親の借金を肩代わりしたけど“毒親”じゃない。「愛してるよ、と言えない不器用な人たちだったけど、心のどこかに愛があった」猫沢エミが語る、最強ネガティブ家族が残してくれたもの

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/12/23

猫沢エミ
撮影:関めぐみ

 故郷・福島の両親を看取り、2022年2月から再びパリに渡った、ミュージシャンであり文筆家の猫沢エミさん。移住には「長い猫沢家の歴史の清算」という意味が少なからずあったとか。

 最新エッセイ『猫沢家の一族』(集英社)には、猫沢さんが家族と過ごした幼少期から青春時代にかけての追憶が、現在暮らすパリの日常と共にユーモラスに綴られている。

“ヅラ”で裸族かつ虚栄心の塊のような父、いとも簡単に嘘をつく母、誇大妄想が激しくエキセントリックな言動を繰り返す祖父——今は亡き、奇想天外だけれど、どこか愛嬌のある猫沢家の先代たち。一見すれば苦難の連続とも言える思い出を、彼女は明るく笑い飛ばす。

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 家族のこと、フランスのこと、そして「自分の人生を生きる」ことについて、猫沢さんに聞きました。

「風呂(バス)ガス爆発」や「腐ったみかん風呂」がスタンダードだった猫沢家の不思議

——先代のエピソードはどれも規格外で、こんな家族が本当にいるのか…と驚かされました。おじいちゃんが腐ったみかんがもったいないからと、お風呂に入れた話とか。

猫沢エミ(以下、猫沢):カビの匂いがすごいし、お湯がドロドロ。気分によって、謎の雑草風呂も各種作っていたんですよ。おじいちゃんの“悪意のないミス”によるお風呂のガス爆発も何度かありました。

——時には命の危険に晒されながら、誰もおじいちゃんの行動を制限しなかったというのが、また不思議なところで。

猫沢:先にお風呂に入っていた母親も「しょうがないじゃん、入れちゃったんだから。みかんがもったいないし」と、おじいちゃんに対してすごく寛容というか(笑)。

——「意外とお肌がすべすべになる」と喜んでいたそうですね(笑)。

猫沢:そんなこと言ってるから、おじいちゃんが調子に乗って腐ったみかんを3回も入れたんでしょうね。でも本当に、おじいちゃんを否定したり怒ったりする人は誰もいなかった。私もこの話を書きながら、なぜあの状況に抗おうとしなかったのかと思いましたけど、今考えれば、みんな、おじいちゃんへの愛情があったんだと思います。

——お父様の“ヅラ”ネタの数々も、笑っちゃいかんと思いながら笑いました…。

猫沢:虚栄心の塊だった父を象徴するヅラは、この本のキーワードでもありますね。カバーに載った父の写真も“載ってる”感じがすごいから、「これもヅラなの?」って友だちから散々聞かれて(笑)。父は自分がヅラであることを茶化してギャグにしていて、酒を飲んで気分が良くなると「ズラスビー大会やるぞー!」と言って、一番遠くにヅラを飛ばした人の頭に王冠のようにヅラを載せる。そういうことが、うちではスタンダードでした。

——自分の家族がちょっと変わっていることに気づいたのは、いつ頃ですか?

猫沢:社会に出てからですね。実家にいる頃は友だちを泊めるのも外泊も禁止で、たぶん普通の家と比べてほしくなかったんでしょうね。いつ父が暴れたり、おじいちゃんが奇行に走るかわからないし。

 家の中だけじゃなくて、父は飲みに行けば暴れるし、おじいちゃんは夜中に文房具屋さんのシャッターをガンガン叩いて「開けろ!」と騒ぐし…。でも、福島県白河市の人たちって他人に介入しないんですよ。こんなにめちゃくちゃやってたら村八分にされそうなところを、「あそこんちはちょっと変わってるねぇ」みたいな感じで。家族のことで私たちがいじめられたこともなかった。だから、のびのびとあるがままに暮らしていました。

親が“大グレ”だから、こっちはグレる余裕もなかった

——風変わりな家族がいると「親のせいで自分はこうなった」と親への反抗心が生まれそうですが、猫沢さんがグレるような描写はなかったですね。

猫沢:よくグレなかったね、と昔からよく言われます。人によりますけど、グレるのって、メカニズムとして親への愛があるのが前提なんですよ。親に振り向いてもらいたいから承認欲求として暴れる。うちは親が大グレしているから、グレたくてもグレる余裕がなかったんです。信じられないようなことが起きても、その状況を早く理解して納得しないと暮らしていけない。

「人間って簡単に壊れるんだな」「自分がちゃんとしないと、こんな大人になっちゃうんだ」と思っていたから、弟2人も含めて、どうしたらちゃんとした大人になれるのか、すごく早い時期から考えていました。

 私が音楽にのめり込んだのも、早く別世界に逃げ込みたいと思ったから。「人間は、一度型から出てしまうと、風が吹いただけで形が崩れるプッチンプリンみたいなもの。大人になるには型が必要」と子どもの頃から本気で思っていたから、よりかっちりとした型を得るために、若い頃からクラシックのようなアカデミックな音楽をやっていたんだと思います。

——2人の弟さんも、ご両親を反面教師に純真で真っ当な大人に育ったそうで。

猫沢:弟たちとは「あの家族は相当トチ狂ってたね。でも、どの話にも笑いがあるのが救いだね」っていう話をします。父が不倫をした時も、普通はつらい話題になると思うけど、父の不倫相手は年上の女性ばかりで完全にマザコンだったから、「まじか」「キモー」って他人事みたいに(笑)。私が弟たちを守らないとっていうサブママみたいな気持ちがあったからか、今でも弟たちとの仲はいいです。男の子って異性だと話しづらくなる時期があるけど、離れて暮らすようになってからも、常にそういうホットな家族の話題を報告し合っていましたね。

大人だって完璧ではないという人間のリアルを見せてくれた家族は「生きた標本」

——ご両親は型破りではあったけれど、いわゆる「毒親」ではなかったのだなと感じます。

猫沢:今社会で起きている家族の問題では、子どもから離れられない親が多いですよね。うちの親は自分にしか興味がないから子どもに介入しないし、自分のところに子どもを引き留めようとしなかったのが良かったんだと思います。

 日本の家族問題の背景を考えると、夫婦間の愛情が正しく交わされていないのかも。夫婦は子どもが生まれるとお父さんとお母さんになっちゃうから、セックスレスになったりして、少子化も進んでしまう。

 私の両親は最後まで男と女でしたよ。〝お母さんのランジェリーショー〟なんて、新作を買うたびに見せられていましたから。弟たちと1階のリビングでテレビを見ていたら、突然お母さんが電気をパチパチつけたり消したりしながら、「ランジェリーショー! ララララララ~」って2階から降りてきたり(笑)。

——お子さんの前で夫婦がイチャイチャするようなことも?

猫沢:動物の殺し合いみたいな喧嘩ばかりで、イチャイチャすることはなかったですけど、寝室はいつも夜になると鍵がかかっていました(笑)。それに、父は裸族だったので、“バズーカ砲”をぶら下げたまま家の中を歩き回っていて。とりあえず“人の形”をしているだけの欲望丸出しの動物。毎日サファリパークの中にいるみたいでした。

 ちゃんとした性教育を受けたわけではないけど、心も体も全部オープンになった家で育ったから、私にも日本人女子が持っているような羞恥心がないんです。それが危ないなって思う時もありますけど、人だって動物だし、大人でも完璧ではないっていう人間のリアルみたいなものを、「生きた標本」として見せてもらったのは良かったと思います。

 子どもにとってはギリギリの家だったけど、見た目だけキレイに整えようとして家庭内に無理が生じて壊れてしまっている…という日本で今よく起きている現象に比べれば、ある意味で、健全だったのかも。かといって、猫沢家の真似をしろと言われても、型破りすぎて難しいと思いますが(笑)。

フランスでは両親のあえぎ声を聞きながら育つのが当たり前

——猫沢さんが今暮らすフランスも、“動物に近い状態で生きていける街”だから好きなのだと本書で語られています。たしかにフランスは家族同士でも個人主義だし、性に対してもオープンというイメージがあります。

猫沢:フランスでは、うちみたいな家族は珍しくないと思いますよ。一人一人が強力に独立しているし、子どもはお父さんとお母さんのあえぎ声を聞きながら大人になる。もちろん、節度はありつつも(笑)。子どもは両親が愛し合っているのがわかると安心できるんです。

 今付き合っている彼には娘がいて、私が付き合うようになる前に、まだ7歳くらいだった娘から「最近ママとキスしてないけど、もうママのこと愛してないの?」って聞かれたらしくて。フランスでは、子どもがそういう質問をできるようになったら対等だとみなすし、クリスチャンは嘘をつけないので、「うん、前より愛情が目減りしたかな」って正直に言うしかない。

——本当に正直ですね。

猫沢:子どもが大きくなる過程でほとんどのカップルが一回は別れるので、小学校の中学年くらいにはファミリーネームが変わったりします。変わっていないと「おまえ、遅いな」と言われたりして。「人生は思い通りにならないもの」「愛は続かないこともある」というリアルを子どもの頃から当たり前のように見ているから、フランスの子どもは大人になるのが早いですね。

 私の知り合いのシングルマザーの友人たちも、恋人を作った時に「僕はママの彼氏のことまだよく知らないけど、彼氏がいないよりいたほうがいいと思う。ママが最近よく笑うようになったから」とか「離婚しようとした時のほうが何倍も大変だったじゃん。これからもっといいことあるよ」と年頃の息子たちから言われていました。親子が対等な関係で、親は子どもを子どものままステイさせない。

 日本では、虐待はあまり規制されないまま野放しなのに、「子どもに話してもわからない」と言って子どもの自立を妨げるようなところがありますよね。子どもってけっこういろいろ考えているものですよ。親の考えや悩みを話し、できないことも子どもに見せて、「人間って不完全だけど、それでも頑張ってるんだよ」ということを親子で共有してもいいんじゃないかな。

——猫沢さんも18歳で上京してアーティストになり、30代で会社を立ち上げるなど、大人になるのが早かったようです。

猫沢:経済的な問題もあると思いますが、日本では一度も1人暮らしをしたこともないまま年を重ねて、75歳くらいになってから親を亡くし、「今からどうやって自分の人生を見つけたらいいの?」というパターンもあるようですね。子どもが一度も家を出ず、共依存のまま年をとるのは危険だと思うんです。

 フランスでは親が子どもを見守る規制がちゃんとあって、11歳までは家の中に子どもを1人で放置すると逮捕されちゃう。日常もバカンスも親子で一緒にいる時間が長いからこそ、子どもは早く恋人を作りたいし、友だちとバカンスに行きたい。グングン大人になって、大人に夢を見ているし、早く家を出たいと思っている。親と子どもがちゃんと距離を取ったほうが健全でいられるんじゃないのかなって思います。

3姉弟で被害総額ウン千万円持っていかれたけど、頑張ったからこそ「私たちの人生」を生きる時間を残してもらった

——本書の後半では、晩年を迎えたお父様が不器用ながらも家族に愛情を示す場面があり、切なくなりました。

猫沢:父親に抱き上げられたことも褒められたこともなかったし、面と向かって「愛してるよ」とは言えないような不器用な人たちだったけど、心のどこかに本当の愛があったんですよね。子どもってそれを敏感に感じ取るから、愛さえあれば、おかしな事象が起きても子どもはちゃんと育つんだなって。

——昨年2月から新しい生活をスタートされて。今こそ始まった「自分の人生」をどのように歩んでいますか?

猫沢:今はとても幸せです。父は74歳、母は70歳になったばかりと、ちょっと早い死だったけど、弟たちと話したのは「神様は見てたね」ということ。私たちを解放してくれたんだ、私たちがちゃんと生きる時間を残してくれたんだって。2人ともやりたい放題で生きていたから、よくその歳まで生きたなって思いますけど。

 母が亡くなる前に虚言や借金がザクザク出てきて、でも癌の末期患者に怒ることもできなくて。全部尻拭いをして、私たちの貯金は一切合切持っていかれたけど、家族だから仕方がない、また働けばいい、と言って親を許して。弟は親のことを「どう許したらいいんだ」と言ったけど、私たちが頑張ったから自分の人生を生きる時間をもらえたと思えばいいんじゃないって話をしました。

——型破りだけど、どこかに笑いがあったご家族。苦難続きだった思い出をポジティブに捉えようとするパワーが、本書からも感じられました。

猫沢:この本に書かれている家族の話は氷山の一角で、ここに至るまでには悲しい話もいろいろとあったんです。家族が最強にネガティブだったから、それを打ち消すくらいポジティブでいないと生きていけなかった。でも、親に恨みを残さないためにも、その悲しみを本には書かず、最後まで力を込めてポジティブに書きました。読んでくれる人も、家族に思うことはいろいろあると思うんですよ。でも、この本と一緒に笑い飛ばして、楽になってもらえたらなと思います。

取材・文=吉田あき

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