EXILE・橘ケンチ 自身と重ねて読んだファンタジー小説。『レーエンデ国物語』・作者・多崎礼と、作品を通じて執筆業を語り合う対談インタビュー

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/2/28

多崎礼さん、橘ケンチさん

 全5巻に及ぶ長編大作ファンタジー小説『レーエンデ国物語』。「革命」をテーマに、架空の国家・レーエンデ国での群像劇を描く。家系に縛られ続けた無垢な少女のユリア、寡黙な射手のトリスタンを中心に描く1巻『レーエンデ国物語』。屋敷が襲撃に遭いレーエンデ東部に行き着いた名家の少年のルチアーノ、彼が出会った怪力無双の少女であるテッサを中心に描く2巻『レーエンデ国物語 月と太陽』。「レーエンデの英雄」を題材に戯曲を描く天才劇作家のリーアン、彼の双子の弟で俳優のアーロウを中心に描く3巻『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』が刊行され、2024年4月17日にシリーズ最新刊の4巻『レーエンデ国物語 夜明け前』を発売する。Xをはじめ、SNSでも数多くの感想がつぶやかれる話題作だ。

 本書に「希望と悲しみを胸に革命を志し、大義と共に成長するヒトの生命力の虜になりました」と推薦コメントを寄せたのは、自身も大の読書家で、2023年2月に処女作『パーマネント・ブルー』(文藝春秋)で小説家デビューも果たした橘ケンチさん。EXILE、EXILE THE SECONDのパフォーマーとして、大勢の観客を前に感動を届けている。

 作者・多崎礼さんとの対談は、橘さんの『レーエンデ国物語』に対する熱量がほとばしる展開に。さらに、かたやステージで、かたや小説でエンターテインメント界を支える2人の話では、感動の舞台裏が垣間見えた。

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■物語で「凡人」のアーロウは自身の人生と重なる

――インタビュー直前の撮影時点から、熱く対談されている空気感に。橘さんのたぎる想いが、ひしひしと伝わってきました。

橘ケンチさん(以下、橘):1巻を読み切った時点で推薦コメントを書いて、対談までの1ヶ月弱で2~3巻を読んだんです。多崎先生とお会いできるのが楽しみで「この作品を書いたのは、どんな方か?」と想像がふくらんで、熱量を残したまま対談に挑みたかったので、ついさっき、3巻を読み切ったんです。ですから、仕上がっています(笑)。

多崎礼さん(以下、多崎):ありがとうございます(笑)。

:ファンタジー作品を読む機会が少なかった僕でも、没頭しました。2巻のバトルが続くかと思いきや、3巻の展開が衝撃で…。2巻では戦闘シーンがあり、僕もトレーニングをするしアスリート感覚もあるので、自分とも重なったんです。

 3巻は、本業に近いエンターテインメントがテーマでしたし、天才劇作家のリーアン、弟で俳優のアーロウの生きざまに共感しました。先ほど、撮影で構想を伺った5巻も楽しみです。巻ごとに100年単位で物語が進んでいて、まさか、未来には行きませんよね…?

橘ケンチさん

多崎:3巻から100年後の世界ですし、電気もスマホもありません(笑)。ファンタジー作品はいっさい読まない方もいらっしゃいますし、「読む機会が少なかった」とおっしゃる橘さんの熱量が、すごく嬉しいです。

:映画「ハリー・ポッター」シリーズから小説を知ったように、映像作品がきっかけとなるパターンはありました。ファンタジー作品は“海外のもの”という先入観があり、日本のファンタジーは「ファイナルファンタジー」のようなゲームの印象が強くて、小説を読む機会がなかったんです。『レーエンデ国物語』は、3巻で描かれる双子の兄弟、リーアンとアーロウの関係でグッと惹き込まれました。

 リーアンは天才で、アーロウは凡人。でも、途中から2人の感覚が変わっていくじゃないですか。アーロウがふと「人並みの幸福」は「凡庸の中にしか存在しない」と悟る場面は、40代半ばの僕自身と重なったんです。エンターテインメント界では、すごい人がたくさんいるんです。20代は“自分が一番”と意気込んでいましたけど、自分に“天賦の才はない”と気が付き、落ち込む時期があって。もう、素直に受け入れられるし、一歩ずつ着実に進んでいくのが“自分に合っている”と分かるので、アーロウに共感しました。きっと、リーアンにはなれないかな…。

多崎:私も、リーアンにはなれません。いわゆる“100%嘘”のファンタジー作品として“戯曲”を描き、エンターテインメント界で活躍されている“本物“の橘さんに共感していただいて、ホッとしました。物語の原点は妄想ですし、現実にいらっしゃる“本物の方々”から“こんな甘い世界じゃない”とお叱りを受ける不安もあったので、光栄です。

多崎礼さん、橘ケンチさん

■人生の「かけら」が登場人物たちに反映されている

――橘さんは、本書の推薦コメントで「大義と共に成長するヒトの生命力の虜」と書いていました。

:1巻はシリーズのテーマ「革命」の起点で、登場人物たちが成長していくじゃないですか。主人公のユリアは成長につれて辛さも味わい、愛する人を亡くして、レーエンデ国の風土病「銀呪病」にも苛まれる。人間は“苦労すればするほど強くなる”と思っているし、登場人物たちにとって“すべて必要不可欠”と感じられる出来事が次々と起こる展開に、釘付けになったんです。人が陥れられて殺されるのも“現実ではこういうことか…”と想像しながら読んで、年齢を重ねた自分も“まだまだ強くなれる”と勇気を持てたし、彼らの頼もしさに「生命力」を感じました。

多崎:ファンタジー作品でありながら重い展開が続きますし、1巻の刊行時点では“当たりが強いか”と不安もあったんです。これほどまでの反響をいただけるとは驚きで、現実で生きる方々に訴えかけるものがあったのだとしたら、作家冥利につきます。

:2巻に登場する怪力無双の少女・テッサも、リアリティある1人でした。彼女の境遇では仲間の力も大きく、自主的に周囲を引っ張るのではなく、引っ張るように“なるべくして、ならされた存在”に見えて。僕が生きるエンターテインメント界でも、周囲が可能性を感じて売れる“スーパースター“がいるんです。周囲の応援により“本当の自分は違うけど、期待されるなら頑張らなければ”と努力を重ねる子と、テッサの面影が重なりました。

 アーロウも、人間味があります。そばに天才と称される双子の兄・リーアンがいる心情は、たやすく想像できるじゃないですか。誰しも“この人にはなれない”と比べてしまうと、自分を卑下してしまいますし。でも、途中で実はアーロウがリーアンを見下していると分かるのが、この『レーエンデ国物語』のリアリティですよね。むこうは気にしていないのに、自分の思い込みで遠ざけてしまうのは“僕もあるかもしれない”と気が付いたし、2人の結末を見て“こういう人が生き残るのか”と驚きました。

多崎:登場人物はある種の舞台装置で、執筆中は突き放して考えているんです。でも、自分の人生、思想のかけらもちょっとずつ入っていますし、自分事のように捉えていただけると、私自身も救われます。

 橘さんの感想を伺って、鬱屈した出来事も無駄ではなかったと思いました。私もアーロウのように、天才ではなかったので。売れない時代が長く、小説の初投稿からプロとしてのデビューまで、17年かかったんです。その間に、賞を獲得してデビューする方、処女作でデビューする方もいて、“ああ、自分は天才じゃないんだ。努力しなければ”と思い、武器を探しながらやってきた過去も、作品に反映されていると思います。

:僕も同じで、最初から日の目を見ていたわけではないんです。大学卒業後は就職せず、フリーターをしながらダンスを続けて、J Soul Brothersの一員になったのが28歳でした。EXILEへの加入後も、先輩方の背中を見ながら必死に食らいついて、芸歴十数年で最近、ようやく一人前になったと言えるようになったんです。10年後の自分からは“まだまだ”と言われそうですけど、色んな方々の思いが重なって成り立つ仕事で、独りよがりでは上手くいかないことばかりですし、チーム内で“いかに自分の役割を見つけるか”と、常に考えています。

橘ケンチさん

■ステージと小説では「達成感」が異なる

――橘さんが感じた『レーエンデ国物語』のエンターテインメント性とはどんなものでしたか?

:圧倒的にヒューマンで、人間の持つ感情のせめぎ合いを描いているのは『レーエンデ国物語』ならではのエンターテインメント性だと思います。もし、映像化されるとしたら、矢がビュンビュン飛び交い、城が落とされる光景に奮い立ちそうです。根底には人間同士の営みがあり、人が人に勇気、悲しみを与えて、登場人物たちが自分の力で乗り越えていく姿が、心に深く響きました。

多崎:ありがとうございます。エンターテインメントの話では、『レーエンデ国物語』には葛藤もあったんです。私にとってのエンターテインメントは“人を幸せにする、笑顔にするもの”で、好きな演劇の舞台を見る機会も多いんですけど、日頃から数万人の方々を前にパフォーマンスされている橘さんの世界と、小説の世界は、同じくくりであっても異なると思っていました。エンターテインメントではありながら、物語では虐殺の場面もありますし“どこまで書いてよいのか…”と、迷いはあります。

:僕は処女作『パーマネント・ブルー』の出版で、小説家の方を改めて尊敬したんです。執筆中は孤独ですし、書き上げるまでの3年ほどは常に小説の内容が頭をよぎっていて、多崎先生のように専業でやっていらっしゃる方はすごいと思います。最後の一文を書いて、エンターキーを“バーン!”と叩いても、誰もいないじゃないですか。ステージでは、終演直後に仲間とハイタッチをした瞬間に苦労を分かち合えますけど、小説は読者の方からの反響をいただいて初めて喜びを味わうので、達成感を得られるまでの時間差も新鮮でした。

 以前、会場にいらっしゃった作家の北方謙三先生から“EXILEのライブはファンのみなさんも含めて、陽に向かうエネルギーがすごい。でも、俺はEXILEの陰が見たい”と言われて、小説との違いを感じたんです。陽だけでは面白みに欠けるし、陰に振り切るのが必要なんだと。だからこそ『レーエンデ国物語』の痛ましい場面は必要不可欠だったと、納得しました。

多崎:書き上げて“よし!”と達成感を味わえる作品もあったんですけど、『レーエンデ国物語』は書いている時間が長く、特に1巻は3年ほどかかったので“ようやく眠れる”という感じでした(苦笑)。徹夜して集中的に書く機会が多く、書き上げてから一夜明け、体力が戻ってきたときに実感が湧いてきます。いわゆるランナーズハイ状態、私は“ライターズハイ”と呼んでいて、アドレナリンが出ているのか世界のすべてがキレイに見えるんです。散歩しながら空気を吸うと“世界は美しい!”となるんですけど、翌日にアドレナリンが切れたとたんに“何だったんだ…”と思うのも不思議です。

多崎礼さん

■人を感動させるために…2人の異なるアプローチ

――ステージ、小説で人を感動させるために、お二人が特別に意識していることはなんでしょうか?

:多崎先生の“ライターズハイ”のように、僕らも“パフォーマーズハイ”があって、体調がすこぶるよく、思いどおりに体が動く日は、客席とハッキリ繋がれるんです。同じ釜の飯を食っているからか、メンバー同士で感じるタイミングも不思議と一緒になります。絶好調の日を自然と待ちながら、本番でお客さんを感動させるためにトレーニング、リハーサルをしっかりやるんです。満足に準備できなかった日は、フラストレーションも溜まります。

多崎:私は、自分が“感動できるか”が基準なんです。伝えたいものがきちんと伝わるかも大事で、例えば、登場人物が泣く場面で、シンプルに“泣いた”や“涙を流した”で表現するのではなく、違う言葉で表現できると“よし!”と思います。いったん、できた文章を読み返して感動できなければ書き直しますし、迷いに迷って、3時間も経ったのに“3行しか書けてない”と焦るときもあります(苦笑)。

:小説を書いた経験は多崎先生の“100分の1”もあるかないかですけど、共感できます(笑)。

多崎:ありがたいです(笑)。一つ、橘さんに伺いたかったことがありまして。人前に出る芸能界のお仕事に対して、SNSではときに“心ない声”を目にした経験もあると思うんですけど、どのように気持ちを切り替えていらっしゃいますか?

:お酒を飲みます…(笑)。

多崎:なるほど(笑)。私はお酒が飲めないし、心ない声を見るとヘコんでしまうので、他にもいい解消法があれば教えていただきたいです。

:年々、ヘコむのは減ってきたんです。仲間としゃべりながらお酒を飲んで解消することもありますけど、元々、他人に相談するタイプではないですし、悶々と自分と向き合う時間もあります。運動して汗をかいて瞬間的にスッキリしても、まだモヤモヤしているときは、スカッとする映像を見て。処女作の執筆も、振り返るとその一環でした。半自伝の内容でしたので、過去を放出する“自己セラピー”のような感覚に陥っていました。

多崎:私も小説のほかに、自己セラピーとしての文章を書きたくなりました。作家は、基本的に言い返してはいけないお仕事ですけど、X上の批評で悔しさが募った経験もあるんです。つぶやきを見ると引きずりますし、悩んでしまうので、自分に合った解消法が見つかればと。

多崎礼さん、橘ケンチさん

――最後に、対談の感想をお聞かせください。

:多崎先生はメディア出演されていなかったので、ドキドキでした。お会いしたら気さくで、お話しもしやすかったです。次に書く小説はフィクションにしたいと思っているので、次回また、小説家としての極意も伺えるなら嬉しいです。

多崎:圧倒的に陽のイメージがありましたけど、ギャップがありました。賢者のように、物事を悟っていらっしゃって。『レーエンデ国物語』を深く読んでくださってありがたいですし、お仕事への姿勢も伺えて楽しかったです。タメになりました。

取材・文=カネコシュウヘイ、写真=金澤正平