「『少女マンガってアダルトビデオと似てるな、そっくりだな』と思った」二村ヒトシ監督インタビュー(1)

更新日:2017/9/19


 恋愛や生きることがうまくいかない、という人たちへ向けた著作を数多く執筆してきた、アダルトビデオ監督の二村ヒトシさん。今回二村さんが取り組んだのは、少女マンガの名作をひもときながら「愛される作法は教わってきたはずだけど、なんだかうまくいかない」という人たちの疑問を解決すること。なぜAV監督が、少女マンガを語るのか?

■ポルノは現実では見られない“夢”

「それは『少女マンガってアダルトビデオと似てるな、そっくりだな』と思ったからです」

 AV監督が少女マンガを語る理由について、二村ヒトシさんはこう答えた。そしてフードポルノや感動ポルノという言葉があるように、こうすると喜ぶというものが“ポルノ”であり、少女マンガというのは少女たちに恋愛のエクスタシーを教えながら、「女の子っていうのはこういうふうに生きると生きやすいよ、あなたたちの人生に恋愛というものが待っているから受け入れなさい」ということを教える恋愛ポルノだと思う、と語る。

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 「類型的な少女マンガって『女が男に愛されることで自己肯定感が得られる』もの。そういう意味で、少女マンガは“ポルノ”なんです。でもその考え方って、今の世の中にうまく馴染んでないですよね?」

 もちろんポルノがあることを否定するわけではない。「ポルノはポルノだとわかって消費しようよ、ってことなんです」と二村さんは強調する。

 「少女マンガで描かれるみたいに、恋愛というのは甘い砂糖菓子であるはずなのに、なぜ私はうまくいないんだろう、って現実の人たちがなんとなく思ったり、刷り込まれてしまうとヤバイのではないかと。現実というのは世知辛いもので、夢はなかなか見られない。だったらポルノで夢を見ようよ、ならいいと思うんです。僕もそういうつもりでアダルトビデオを作っているので」


 少女マンガは“恋愛を肯定”する。もちろんそれが少女マンガの王道であることは間違いない。しかし安易にそのルールに乗っかってしまうと、現実ではなにかと生きづらくなってしまう、と二村さん。

 「でもね、今回取り上げたマンガは全然恋愛を肯定してない! 恋愛は恐ろしいものだよね、ということを描いているんですよ」

 本書『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』(KADOKAWA)で取り上げられているのは、竹宮惠子『風と木の詩』(1976~84年連載)、紡木たく『ホットロード』(1986~87年連載)、川原泉『メイプル戦記』(1991~95年連載)、山岸凉子『日出処の天子』(1980~84年連載)、大島弓子『綿の国星』(1978~87年連載)、吉野朔実『少年は荒野をめざす』(1985~87年連載)、美内すずえ『ガラスの仮面』(1976年~連載中)という、いずれも二村さんが影響を受けたという珠玉の名作ばかり。これらの作品を俎上に載せ、二村流の読み解きを行い、読む人に新たな気づきを与えてくれるのが本書だ。

■面倒臭いことからは逃げ出した方がいい

 二村さんが少女マンガにハマったのは、SFアクション大作『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍:原作、萩尾望都:作画/1977~78年連載)を読んだことがきっかけだったという。

 「光瀬龍という日本のハードSFの元祖みたいな人がいて、その人が書いた原作を萩尾望都が『少年チャンピオン』で連載していたんですよ。少女マンガの絵なのに、人類史上の重要人物(ブッダ、キリスト、哲学者プラトンなど)が敵味方に別れて戦隊ヒーローみたいに戦うSFアクションなもので、僕はシビレてしまって(笑)。その頃のサブカル系の男の子は少女マンガを読んでいたんですけど、僕はそれが始まりになって『ポーの一族』(萩尾望都/1972年~連載中)などを読むようになりました」

 その萩尾と「大泉サロン」で共同生活を送った竹宮惠子による少年同士の愛を描いた『風と木の詩』が本書の第1章で取り上げられている。当初から本作をポルノとして消費し、少女マンガってすごいなと思っていたという二村さんは『風と木の詩』について本書で「誰もが、親から開けられた心の穴に無意識にコントロールされている。そのことに気づけるかどうか」と心の奥底にある問題を掘り起こし、その呪いを打ち破るには「自分の人生を肯定しているかどうか、である」と読者に迫る。

 「僕は色んな本を書いてますけど、一貫して言ってることが『やりたくないこと、面倒臭いことはやらなくていい、逃げ出した方がいいよ』ということなんです。特に恋愛とか性においてね。これは男性にも女性にも言いたい。それが『風と木の詩』みたいな少女マンガでは、そこから逃げられない人たちを描くのがロマンチシズムだったりする。でもそれを以てしてね、他山の石とするんですよ。『面倒臭い人が世の中にはいるんだなぁ』ということを見て喜ぶのが、一種いい意味でのポルノの楽しみ方です。自分の恋愛の面倒臭さによって滅んでいく、死んでいく人たちっていうのは、我々凡人には必要なんですよ。そんな面倒臭いことを現実にやったら、自分が死んでしまいますからね(笑)。でも今は社会が恋愛でも仕事でもなんでも、子どもを作るっていう当たり前のことですら面倒な「ロマン」やら「正しさ」やらを凡人に強いてくる。SNSの炎上問題もそうですよね」


 そこで「ついつい頑張ってしまう人」が「私の恋も人生も、なんだかうまくいかない」と傷ついてしまうのだ。その問題を解決するため、二村さんは本書の第7章で取り上げている『ガラスの仮面』を読むことを勧めている。なぜなのか? 詳しくは次回「現代人が抱える問題を描く“名作少女マンガ”の凄み」で。

取材・構成・文=成田全(ナリタタモツ) 写真=内海裕之

■関連リンク
『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』外伝
「ポルノとしての少女マンガ」
https://kadobun.jp/readings/43

[プロフィール]
にむら・ひとし AV監督。1964年東京・六本木生まれ。慶應義塾大学文学部中退。大学在学中の84年から劇団「パノラマ歓喜団」を主宰、95年まで務める。97年アダルトビデオ監督としてデビュー。女装美少年シリーズや痴女モノなど固定観念やジェンダーが揺らぐような作品を世に送り出している。著書に『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』、『すべてはモテるためである』、『オトコのカラダはキモチいい』(金田淳子、岡田育との共著)など。