嶽本野ばら Interview long Version 2006年10月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

5年で潔く引退するつもりが、
書きたいものが出てきてしまった。
『ハピネス』は僕の第2章の始まりの作品。

前作『シシリエンヌ』を書き終えて……。

「僕の場合、デビュー作の『ミシン』(00・10)でいきなりブレイクしたわけですが、アーティストには旬の時期というものがあり、僕の場合もって5年ぐらいだろうと考えていました。5年間でやり尽くせるだけのことをやって、ピークに達したら潔く引退するのが美学だろうと。そういう覚悟で、1年間にほぼ3冊のペースでコンスタントに小説やエッセイをリリースしてきました。年3冊のペースをキープするのは正直いって大変でした。でもあらかじめ期間が限定されていたからこそ可能だったんです。
計画では、『シシリエンヌ』(05・12)で終わるはずでした。『シシリエンヌ』を書き終えて、自分でも納得できる作品であったこともあり引退を考えましたが、その後で書きたいものが新しく出てきてしまったんです。弱ったと思いました(笑)。次のステップである第2章の始まりの作品が見えてきたのに、小説家としての仕事を終えてしまっていいのか疑問を感じました。そこでいろいろ考え、第2章の活動に入る決意をしたんです」
嶽本さんがデビュー作『ミシン』から『シシリエンヌ』までの5年間に発表してきた著作は16冊(小説12作、エッセイ2冊、絵本1冊、その他1冊)に及ぶ。特にこの5年間の小説の仕事を振り返ってみると、恋愛小説、ゴシック小説、青春小説、コメディ、思春期小説、歴史小説、官能小説など、さまざまな小説ジャンルがヴァリエーションとして変奏されてきたことがわかる。

「読者に『伝えたいこと』は限られています。毎回同じテイストで書いていたら、読者は飽きてしまいます。マンネリ化を回避するために、パッケージを替えて小説を書く方法を採ってきました。お耽美なミステリを書いたかと思えば、いきなりコメディに行ったり、不得意な日本史にも挑戦して歴史小説も書きました(笑)。そして最後は、自分としてありえなかった官能小説にチャレンジしました。まだSF&ファンタジーが残っていますが、これは書けそうもない。自分として、これ以上のヴァリエーションはあり得ないところまで書きました。絵本も作りましたし、編者の仕事もしました。
6年目に入り第2章を意識し始めた時に、自分の書くべきテーマが変化したというか、進化したような気がしたんです。伝えるべきメッセージがひと回り大きくなったような感覚がありました。僕のシフトチェンジが、今までの読者に迎え入れてもらえるか不安もあったのですが、小説家としての僕が次に見えてきた世界を一人ひとりの読者に見てもらいたいという気持ちが強くなって、そのためのいちばんわかりやすい方法が原点回帰だと思ったんです。『ミシン』所収の「世界の終わりという名の雑貨店」から始まった世界と、6年目に入って第2章に入った『ハピネス』を読み比べてみた時に、後者の方は原点に戻っているけれど、より作品として強度が増したものに仕上がっていることを理解してもらえると思います」

advertisement

死生観の変容に自分でも驚いています

恋人の死に直面した男性主人公の葛藤を綴った「世界の終わりという名の雑貨店」と『ハピネス』は、物語構造的に類似した作品である。嶽本作品のキーワードを使えば、“双生児的な作品”といえるかもしれない。
高校2年生の「僕」と「彼女」。「彼女」はある日「僕」に、手術不可能な心臓の病気によって、自分の余命があと1週間であることを告げる。死を受け入れ、最後の1週間を自分らしく生きようと努める「彼女」。無力な自分に憤りながらも、恋人の望む普通の生活の良き伴走者であろうとする「僕」。
これまでの嶽本作品では、「僕」と「君」あるいは「私」と「あなた」という一人称と二人称によって囲いこまれた二元的世界が提示されてきたが、この作品では「僕」と「彼女」というふうに変化し、「彼女」が「僕」を「君」と呼ぶ、新しい人称代名詞の展開が見られる。「彼女」は、これまで嶽本さんが描いてきたどの登場人物にも重ならない強度をそなえた女性として造形されている。
「これまで『僕』と『君』、あるいは『私』と『あなた』という人称代名詞を使って、作者としての『僕』が『君』であり『あなた』である読者に語りかける方法を採用してきました。そうしたミクロコスモスの内部で成立するのが僕の作品世界の特徴だったわけですが、それが少し広がってきたということだと思います。『シシリエンヌ』までは『僕』と『君』の物語でした。読者に対してもっと僕をわかってほしい、愛してほしいという思いが執筆の最大のモチベーションでした。10万人のうちひとりでもいいから、僕のことをわかってほしい、そういう気持ちで書いていました。そこには甘えがあったことは否めません。今でも読者に愛してほしい、わかってほしいという気持ちはありますが、『ハピネス』はようやく僕が人を愛する許容量を持てるようになったからこそ書けた作品のような気がします」
“死”もまた嶽本作品では重要な主題だ。第1期を終えて、第2期をスタートさせた今、嶽本さんの死のとらえ方はどのように変化したのか。
「死とは何だろう、死ぬとはどういうことなんだろうという問いは、物心ついた頃から常にありました。自分の死についても常に考えていたし、死にたい願望もありました。隙あらば死にたい、というより生きることがつらくて、生きることを終わらせるにはどうすればいいのかいつも考えていました。僕は死を最後の逃げ場としてとらえていたように思います。
僕の小説の中で死は大きな問題ですが、死に対する認識は徐々に変化してきました。死イコール終わり、というような単純なものではなくなってきたんです。死生観の変容に自分でも驚いていますが、僕ひとりでたどり着いたということではありません。サイン会を開くと本当にたくさんの読者が駆けつけてくれて、一人ひとりと対面した時に悩みを打ち明けてくれたり近況報告をしてくれます。ファンの人たちとコミュニケーションをとっていくうちに僕も変わった。読者に導いてもらったという思いが強いんです」

本当にこの作品を書けてよかった

強い発作が起こっていつ死に至ってもおかしくないシリアスな状況下で、「彼女」は死を思弁化し相対化していく。「彼女」は神の存在について語り、確率論的に死を考え、この世に生まれてきた意味を自問する。そうしたプロセスを経て、死は日常とつながった事象として把握される。
「今回、一日一日の出来事を淡々と書くやり方を採用しました。非常にシンプルで地味な作りに、僕は『2コードで奏でたラブバラード』というふうにいっているんですが、そのような書き方をすることで、死は特別な出来事ではなく日常と連続しているという考えを際立たせることができたのではないかと思います。これまで発表してきた作品に対してそれぞれ思い入れがありますが、『ハピネス』を書き終えた今本当にこの作品を書けてよかった、『シシリエンヌ』でやめなくてよかったと思っています」
嶽本作品を彩る重要な要素として、厳選されたメゾンの描写がある。残り少ない時間を充実して過ごすためにロリータデビューを決意した「彼女」が選んだメゾンが、Innocent Worldだ。死期を悟った「彼女」は、「僕」に2つの「やりたいこと」を提案する。1つは、大阪にあるInnocent World本店に行くこと。そしてもう1つは、銀座の資生堂パーラーで1万5000円の高級カレーライスを食べること。
「ロリータのメゾンにもさまざまあって、僕の中には序列のようなものがあるんです。これまでInnocent Worldを出すタイミングを計っていたのですが、ようやくその機会が訪れました。ロリータのお洋服の中で最後の隠し球だったんです。今回『ハピネス』を執筆するにあたって、僕にとって特別な作品になるかもしれないという予感があって、じゃあここで隠し球を出そうということになったわけです」
無邪気で無垢で天真爛漫な世界を意味するInnocent Worldという言葉は、「彼女」が思い描く天国のイメージにつながり、さらにこの作品で「僕」と「彼女」の愛の世界の表象として重要なイメージを司る、フランスの画家ウィリアム・アドルフ・ブグローによる2人の天使を描いた『アムールとプシュケ』にもリンクしてくる。

『ハピネス』というタイトルについて

17歳の少女の死に向かうカウントダウンのプロセスを描いた作品のタイトルが『ハピネス』であることに、違和感を覚える読者がいるかもしれない。しかし、本書を読み進めていくうちに、読者はタイトルの真の意味に気づくことになるだろう。
死が目前に迫りつつある状況にあって自分が生まれてきた意味を見いだす「彼女」、愛に溢れた生涯を全うした娘の人生は間違いなく幸せであったと確信する母親、そして愛し合ったまま引き裂かれる幸福が存在することに気づく「僕」。登場人物はそれぞれのし方で、それぞれの「幸せ」にたどり着く。
「タイトルは悩みました。最初は『ハッピー』にしようと思ったんです。でも『ハッピー』だと矢沢永吉になってしまうので(笑)、『ヘブン』というタイトルを付けました。その後、編集者から『ハピネス』というのはどうですかと提案されて、もともと付けたかったタイトルとばっちりつながったので『ハピネス』にしました。

事前の示し合わせなどまったくない状態で、僕も編集者もそれぞれ似通ったタイトルを付けていたわけです。そういうことはよくあって、『ミシン』も最初のタイトルは違うものでした。同じお洋服のお話ということで、鈴木清剛の『ロックンロールミシン』(98・6)と混同されるおそれがあったので得策でないと考え、『MILK』と付けました。でも編集者から提案されて、結局『ミシン』になったわけですが、実はそれは僕が最初に考えていたタイトルでもあったんです」
『ハピネス』は、第1期嶽本野ばらの終了を告げるとともに、第2期のスタートを高らかに宣言する作品だ。今後、嶽本さんはどのような世界を開拓していくことになるのだろうか。
「これまで永遠や幸せを希求しながらも、そんなものはないとどこかであきらめていた部分がありました。でも今は、永遠は存在するし、幸せになることはけして夢物語ではないと思えるようになりました。僕の読者の中にも、永遠を渇望しながら信じられない子がたくさんいますが、『永遠ってあるんですか?』と訊かれたら『うん、あるよ』と確信を持っていえますし、『神様を信じていいんですか?』と質問されたら『神様はちゃんと辻褄を合わせてくれるから大丈夫だよ』と、詭弁じゃなく本音としていえる心境に、この作品を書くことで達することができたように思います」