長嶋有ロングインタビュー 2003年1月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

・バーモントカレーの箱の裏を見て
・子供がかつての自分と同じことをいう。
・世代を超えた共有感覚を書いてみようと――

『タンノイのエジンバラ』

 今年の1月、『猛スピードで母は』によって芥川賞を受賞した長嶋有さんの第2作品集『タンノイのエジンバラ』は、表題作を含む4作品が収録された短編集だ。『タンノイのエジンバラ』は、同じ団地の隣家に住む風変わりな女の子を一晩預かることになった男の話。日常の中に違う時間が紛れ込んでくる感覚がリアルだ。

advertisement

「主人公は失業中ですが、あまり危機感がないんですね。この男に掛け合わせるといちばん効果的な登場人物は誰かということを考えていく中で、瀬奈のキャラクターが生まれました。僕が最初に考えたのは、バーモントカレーの箱の裏の辛味順位表を瀬奈が主人公に見せるシーンです。バーモントカレーは何十年も売られ続けているわけですが、突然、子供が箱の裏を見て主人公が子供時代に思ったことと同じことをいう。世代を超えた共有感覚ですね。それを書いてみようと思いました」

・姉弟の中で“有能”と“無能”が
・入れ替わる感じを意識した――

『夜のあぐら』

「夜のあぐら」は、三人姉弟と再婚した父の義理の母親との確執を描く。姉と弟を見つめる次女の視点が暖かい。
「姉弟関係、父や母、そして親戚を含めた主人公の一族のサーガものになる物語を箇条書きで書いてみた作品です。サリンジャーの“グラース家サーガ”ならぬナガーシマ家サーガ…のばす必要ないけど(笑)、それを目指したといえるかも。もちろん長嶋家はこんな家ではありませんが(笑)。一族の中の三人組の姉弟に焦点を絞ったということですね。バーモントカレーと同じように場面から入っていって、面白おかしく広がる話になるだろうと思っていたんですが、書いていくうちに重いテーマになってしまいました」

 この作品では、愛情と反発の感情がせめぎ合う姉弟関係や、父親と実母、義母との距離感が巧みに表現されている。
「姉弟の中で“有能”と“無能”が入れ替わる感じを意識しました。姉弟の中では女手ひとつで子供を育てている姉が一番のしっかり者ですが、最後の場面で役に立たなくなってしまう。逆に社会性のない弟が、もっとも頼りがいのある人間として姉たちを導くことになる。かと思うと困り者の姉しか車を運転できないとか、そういう姉弟関係の逆転を書いてみたかったんです」

・紀行文を小説として再構成できないか
・いろいろと試行錯誤――

『バルセロナの印象』

 続く『バルセロナの印象』は、長嶋さん初の海外を舞台にした作品。半年前に結婚した“僕”と妻、そして半年前に離婚した“僕”の姉の三人組による、バルセロナ観光の物語だ。

「『リトルモア』編集部の人に読んでもらって没になった作品が元になっています。紀行文ぽかったのを小説として再構成できないか試行錯誤してみました。主人公が自分がどこにいるのかわからないという迷宮的感覚が作品のポイントの一つとしてあるのですが、具体的な地名や場所についての記述を最小限にとどめることで紀行性を薄めました。海外を舞台にしたのは、三人のパワーバランスを描こうとしたことが関わってます。三人はそれぞれ他の二人に気を使う関係にあります。僕は旅費を捻出してるし、姉は最年長。妻は語学が達者だからイニシアティブをとる。国内旅行だと妻は二人に遠慮しなければいけなくなるでしょう。そうではない、緊張関係を書きたかった」
 最近の小説を読むと、どの作品に登場する妻も同じようなキャラクターに見えてしまうことがあるんです。彼女たちは魅力的で、愛嬌があって、夫のすることを容認している。でも家父長制に抑圧されてはいない。自我はそれほど強くはなく、自分探しのようなことをすることもない。夫婦という概念がゆらいでいる現代において、円満で魅力的な妻をリアリティをもって描くのは多分大変なことで、だけどそこから逸脱した妻を書いてみたいと思いました。『バルセロナの印象』の妻は一見、屈託がなさそうに見えても、明日ふっといなくなってしまうかもしれないような掴み所のない存在として描こうとしたんです。成功したかどうかは分からないけど」

・書いた後もこれでいいのかと
・自問自答せざるをえない部分があった――

『三十歳』

 四作目の『三十歳』は、パチンコ屋の景品係としてアルバイトをする秋子のバイト仲間との日常を描く。三十歳になろうとする主人公の内面の変化が、不思議な魅力のある登場人物たちとの関わりを通して活写される。三十歳は長嶋さんの現在の年齢に重なっている。

「二十七歳の時に『文學界』新人賞に応募して二次予選を通過した作品が元となっています。選考の途中経過を告知するページに作者の名前と予選通過作が印刷されるのですが、、『長嶋有 「三十歳」』と載っていたのを、それを見た知人が誤解して、『そうか、あいつも三十歳になったのか』。いやいや違うって(笑)。二十七歳の頃から三十歳になる意味を考えていたんですね。最近、三十歳成人説という話を聞きました。現代の若者は人間的な成熟度からいって三十歳で本当の成人を迎えるという説で、異様に共感できますね」
 秋子のワンルームアパートの部屋には、脳梗塞で倒れ現在入院中の母親のお下がりのグランドピアノが鎮座している。彼女はピアノの下に布団を敷き、ピアノの底を見上げながら眠る。彼女は、休憩時間にパチンコ屋の屋上から地上を見下ろすことを好む。主人公の視点の変化が効果的だ。
「視点についてはあまり考えていませんでした。ピアノの下で寝ると面白いだろうというのが最初の発想としてありました。こういう女の子は屋上が好きだろうと思ったんです。主人公が“見る人”であることは意識しています。見下ろしたり見上げるという視点の変化は最初は特に意識していなかったけれど、書いていく中で主人公が屋上に上ることの重要性がわかってきて、そういうシーンの意味を自己発見していったということですね」
 蓋に母親の歯形のついたピアノは、母親の生がリアルに刻印されたアイテムでもある。「タンノイのエジンバラ」でも主人公は父親の遺品であるスピーカーを譲り受けるが、両者には“音の出るもの”という共通性がある。
「そういうふうにもいえますが、スピーカーもピアノもそれを受け取った者が持て余すという意味で共通しています。思い入れがある物なのに、受け渡されると困ってしまう物ですね。
 江國香織さん的な世界を目指してみたのですが微妙に違ったというか、ぜんぜん違う作品になってしまいました(笑)。そもそも、江國さんの主人公はパチンコ屋では働きませんよね。

『三十歳』は四つの短編の中でいちばん反響があった作品です。『タンノイのエジンバラ』や『バルセロナの印象』は自分としても手ごたえがあったのですが、この作品は書いた後もこれでいいのかと自問自答せざるをえない部分があって、実は単行本に収録するにあたって大幅に改稿するつもりだったんです。でも、評判を聞くにつけ、このままでいいかぁ、と(笑)。僕にとって新しい部分を含んだ作品だと思います」