乙武洋匡「社会的に死んでもまだ、僕の人生は続く」『五体不満足』から20年、新作は“ホストの世界”

文芸・カルチャー

更新日:2018/11/6

「この小説の終わり方は、ある意味、僕の、僕自身の人生に対する想いが表れているのかもしれない……今思うと」

 乙武洋匡さんは、新作『車輪の上』(講談社)のクライマックスについてそう語った。

 乙武さんは、生まれつき四肢切断という障害をもち、両手両足をもたないまま生きてきた。しかし、そんなハンディキャップをものともしないような、生来の負けん気の強さとポジティブな思考が、彼の人生をパワフルに彩った。そんな勇気に満ちた半生を描いた『五体不満足』(講談社)は大ベストセラーに。そのタイトルが世間に与えたインパクトを考えれば、一種の社会現象と呼んでもいいだろう。

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 その後の華々しい活躍は、しかし、ひとつのスキャンダルによって音を立てて崩れ去る。多くの人々が「乙武さんは終わった」と思った。

 車椅子に乗る青年がひょんなことからホストの世界に足を踏み入れた姿を描いた小説『車輪の上』は、乙武さんが長い沈黙を破り、復帰した後の第一作だ。『五体不満足』から20年、新たに書かれた小説は、当時のポジティブな彼の価値観を引き継ぎながらも、どこか人間くさくて、内省的だ。主人公の愚かさや弱さもためらいなく描かれている。

 一度は世間から批判を浴び、大バッシングを受けながら姿を消した乙武さんが、日本で活動を再開した理由は何か。そして、そんな再スタートを切る上で、この小説に込めた想いはどのようなものだったのか。

■休んで初めて、「あ、肩に力が入りすぎてたな」って気づいて

――小説、面白く拝読しました。この作品の構想はいつ頃考えたんですか。

乙武洋匡氏(以下、乙武) 書こうと決めたのは、去年の秋くらい。実際に書き始めたのは、今年の4月ですね。それから1ヶ月半くらいで、一気に書き上げました。

――1ヶ月半というと、だいぶ集中して書かれたんですね。

乙武 そうですね、仕事がなくて暇だったというのもありますが……。

――いきなり突っ込んだことを聞いてしまって申し訳ないのですが、スキャンダル騒動で休んでいた間は、何をされていたんですか。

乙武 最初の1年は、家にずっとこもっていました。ただ、誰とも関わらず、社会に対して何もできていない、社会から隔絶されたような感覚があり、それはとても苦しくて。「ずっと走り続けてきたんだし、1、2年ゆっくり休みなよ」と言ってくれる人もいましたが、どうしても腹落ちがしなくて……なんだか座敷牢にいるような気分でした。その後、1年くらいかけて海外37カ国をまわったんです。

――37カ国! それはやはり日本にいづらくて、逃げたかったという気持ちもあったのでしょうか。

乙武 そういう部分ももちろんありましたし、あとは海外に長く滞在する機会がなかなか今までもてていなかったというのもあります。仕事や旅行で行ってもせいぜい1週間くらい。本当はもっとその土地や国民の価値観などを肌で感じられるくらいいたいな、というのは思いとしてもっていて。こういうことを言うとまた炎上しちゃうのかな……いい機会だなと思って海外の滞在にあてたんです。

――海外での1年間はどうでしたか。

乙武 とても刺激的でしたよ。完全とは言えないまでも制度やバリアフリーが充実している国があったことなどはもちろん、その国独自の価値観を感じることができて、自分の考え方にも影響を受けました。

――具体的にはどういった価値観に影響を受けたのでしょうか。

乙武 たとえば、ヨーロッパには比較的長く滞在していたのですが、向こうの人たちってすごく普段の暮らしを大切にしているんですよね。日本にいると、つい仕事ばかりを優先して考えてしまうし、そういう風潮があるけど、向こうではそういう雰囲気がなかった。自分を省みましたね。ああ、自分は今まですごく肩に力が入っていたんだな、って。

――「五体不満足」を読んだ人間からすると、乙武さんはすべてにおいて全力投球というか、とてもパワフルな人なんだという印象をもっていました。でも、どこかに無理があったんですかね。

乙武 負けん気の強さとかは生来のものだと思うんですけどね。ただ、それまでは「弱い自分を見せちゃいけない」みたいな意識が強かったのかもしれない。ここにきてやっと、そういうものから解放されたかな、という感覚はあります。身から出た錆で、かなりの大恥も晒していますしね。

■『五体不満足』が陽なら、『車輪の上』は限りなく陰に近い

――そのお話を聞いて、『車輪の上』を読んだときに抱いた違和感に納得しました。終始ポジティブな『五体不満足』に比べて、『車輪の上』ってとても人間くさいというか、内省的ですよね。障害をもった主人公自身も、人間的に大変弱い部分をもっている。

乙武 そこは確かに自分の心境の変化が出ているかもしれないですね。『五体不満足』って、今振り返ると、障害者の陽の部分を描いたものなんですよ。よく「あんなにいいことばかり起こるはずがない。辛かったことは省いているんだろう」って言われたんですけど、違くて。

 単純に僕は周囲に恵まれていて、あまり障害のことを辛く感じたことがなかったんです。親を恨んだことも一度だってありませんし。でもそれは、僕という人間の特別な半生を描いたもの。逆に『車輪の上』は、障害者の陰……とまでは言いませんが、限りなくグレーに近いような部分を描いた作品だと思っています。

――『五体不満足』は学生時代、『車輪の上』は社会人になってから、とステージが違うのも関係しているのでしょうか。

乙武 意図的にというわけではないですが、障害者であることがこんなに生きづらいんだ、と気づいたのは社会人になってからですね。学生時代に比べて、圧倒的に制限を受けるような場面に遭遇する率が高くなった。

『五体不満足』が出た20年前って、インターネットが普及した時代でもあって、そこでたくさんの辛辣なコメントも目にしました。2ちゃんねるとかで、今まで言われたこともないような発言を見て驚いたりね。陰口が可視化されたわけだから、「もしかしたら自分も周囲から陰口叩かれていたのかもな」とは思いました。あとは動く範囲が広がったことで、車椅子では移動がひどく困難な場所があったりと、社会人になってから色々と大変なことは増えましたね。

――小説には、障害をもつことの生きづらさが描かれ、障害に対してネガティブな印象を抱く発言をする登場人物も出てきますよね。そういうことに対する問題提起なども乙武さんが小説を書いた動機にはあったのでしょうか。

乙武 決して「バリアフリーな世の中にしましょう」というようなことを大上段に構えて言うつもりはないんです。人の気持ちは変えようと思っても変えられないものなので。もっと言うと、障害者というくくりだけではなく、様々なレッテルで苦しんでいる人たちを描きたいと思っていました。

 職業や性別などによって勝手に世間から貼られるレッテルで、一気にこの社会で生きる難易度は上がる。「ある境遇に生まれたから」という理由だけで、しんどい思いをするような社会でいいんだっけ?ということが、読んだ人に少しでも伝わればいいな、と。そこで、生きづらさに共感してもらうためにも、より人の気持ちが鮮明にわかる「小説」という形式を通して伝えようとしました。

■勝手なピリオドを打たれたあとも、彼らの人生は続いていく

――読者一人一人が「自分の物語」として消化する、そういう思いのもとで小説という形を選んだんですね。とはいえ、主人公が車椅子に乗っていて、著者が乙武洋匡さんである、という時点で読者はどうしても2人を重ね合わせて読むところはあるかなと思います。だからこそ、この物語の「終わり方」がとても印象的で気になっていて……。読み終わったとき、「乙武さんって、こういうクライマックスを描く人だったんだ」って驚いたんですよ。

乙武 それ、僕も思いました。

――(笑)

乙武 きっと、それこそ騒動前に書いていたら、主人公の性格も、ストーリーも、クライマックスも、すべてが違っていたでしょうね。今までだったら「乙武さんの作品って後味がいいな」って思うものが多かったと思うのだけど、今回はね、めちゃくちゃモヤモヤする(笑)。

――これはこれで素晴らしい作品の締め方だとは思いましたが、一方で「この続きは描かれないのかな?」とは思いました。

乙武 ここは、担当編集の人からも、後日談を書きませんか、という形で何度も言われて議論を重ねたところです。ただ、なんというか、僕自身の2年半の思いが、そこをためらわせたんですよね。

 ああいう騒動があり、「乙武は終わった」と言われ、社会的な死を迎えた。社会的には、皆さん的には、僕は死んだ人間かもしれない。ただ、それでも僕の人生は続いていくんだよなあ、って。

 小説って区切りのいいところで終わるじゃないですか。勝手なところでピリオドを打てる。でも本当は、リアルに沿うなら、主人公も他の登場人物たちも、作者が勝手なピリオドを打った後も、生き続けるんですよ。そのピリオドに見えているようなものは、そもそも作者が勝手に終わらせたもの。だから、それはコンマであってピリオドではない、という思いが自分の中にあったんです。だからこそ、都合のいい終わらせ方をしたくなかった。

――小説のピリオドと、世間の「終わった」という決めつけが、乙武さんの中で被っていたんですね。確かに、社会的な死を迎えても、肉体的には生きているわけだから、人生は続いていくんですよね。ついつい私たちのようにインターネット上だけで情報を見ている無責任な人々は、「社会的な死=人生の終わり」のように早合点してしまう。

乙武 僕だけではなく、叩かれて社会的な死を迎えた人たちはたくさんいますよね。彼ら彼女らにとっては、むしろその後の人生の方が長いかもしれない。終われないけど、終わったと思われている。終わったと思っているけど、終われない。その葛藤が僕の中にもありました。

――そこに対して、乙武さんは自分なりの答えとして、今回の作品の終わり方を選んだということですか。

乙武 今思い返すと、そういうことだったんだな、って気づいた感じですね。

 その後の人生をどう生きていくかは、自分の過ちによって、他者を傷つけたり、多くの人の信頼を失ったり、世間から叩かれたり、そういったことを丸ごと受けて生きていかないといけない。自分で命を絶たない限りは。ゼロからのスタートにはなりましたが、そこから残り半分はあるであろう自分の人生を、どう充実させて、できることなら人様の役に立てるか、そこは自分の人間力が求められているところだな、と思います。

――ただ、社会的な死を迎えたとしても、また別の地で再スタートする、という考え方はできますよね。なぜ乙武さんは海外の長い滞在から日本に戻ってきて、逆風の中で再チャレンジする、という選択をしたのでしょう。

乙武 もちろん海外に住むことも考えながら、色々な国を転々としていました。実際、メルボルンという街は、住むには素晴らしいところでしたよ。1ヶ月半いて、一番いやだったのは「ハエが多い」っていう、どうでもいいことくらい。人種が多様で、日本人だからといって肩身の狭い思いもしない。四季もある。バリアフリーも進んでいる。ご飯も美味しい。移住するならここだな、って。

――そこまで非の打ち所のない環境と出会って、それでも乙武さんは移住をしなかった。

乙武 しばらく住んでいるうちに、理想としている社会で楽に生きている、ということに退屈さを感じている自分がいたんです。それまでの生き方にもつながりますが、やっぱり自分は、疑問や憤りを感じる社会に対してアクションを起こし、実現するために力を尽くす方が、自分自身が納得のいく生き方だったんですよね。しんどいし、茨の道だし、一生かけても実現できるかなんてわからない。だけど、自分の命が絶えるときに「どっちがいい人生だったと思えるだろう」と考えたら、しんどい方を選んでしまった。自分でもバカだなって思うんですけど。

――人からどう思われるか、というよりも、自分自身がどう振り返るか、という点で考えたら、日本で頑張るという選択になったんですね。

乙武 あとは、やっぱりしんどい思いをしている人たちからたくさん話を聞いていた、というのはあります。『五体不満足』を出してから20年、たくさんの障害者の方々とお話をしてきたし、LGBTなどセクシャルマイノリティーの方々との交流も多くありました。いじめを受けていたり、経済的な苦しみにあえいでいたりする人たちも知っている。

 そういう生きづらさって、すごく見えづらいんですよね。彼らは自分の生活を成り立たせることで精一杯で、経済的にも体力的にも精神的にも、生きづらい社会を変えるというところまでエネルギーを捻出することができない。だから、そういう人たちの境遇を理解した上で、さらに無駄にエネルギーのある僕のような人間がいるのなら、やっぱり動きたいな、って。ただ、そういう方々のために、とは言いたくないんですよね。あくまで僕がやりたくてやっていることなので。

――知ってしまった以上は、やらないという選択肢はない、と。お話を聞きながら、「一度でも過ちを犯したら人生が終わる」という世間の圧力がある中で、それでも逆風の中、再チャレンジをしようとしている乙武さんは、閉塞感のある今の社会の中において勇気を与える存在になりうるのかなと感じました。

乙武 最近は芸人さんにしてもバンドマンにしても、十数年も昔のことを掘り起こされ、謝罪に追い込まれるような報道が相次いでいますよね。もちろん、「傷ついた」と主張する被害者が明確に存在する以上、謝罪は必要なことなのかもしれませんが、私たちは自分の過去にどこまで積極的に向き合う必要性に迫られていくのだろうと考えさせられるんですよね。

 過去は過去として受け止め、反省すべきところは反省し、その上で心を入れ替えて前に進もうとする。そんな人間がいまは何をしようとしているのか、周りの人に与えているポジティブな面はなんなのか、そういうのを考えて……でも、難しいな。自分がそういう立場だから、なかなか言いづらいです。いまは他人様が私をどう評価しようと、自分ができることに丁寧に取り組んでいくだけです。

取材・文=園田菜々 撮影=内海裕之