奇跡の復興を導き、異例の出世を遂げた江戸の役人から学ぶこと――『火山に馳す 浅間大変秘抄』赤神諒インタビュー

更新日:2023/12/25

取材・文:編集部

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 江戸時代中期、浅間山で「天明の浅間焼け」と呼ばれる大噴火がありました。のちの天明の大飢饉の原因の一つになったともされる大災害です。この噴火により村のほとんど全域が埋もれ、「日本のポンペイ」とも呼ばれるかんばら村(現在の群馬県嬬恋村鎌原地区)では、幕府から派遣されたある役人の指揮のもと、奇跡的ともいえる復興が成し遂げられていました。

 その「ある役人」というのが根岸ろうもんやすもり)。下級旗本から出世し勘定奉行・南町奉行を歴任した人物で、30年以上にわたり書き溜めた雑話集「みみぶくろ」でも知られています。

 鎌原村の復興を題材とした歴史小説『火山に馳す 浅間大変秘抄』の刊行を記念して、著者の赤神諒さんに、根岸の大出世の理由や、鎌原村復興の驚きの手法、災害大国・日本の復興事業に求められることなど、たっぷりとお話を伺いました。

『火山に馳す 浅間大変秘抄』赤神諒インタビュー

江戸の大出世役人・根岸鎮衛

――本作の執筆にあたり綿密な取材をされた赤神さんに、根岸九郎左衛門とはどういう人物であったか教えていただこうと思いまして。小禄の御家人から大出世を遂げて、江戸南町奉行にまでなった人物なのですよね。

 赤神:そうなんです。お金で御家人株を買ったとされているのですが、これは当時よくある話で、父親も買っているし、根岸自身も買ってもらったみたいですね。そのままただの御家人で終わる人もいれば、彼みたいに大出世する人もいたわけです。小説ではトントン拍子で出世してしまうと面白くないので苦労人にしていますが、実際は順風満帆だったかもしれませんね。

――ものすごい大出世のようで。

 赤神:よく働いた人みたいで、たとえば勘定奉行をしていた時、大晦日の日暮れまで仕事をしていた記録が残っています。相当有能で仕事熱心な人物だったんでしょう。江戸の南町奉行はほぼ終身で勤めていて、奉行を辞めたその翌月に亡くなっているんですよ。79歳で亡くなる間際まで、18年間も。大岡忠相ほどは長くないですけど、生涯現役の人ですね。

――そんなに! 働き詰めの人生ということですね。

 赤神:多分、仕事が好きだったんじゃないかなと思うんですよ。嫌々やっていたら早死にしていたと思いますし(笑)。彼にやらせると裁判が早く済むというので人気だったらしいんです。

――それは有り難い存在ですね。

 赤神:現代でも、有能な裁判官はやっぱり早いんですよ、うまく和解を成立させたりして。きっと当時も同じでしょう。江戸時代、天領は各地にありますから、裁判の当事者がわざわざ江戸までやってくるだけで大変で、皆、早くしてくれと。根岸が担当すると早く終わるので人気があったらしいんですよ。よく話を聞いて、かつ納得させるのが上手だったんじゃないかなと思います。

――単に事務処理能力が高いというより、当事者を合意に至らせる技術があるという意味で有能ということでしょうか。

 赤神:私も以前は毎日のように裁判やっていましたけど、裁判官も当事者を和解させるには技術が必要なんです。一方のいい分をそのまま相手に伝えたら喧嘩になって、火に油を注ぐかもしれないし、伝えるべきは伝えるけれど、伝え方の問題もあるし、タイミングもあるし。いろんなことを考えて、これ以上裁判続けるのはもう嫌だなと両方に思わせるとか、だましだましやるんです(笑)。よく話を聞いて考えないと、いい落とし所も見つけられないし、当事者も乗ってこないでしょう。
 両当事者が徹底的に対立して、判決で結論を出すしかないとなると、面倒くさいし、時間がかかるし反発も食らって、感謝もされにくいでしょうね。

――弁護士さんでもある赤神さんだからこその、説得力のあるお話ですね。では根岸は人心掌握にも長けていたはずだと。

 赤神:そうですね。町奉行は大変な仕事だったでしょうが、根岸にはかなり向いていたのかもしれません。

――根岸じゃなかったら浅間の復興はこんなに早く進まなかったかもしれないですね。

 赤神:その可能性はありますよね。実際、この小説の舞台の鎌原村だけではなくて、その周辺地域も復興しなきゃいけなかったので。それを手際良くこなしていったというのは、やはり能力が高いのかなと思います。

――今ほど移動も簡単ではないし、離れた地域の情報はなかなか入ってこないわけで、そのなかで手際よくやったというのはすごいことですよね。

 赤神:はい。でも、当事者の納得というのは、いくら手際がよくてもそれだけで得られるものではないはずです。ちゃんと主張を聞いてもらえないと納得できないし、ガス抜きではないですが、よく聞いたうえで、被災者がなるほどと思える知恵を出せたから、結果が出せたんだと思うんです。「耳嚢」でもやたら聞きまくっているように、聞く能力が高かった人なんでしょうね。

耳嚢

――根岸は「耳嚢」を書き残したことでも有名です。

 赤神:他愛もない話も多いんですが、「へえ、そんな不思議な話があったのか」という、900本もの話が載っています。もともと出版を予定していなかったので、読みやすさとか、読者を喜ばせようとかいうよりは、ひたすら人から聞いて書いた感じですよね。記憶力もすごくいい人だったと思います。

――なかなかハイスペックな人のようですね。作中では妖怪好きという設定にされていますが、これはなぜでしょうか。

 赤神:「耳嚢」に妖怪がたくさん書かれているんですよ。しつこいほど出てくるので、出版する目的でもなくこれを書いたということは、本当に好きだったと思うんです。河童に幽霊に鬼火に憑き物……。しかもそれらをおもしろおかしく書くというよりは、馬よりは小さいが犬よりは大きいとか、見た目は毛皮なんだけど触ってみるとねっとりしてるとか、客観的な描写を一生懸命にやっていて、もしかしたら実在すると信じていたのかもしれません。幽霊とか、お化けとかだけじゃなくて、鉢植えの梅が恩返ししてくれたといった話もありますね。そういう話を当たり前にたくさん書いているので、妖怪好きというのは史実に沿ったつもりの設定です。

――そうだったんですね。本作の根岸の人物造形は、史実に基づいた部分がかなり多いということがわかってきましたが、逆に赤神さんオリジナルの設定はどのあたりですか?

 赤神:まず、彼の風体がわからないんですよ。器の大きな人物であるということで大柄な設定にしていますが、デーダラボッチというのは私の創作です。出自も、お兄さんが早く亡くなっているのと、子供も幼くして亡くしていることも事実のようですが、その周辺のドラマは創作です。

――根岸に関して、なにか面白いと思った逸話などはありましたか?

 赤神:いくつもあるんですよね。足を洗った盗賊を召使いにしていたという話があります。元盗賊はちょっと、使いにくい気がしますよね。財産盗んで逃げちゃうかもしれないし。人を信じるというか、信じた以上は使うというか、そういうところは達観した人だったのかなと思います。

――人間の器が大きい。

 赤神:悪く書かれている記録も少しはあって――ねたみそねみはどの時代にもあるので割り引いて考えなきゃいけないんですけど――松平定信に会いに行った時にわざわざボロボロの服装で行ったらしく、それが見え見えの打算だとか、悪口として残っています。松平定信はケチな人なので、それがウケて取り立てられたそうで、根岸の計算もあったのかもしれませんが。そんな人だから、盗賊を召使いにしてもあまり盗むものがなかったのかも。

――ボロボロで正解だったんですね。

 赤神:それから、佐渡奉行をやっていた時期に、日本海側なので結構、で海が荒れる時があるんですけど、船がえらく揺れて、他の人が吐いたりして大変な時に、根岸は平然と弁当を食べていたっていう、そんなエピソードも残っていて。肝の据わった人物だったのかなと。
 ほかにも、公金横領をした役人がずっと黙秘を貫いていたのに、根岸にはぽろっと白状をしてしまったというエピソードもあります。詳細は不明ですが、知恵も魅力もある人物だったのでしょうね。

――やはり「聞く」ことが得意であったようですね。

 赤神:聞かないと期待には応えられないし、成果も出せないでしょうからね。

大出世の秘訣

――根岸はなぜこんなに出世したのか、赤神さんの分析を伺いたいと思っていたのですが、これまでのお話の中に既にヒントがありましたね。「話をちゃんと聞く」など。

 赤神:一つ注目すべきなのは、田沼意次から松平定信の時代に変わったときも、根岸は普通に出世していることですね。これはなかなかすごい話で、政治信条に拘るより大局を見ている人なんだろうと思います。
 博打がらみで些細な揉め事があったりしても、見て見ぬふりをしたというエピソードも伝わっていまして、細かいことも全部、正義を貫くという杓子定規な人ではなく、おおらかなところもあったようです。だからこそ認められたし、要は使える人だったのでしょう。職人的な所も評価されたのかもしれません。

――前提として、田沼意次から松平定信に権力が移った時、田沼派の役人の多くは失脚しているということですよね。根岸が例外で。

 赤神:作中にも登場する水野忠友や松本秀持などは皆、失脚してるんですよ。田沼家も没落していますし。
 根岸も賄賂をもらっていたという説もあって、他方で、それは僻み・やっかみのでっち上げという説もある。潔癖症の松平定信から取り立てられるということは、叩いてもほこりが出ない人だったのかも知れません。腐敗したと言われる田沼時代では珍しい人だったんじゃないかなと考えています。

再評価される田沼意次

――田沼意次のことも伺っておきたいと思います。最初に根岸を取り立てたのが田沼ですよね。田沼時代は賄賂政治、汚職の時代と評価されてきたと認識しているのですが。

 赤神:私もかつて学校でそう習っていて、悪い奴だったというイメージなのですが、冷静に考えると、といっても私ではなく歴史学者が言っていることですが、徳川吉宗は良いことをやったように見られているけれども結局のところ増税して、農民を苦しめた。ひたすら緊縮財政で、みんな苦しかった、よく我慢した時代だと。
 吉宗や松平定信のように、とにかく引き締めろ、我慢せよと言うことは、わりと誰でもできると思うんですよ。さして知恵も要らない。一方、田沼は商人に課税する方に舵を切った。彼がやった新しいことは、やはり発想、才能と胆力がなければできなかったと思うんですよね。

――この時代様々な改革が試みられますが、革新的なのは田沼であったと。

 赤神:江戸幕府が始まってから150年以上経っていて、たまに改革してはきたけれど、結局増税と緊縮財政、節約だった。その流れのなかで、小説にも書いた新しいことをやり続けたのはすごいことです。父親が吉宗に取り立てられて出世してきた人で、田沼自身も最大で6万石ぐらいで、もともと失うものがそれほどない境涯だからできたという面もあるでしょうか。
 なにか新しいことをしようとすると、利権を脅かすし、自分の保身にも響く、摩擦が大きくなるだけなので、やらない方が絶対楽なんですよね。しかし緊縮財政で閉塞していた幕閣をガラッと変えて、新しい知恵と行動力を持ち込んだ。そういう意味で、田沼意次は再評価されているように、それなりの人物だったろうと。

――失うものがないというのもまたポイントかもしれないですね。もともと身分の高い武士でないから、後ろ盾がないからこそ新しいことができるというか。

 赤神:根岸も水野も松本も同様に、下位の役人なんですよね。田沼は彼らを能力だけで取り立てて活躍させている、その意味でも再評価されてしかるべき人だと思います。
 これが松平家の偉い人だったりすると、先祖代々のしきたりがどうとか、家臣もたくさんいて路頭に迷わせたりできないし、大変かもしれないんですけど。田沼は一代で終わったようなものですから。私も歴史の授業で習ってきた田沼意次像とは違うイメージを今はもっていますね。だから小説では、かっこよく描きました。

災害復興の「正解」

――浅間復興に話を戻しますと、村の復興をめぐって再建派の根岸と廃村派の原田が対立する、というのがこの小説の主軸になっていると思いますが、赤神さんはどちら派でしょうか。

 赤神:私はすみませんけど、原田派で(笑)。
 当時は現代のように立法・行政・司法がちゃんと分かれていないので、根岸や原田は、今で言えば政治家以上の大きな権限を持っている、前提として彼らはそういう権力者なんですけども、それでも実際に組織を動かすのは簡単じゃなかったはずです。
 村のほぼ全部が埋まり、たくさんの方が亡くなっていて、村を作り直すより分散移住させる方が、絶対に仕事は楽です。下級役人は全員そう思ったはずですし、もう一回噴火する恐れも間違いなくありましたよね。当時は今のような科学的知見もないし、むしろ小説で描いたような呪術的な理解が一般にされていたはずなので、再噴火がすごく怖かったと思います。

――確かに、明日また噴火するかもしれないのに、同じ場所に村を再建するのかと。

 赤神:そんな中で、仮に住民がやり直したいと思ったとしても、役人はやめさせる方向を選ぶと思うんです。天災だから、仕方ないじゃないかと。復興するとしてもコスパが悪すぎるので、やめる方がやっぱり現実的だと誘導する。
 役人を責めるつもりもなくて、私も組織人としていろいろ合理的な改革を提案しても、各所で抵抗に遭ってやりたくないんだっていうのが伝わってくると……じゃあ、面倒くさいし、あきらめるか、となる。どんな改革も、組織にとってはよくても、さしあたり仕事が増えるので、みんな面倒くさい(笑)。
 民のためよりも自分のことがまず大事というのが小役人の性ですし、私だって今は小説書きたいのでプライベート時間が減ると嫌だとか、思いますしね。
 浅間焼けでも、これだけコスパが悪かったら、周到に理由をつけて復興は現実的ではないと理論武装した上で分散移住の方に持っていって……そういう結論になってしまうかなと。

――合理的に考えれば当然という気がしますね。

 赤神:とはいえ、史実がそうでなかったというのは、詳細は不明ですが、住民の意向が強かったんだろうと思うんです。しかし、村の再建も結構ハードルが高いので、住民が全員やりますと言っていたわけでも多分ないでしょう。特に当初は住民たち自身もどうしていいかわからなかったと思うんですよね。また噴火するかも知れない、全部埋まったのに復興なんてできそうにない、でも、故郷は捨てたくないという思いがある時に、正解があるわけじゃない。
 分散移住が正しかったかもしれないけれども、根岸はおそらく、当事者が迷う時に、将来を見越して、住民の意見を汲んで決断した。決断した以上は、責任を持って実行していった。部下たちも動かした。これが本当の意味での政治家の役割ではないかと思うんですよね。

――住民たちに自分で決めなさいというのも酷というか。

 赤神:今だったら、住民投票にかけてどっちにするか住民に決めさせて、政治はそれに従うということもありますが、それも実は本当の意味での政治家じゃない。本来はちゃんと住民の話を聞いたうえで、自分で考え抜いて、正しい道に導いていくべきだと思うんです。特に現代の国民は忙しくて、自分のことで精いっぱいで、代表に任せているわけですよね。

――鎌原村を再建すべきだという根岸自身の判断があったはずだということですね。コスパで考えたら原田派というのは私も大賛成といいますか、そうだろうなと思ってしまいますが、史実はそうならなかったというところにドラマがありますよね。

復興とは何か

――復興に終わりはないとよく言われますが、一区切りつくということがあるとしたら、何がなされればそう思えるのでしょうか。赤神さんなりの解釈を教えていただければと思います。

 赤神:難しい質問ですね。何が復興かというのは、人によって、立場によって違うと思うんです。個人レベルで言うと、過去の悲劇が思い出になった時、精神的な意味で復興と呼べるのではないでしょうか。どのような形であれ、思い出として自分の中で整理できた時、ですね。
 とある東日本大震災の被災者の方で、お母さんが亡くした子供のために毎食食事を作ってあげているという話がありました。多分、彼女の中では復興は終わっていない。
 行政や政治家、あるいは周囲のコミュニティができることには限界があって、生活基盤やインフラを整えたりはできます。最低限それが必要だけれども、個人レベルの終わりというのには個人差がある。やはり望ましいのは、人とのつながりによって、癒しというか、その状況から脱する手伝いをしてあげると。もし一人残らず、全部思い出にできる日が来たなら、その時に初めて復興が終わったと言えるのかもしれないですね。そのためには粘り強く、いろんな人がいろんな立場でいろんなことを、あきらめずにやっていく必要があるとは思いますが。

驚きの復興事業の手法

――生き残った村人を組み合わせて家族を作り直すというのは突飛な策で、史実と知って驚いたんですけれども、これについてはいかがですか?

 赤神:最初にこの小説を書きたいと思ったきっかけがこの話なんですよ。家族と軽井沢に行った時、ぺらっと一枚、このエピソードが書いてある資料がたまたま張り出してあって、いつか家族をテーマに書きたいなと思った、それが十年ぐらい前なんです、当時まだデビュー前。以来ずっと温めていたものです。

――そうでしたか。

 赤神:人の痛みを理解するという時に、たとえば今、私は腱鞘炎ですけど、この痛みは同じように腱鞘炎を経験した人でないとわからないんですね。腰痛とか五十肩とかそういうのも、言葉でいくら説明したって本当にはわからない。
 今のは軽い例ですが、鎌原村で起きたのは肉親をほとんど亡くすという悲劇ですよね。災害で受けた傷はやっぱり、同じ場所で同じような傷を受けた人たちの方が、きっと理解しやすい。今と違って、場所によって方言も風習も暮らしもずいぶん違うはずですし、移住も簡単じゃない。
 たまたま残った人を無理矢理家族にするというのは乱暴だし、成功例だけじゃなくて、多分なかには失敗した、うまくいかなかった家族もあると思うんですけど、厳しい状況下で村人を生かすための、一つの時代の知恵だったのかなとは思いますね。もちろん今はこんなこと、強制できませんが。

――時代背景も大きいですよね。そもそも結婚は家が決めるといった時代であったとも思いますし。

災害復興に必要なもの

――今も昔も日本は災害大国で、現代に通ずる部分も多い小説です。今作の創作過程で、復興の政策決定や指揮をとる立場の人間が大事にすべきことは何だと考えられたでしょうか。

 赤神:三つばかりポイントを。
 まず「無私」、自分のためじゃないという前提。これが多分、現代に最も欠けているものじゃないかと思うんです。現代は仕事と自分を切り離して考えられずに利権とかで動いてしまいがちですが、目の前の人を助けたいという無私の気持ちですよね。助けると言うと上から目線かもしれませんが、何とかしてあげたいという気持ち、そこが政治の出発点だと思います。
 二つ目は「信念」。正解は多分なくて、逆に言うと正解はいくつもあるはずなので、勉強して、ちゃんと意見を聞いて、考え抜いた上で、信念を持って進めるということが大事ではないでしょうか。

――以前、打ち合わせの際に東日本大震災の例を教えてくださいましたね。

 赤神:たとえば東日本大震災の復興で、海辺に万里の長城のような堤防を築いて、あるいは山を切り開いて高台に転居するといったことをやってきた。でも、ある法学者が主張するには、別によい方法がある。堤防はだんだん劣化していくし、もっと大きい津波が来たらだめだし。前にも津波が来たのに、地元の人が海抜の低い海辺に住んでいたのは、使いやすいし、住みやすいからですね。高台は不便なので、うまくコミュニティを維持できたとしても、結局100年後に震災を忘れてしまった住民は、また海辺へ降りてくるかもしれない。
 ではどうすべきかというと、これまでどおり海辺に住むけど、小山の公園を作るべきだと。瓦礫は山盛りあるので、小山の公園をいくつも作れる。津波の到達までの10分で登れる小山公園をあちこちに作り、常日頃から防災訓練をして、あそこのおばあさんは足が悪いから誰が背負ってあげるとか決めておく。そういうことも含めて極めてローテクでコストのかからない方策だってあったわけです。公園は300年先でも残るわけですから。
 こういうやり方も、もし信念を持って政治を進めていたら、ありえたんじゃないかと思うんです。結局、海が全然見えなくなるような高い堤防が築かれて、不便な高台とかにお年寄りを住まわせて、本当にこれで良かったのか、と思うんですね。
 苦しんでいる住民たちの要望をそのまま聞いた結果かもしれませんけど、本当に当事者にとって最善は何なのか、それをとことん考えて、信念を持って進めていくのが政治の役割ではないかと。
 根岸みたいに無理矢理家族を作るまではしなくても、孤独で自殺しなくてもいいように、工夫していろんなつながりを作ってあげることはできたんじゃないかなと。それも「無私」であり「信念」ですよね。

――当事者に丸投げしないということですね。

 赤神:三つ目が、「本当の意味で寄り添う」ということでしょうか。「寄り添う」という言葉はものすごく多用されて、安売りされている言葉ですが。納得を得るために必要な行為だと思うんですよね。そのためにはたくさん聞いてあげることが必要ですね。実は「聞く」ためには、徹底的に自分の時間を消費しなきゃいけない。これができる人はほとんどいなくて、私も小説書きたいので、無理なんですけど(笑)。
 根岸は中央派遣ですよね。日本の現代でいうと総務省の官僚がよく各地の知事になりますが、なかなかそこまでできない人も多かったかなと思います。でも、少し救いに思えるのはスーパー公務員と言われる人たちの存在で、彼らは根岸に近いことを地元で大なり小なりされてきたように思います。ある意味で、根岸はスーパー公務員の原型だったのかもしれないですね。

――高台移転という政策が取られたのは、検討が不十分だったと思われますか。

 赤神:高台に移転させればもう津波は大丈夫、被災者の望むことをやってあげるのが正しいという前提があり、他の選択肢は検討しようともしなかったのではないでしょうか。高台に移ることで失われる住みやすさや、故郷に住み続けることの価値もあまり。高台移転はお金のかかる事業で、現に今も我々は税金を払っているわけですが。

――その点、根岸はさまざまな価値とコストを考慮したうえで決断しているわけですよね。

 赤神:ほとんど滅んだと言っていい地元に残って復興をやり遂げたという史実は、ちょっと奇跡のような気がします。

――しかし人の話を聞き、人を動かせる人が存在すれば、奇跡を起こしうるという意味で希望も感じられる物語ですね。これから本作を読む読者に向けて、注目してほしいポイントなどありましたらお願いします。

 赤神:では二つばかり。今作は主に東日本大震災からの復興を参照して書いていたものですが、日本は震災大国で、日本人にとって災害と復興というのは永遠のテーマですよね。かつて先人たちが実際に起こした一つの奇跡とも言える、物理的・精神的な復興の史実から、現代の我々も得られるヒントがあるんじゃないのかというのが一つです。
 もうひとつは「ふるさとの意味」で、ウェルビーイングというものが近年叫ばれていて、「幸福感」が調べられて統計として公表されていたりします。
 自分の居場所がいくつありますかという問いに対して、答えの数が多い人ほど幸せを感じているという統計があるように、幸せには、人生には、つながりが必要です。
 2040年には単独世帯が40%になる。独居老人もどんどん増えていきます。これまで日本では共同住宅でも徹底してプライバシーを守るということをやってきたのですが、近頃は違う動きが現れていて、あえてマンションの中にちょっとしたライブラリーやミニシアターを設けたり、つまり人のつながりを大事にするという取り組みが行われています。
 人のつながりの最たるものはふるさとですよね。歴史があり、文化もある。リモートワーク、ワーケーションの流れもできていますし、人口崩壊の中でふるさとという価値が日本全国でどんどん失われていっている中で、ふるさとを守る最後のチャンスじゃないかなと思っていまして。
 ふるさとの意味と、それを再生する意義ですね。それをメッセージとして込めてみた作品です。

作品紹介

火山に馳す 浅間大変秘抄
著者 赤神 諒
発売日:2023年12月26日

故郷はすべて、灰砂の下に埋もれた。頑固者たちの復興事業の行く末は――
天明の浅間焼け(大噴火)で土石流に襲われた鎌原村。村人の8割が死に、高台の観音堂に避難した者など93人だけが生き残った。現地に派遣された幕府勘定吟味役の根岸九郎左衛門は、残された村人を組み合わせて家族を作り直し、故郷を再建しようとするも、住民達の心の傷は大きく難航していた。出世頭の若き代官・原田清右衛門が進言するとおり、廃村と移住を選択すべきなのか、根岸は苦悩する。さらに幕府側にも不穏な動きが――。「故郷」と「生きる意味」を問い直す物語。

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