを、監督としての自分が出してくれました(笑)」

 時間が止まった世界の謎とともに狼少女の正体の謎が解ける時、物語は今まで誰も見たことのない光を放ち出す。そして……。

「小説でもたっぷり文字数を割いたんですが、アニメ史上一番長いキスシーンをやりたかったんです。絵コンテを見て“さすがにこれは長すぎじゃないか?”と一瞬日和ったんですが(笑)、そのままにしてよかったなと今は確信しています」

ものを書くエネルギーの源は共同作業にしかない

 小説の企画から長きにわたり、この物語に惹きつけられた理由はどこにあるのか。

「私がこの物語を通して一番描きたかったのは、アイデアの出発点になった狼少女に象徴される、暴力的なまでの生命力だったんだと思います。でも、アニメで生命力を表現することって、脚本だけ、セリフだけ書いていたら絶対に叶わないことなんですよね。全分野の全てのスタッフさんの力を合わせることで、ようやく実現することができるもの。だからこそ、アニメには強い力があるんですよね。そこに小説も、少しでも近づけたらなと」

 本書は脚本完成後、監督業を兼務しながら書き上げた。

「『狼少女のアリスとテレス』というタイトルで書いていた頃の文章を読み返したら、当時の私の“小説を書きたい!”という気持ちが伝わってきて、じんわりきました。小説を書く作業自体も、作品についてスタッフのみんなと話し合い、一緒に作っていく過程があったからこそ書きあげることができた。ジャンルが変わっても、自分がものを書くエネルギーの源は共同作業にしかないのだなと痛感しました。小説が先でも後でも、どちらでも大丈夫です。この物語だから表現できた、暴力的な生命力に触れていただけると嬉しいです」

岡田麿里
おかだ・まり●2011年に『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本を手がけ、一躍脚光を浴びる。その後、『心が叫びたがってるんだ。』『空の青さを知る人よ』など数々のヒット作の脚本を担当。初監督作品の『さよならの朝に約束の花をかざろう』では、第21回上海国際映画祭でアニメーション最優秀作品賞を受賞するなど、アニメーション監督としても世界で注目を集めている。