代々木上原で行列の絶えない店「按田餃子」、その人気の秘密って?

食・料理

公開日:2018/4/5

『たすかる料理』(按田優子:著、鈴木陽介:写真/リトル・モア)

 小田急線代々木上原駅のほど近くに、昼頃になるとひときわ長い行列ができる店がある。2012年4月にオープンした按田餃子は、2016年にミシュランのビブグルマン(高級店ではなく、コスパの良いおすすめの店)の餃子部門に選ばれた。以来ありつけるまでに平均2時間は並ばなくてはならない、「簡単には会えない餃子」になってしまっている。

 その按田餃子を切り盛りする按田優子さんと、共同経営者で写真家の鈴木陽介さんによる『たすかる料理』(リトル・モア)が発売された。

 同書は按田さんが常備しているチチャロン・デ・チャンチョ(皮付きの豚バラ肉を柔らかくなるまで火を通した、南米の料理)の作り方こそ載っているが、レシピ本ではない。按田さんが普段何を食べているかや、「料理家でありながら、包丁を使うのがあまり好きではない」ゆえに、どう自炊しているかなどについて紹介している。店のメニューにある水餃子や“ゆでらげ”(茹でたキクラゲのようでいて、実は茹でていない)などの作り方の解説はあるものの、再現したいと感じるより「こう作っているのか!」と、タネ明かしを得る感覚に近い本だ。なぜレシピに特化しなかったのか。按田さん(と鈴木さん)にお話を伺った。

advertisement

■「乙女の雀荘」が店のコンセプトだった


「按田餃子はメニューがそんなに多くないし、作り方のコツもとくにないから、レシピ本にしたところで、お店のことが伝わるのかがわからなかったんです」

 これで3冊目の本となる按田優子さんは、レシピ本にしなかった理由をこう説明した。按田さんはお菓子やパンの製造や、乾物料理店を経て独立。しかし料理家になりたい気持ちはなく「仕事も辞めたし、3ヶ月ぐらい旅行に行くか」と考えていたそうだ。「志が低いですよね」と自虐気味に言うが、共通の知人を介して知り合った鈴木さんが「餃子屋をやりたい」と言い出したことで、いつの間にか2人で店を始めることになった。

 鈴木さんが最初に言ったのは「乙女の雀荘みたいにしたい」。それは内装のイメージではなく、「家っぽい」空間で自分の時間に集中しながら食べられる店にしたいという意味だった。そんな茫漠としたコンセプトで店を作ることに、按田さんに不安はなかったのだろうか?

「それが意外にわかりやすかったというか(笑)。鈴木さんは写真を撮影している時と同じく、頭の中の情景を描写しながら説明しているんだろうなって思ったんです。『熱すぎなくて片手で何か食べられて、でも店内がベトベトしないものがいい』みたいなぼんやりした言葉だったけど、私にはすごくイメージしやすかった。飲食店を立ち上げる時って、『国産のものを使って』とか『オーガニック』とか、キーワードありきで進めていくことが多いんです。でもそれだと、各人のイメージにズレが生じることも結構あって。それに鈴木さんは料理に口出ししないし、店にもほとんどいない。関わり方のさじ加減も絶妙だったんです」(按田)

 店舗と同じように、『たすかる料理』も按田さんの言葉で進めながら、ちょこちょこ鈴木さんが登場する構成になっている。

「担当編集者から、按田さんに書いてほしいって気持ちがすごく伝わってきたので(笑)。でも俺が『カレーライスっぽくて健康的なものを食べたい』って言ったら、按田さんがキクラゲと金針菜と豚肉を煮込んだものをご飯に載せてきて、それを俺が『ラゲーライス』ってネーミングするみたいな、時々ちょっかいを出すバランスが按田餃子らしいなって。俺は基本的には店にいないけど、もしいたら『どれがおいしかったですか?』ってお客さんに聞いてまわる、面倒な店主になってたと思う(笑)」(鈴木)

「私は半分ぐらい、鈴木さんに書いてもらいたかったんですけどね(笑)」(按田)

■「おいしい餃子」を作っている意識はない

 ぼんやりしたイメージから生まれた按田餃子だが、現在「大根と搾菜」「カレー風味と人参」など4種の味が楽しめる水餃子や、「すごく健康に良い」金針菜と海藻の和え物などが食べられる。2人は金融機関から借り入れをせず、手持ち資金のみで店を開いた。だから店の扉も、某レストランからわずか2500円で買い取ったものだと明かした。それが今や、ミシュランでも紹介されるほどになってしまった。

「びっくりしましたし、最初は怖かったですよ。行列が他のお店の前までのびてしまって、その時はさすがにヤバいと思いました」(鈴木)

「こういう時にどうしたらいいか、対処する方法を知らなかったんです」(按田)

「でも嬉しかったですよすごく。店を作った当初は売上が全然なくて、お店の貯金が残り2万とかになったこともありましたもん」(鈴木)

 人気の理由は色々考えられるが、他にはない味であることが大きいのではないか。それは按田さんがペルーで国際協力事業に関わっていたことや、各地で食べたおいしいものの記憶が鮮明だったことが影響している(と思われる)。しかし按田さん自身は「これがおいしい餃子です!」という気持ちでは作っていないと、力を込めて言う。

「先日トークショーをしたのですが、その際に客席から『妻が料理が得意じゃないんですけど、どうやったらおいしく作れるようになりますか?』みたいな質問があったんです。でも“おいしい”って感覚は、その人の主観じゃないですか。私がおいしいと思ったものを、みんなもおいしいはずだというのは間違い。1人1人好みも体調も違うって認識で捉えてみると、料理は味ではなく、お腹を壊さなければ及第なんです(笑)」(按田)

「日によって好きな味が違うことを教えてくれたのは、吉野家で卵にかけるお醤油だったんですよ。すごく疲れている時は卵にお醤油をいっぱいかけるし、普段は卵だけとかつゆ抜きにしたりとか、気づけば自分で調節していて。そういう話を店を始める前からずっと、按田さんとしてました」(鈴木)

「私も『自分なら醤油じゃなくて、牛丼におしんこを付けるだろうな』とか、自分なりに考えられるのが面白くて。あとはたとえば料理長が弟子に、『これがおいしい料理です』っていう答えを授けている店もあると思うんですけど、按田餃子はそれをしていません。誰かにひもじい思いをさせたくない、助けたいって気持ちはあるんですけど、『私の作ったおいしい料理を食べさせてあげたい』とは思っていない。死なない程度に誰かを支えられれば、それでいいんです」(按田)

■「たかが餃子」だったことが、読み手を救った?


 バラバラの方向から来た人が集まっては散っていく、公園みたいな場所にしたくて作った按田餃子は、現在2店舗目を計画中だ。年内にオープンする予定だが、基本的な関わり方は変えないで続けていくという。スタッフも精鋭を選んでいるわけではなく、働けそうだと思った人はだいたい採用しているそうだ。

「私が店にいない時は食中毒を起こさないとか順番に食材を使うとか、そういったことを徹底してくれれば……。だから料理のうまいヘタは関係ないんです」(按田)

「不器用そうだなって人や、うまく打ち解けられないけれど餃子を包むのは得意です、みたいな人も働ける場所になったらいいなって思うんです。最初は余裕がなかったのでなかなか受け入れられなかったけど、なるべく多様性を認めるようにしたくて。店を始めたばかりの頃、按田さんと『人気が出ても“たかが餃子”ってことを絶対に忘れないようにしよう』って話し合ったんです。たかが餃子なんだから食べ方に正解はないし、食べたい時に来てくださいみたいな。わざわざ来るのではなく、日常の居場所にしてほしいんですよね」(鈴木)

 20代半ばの担当編集者は、料理を始めて日が浅い同世代に向けてこの本を作った。しかし実際の読者は、多くが40代以降。自分のことも家族のこともやらなくてはいけない世代に、「たすかる料理」というタイトルが響いたのだろうか?

「推薦図書を紹介するコーナーがあるんですけど、そこに横井庄一さんの本を載せているので、わかるのは年配の人だろうなとは思っていました。だからお母さんが遠くの学校に通う子供に、野菜とかと一緒に段ボールに入れて送るのをイメージしていたんです。でも違った」(按田)

「按田さんの自炊を見ていると『出汁をとってみそ汁を作って主菜と副菜を並べて、みたいなことをしなくていいんだ!』ってわかるから、日々に追われている人が『助かる!』って思ってくれたんじゃないかな」(鈴木)

「家で作る料理って誰かに見せるためのものじゃないから、本来ならジャッジされるものではなかったけれど、今ではSNSに載せたりすることでジャッジされるようになりましたよね? でもそうじゃないはず。あとは『料理ができる人は女性らしい』といった思い込みもありますけど、それも本当は関係ない。健康でいるために食べるものが、料理だと思うんですよね」(按田)

取材・文=朴 順梨