大人の女性だからこそ“逃げ場”はあっていいと思います

新刊著者インタビュー

更新日:2013/12/4

大胆にページをとってしっかり描きたかったもの

 身も心もぼろぼろになって逃げてきた里葎子を何も言わずに受け入れ、鎌倉暮らしの愉しみ方と小さな家を託して逝った、おば・礼美との穏やかな日々。「比奈はおっとりしていたはずなのに、里葎子に入れようと思っていたはずの性格のキツさが彼女のほうに行ってしまって(笑)」という、小柄でふわ甘な外見を裏切る言動が気持ちいい、親友・比奈との日常など、描かれる場面が軽やかに展開していく本作だが、物語の中盤で舞台は急に暗転。そこで語られるのが、里葎子の辛い過去だ。なぜこれほどまでに千正との間に壁をつくるのか、素直になれないのか──大胆な構成で、詳細に書き込まれたその真実は、読む者にカタルシスさえ連れてくる。

「プロットだと、この部分はさらっとしたものだったんです。でもこんな“さらっと”したことで、人はこんなにも頑なになるかしらって。独立した“過去編”のようになりましたが、これだけのことがあって、里葎子の今があることを提示したかった。そして何よりそこを描き切らないと、私自身、彼女のこの先を書けないと思ったんです」

 以前、勤めていた会社の同僚だった元カレ。周囲に気を配る真面目な仕事ぶりが一目置かれていたからこそ陥ってしまった社内恋愛の落とし穴は、まっすぐな里葎子をどんどん呑みこんでいく。はまってしまった自分に気付いた時の嫌悪感は、おそらく誰もが思いあたるもの。

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「里葎子の年代の女性って、意外に大人じゃない部分を持っている人が多いような気がして。女子高生のようなその純心さがよいほうに向けばいいけど、よくない方向に流れた時、自分の中に怖さを感じることもあるのではないかと。里葎子は真面目な分、その時のことが記憶に刻みつけられてしまったんです」

 だが、人はそこから解放される力を持っていることもストーリーは提示していく。その中のひとつが、崎谷さんの真骨頂とも言える濃密なラブシーンだ。

「海外のロマンス小説同様、BL小説では、がっつり描かれるラブシーンの2人の会話が、大切な骨子になっていることが多いんです。その手法を取り入れ、里葎子の心の解放を願いながら描いたそのシーンは、緊張感のあるものになったと思います」

 恋する気持ちの再生を願った描写は、文章のあちこちにも、ひっそりと隠れている。女性ならではの感覚を糧に張られた伏線、何気ない場面でこぼれる言葉……その真意に気付いた時のうれしさは、2人のラブストーリーを格別なものにしていく。

ラブロマンスは元気をくれるスイーツ

「鎌倉は雑貨屋さんも、美味しい食べ物屋さんもいっぱいある、ゆったりしたいい街なんです。《トオチカ》もそうですが、自分が見聞きしてきた、心地よいその空気感を物語にはそのまま反映させています」

 舞台となった鎌倉は、崎谷さんが10年ほど前から暮らしている街。美味しいものには目がない比奈のごはんシーンをはじめ、住民目線ならではアイテムが楽しめるのも読みどころのひとつ。隠れ家のような店も多く、長年住んでいても“こんなところにレストランなんてあったっけ?”と、時おり抱く不思議な感覚を注ぎ込んだのが、里葎子が訪れる名前のない“あの店”。もちろん架空の店だが、胡桃と黒糖のムースなど、サーブされる魅力的な料理の数々は、シェフである友人に実際つくってもらったものだとか。

「けっこうお腹に訴える感じになっていると思います(笑)。ひとりじゃないと見つけられない“あの店”は、不思議テイストを入れたくて登場させたのですが、友だちにさえ愚痴を吐けない里葎子の話を美しい主人が聞いてくれる、大切な“トーチカ=防御用陣地”にもなりました」

 タイトルにも込めた想いは、「大人の女性だからこそ、逃げ場があっていいじゃない」ということ──。
「辛い現実からは逃げたっていい、と私は思っているんです。でもその後、折れっぱなしになっているのは健全じゃない。いったん休んで、それからゆっくり立ち上がればいい。そこには、本を読むことが、休憩になってくれれば、という書き手としての強い想いにも重なります」

「この本はスイーツです」と言って崎谷さんは、にっこり笑う。

「お疲れモードの女性って多いと思うので、“あ、美味しそうなお菓子がある”みたいな感じで本作を手に取っていただけたら。甘いものを補充して、“とりあえず明日も頑張ろうかな”と思ってもらえたら、作者としては一番うれしいですね」

取材・文=河村道子 写真=下林彩子

紙『トオチカ』

崎谷はるひ 角川書店 1470円

鎌倉で親友・比奈とともに小さな雑貨とアクセサリーの店《トオチカ》を営む里葎子。元カレから受けた心の傷を持ちながら、気丈に生きてきた彼女の前に現れたイケメンバイヤー・千正は、気にはなるけど、ことごとくトラウマを刺激して……。大人だからこそ、恋に落ちるのは簡単じゃない。甘く、切ない、極上ラブロマンス。