14億の負債を抱えた会社を復活させた経営者による小説『破天荒フェニックス OWNDAYS再生物語』田中修治インビュー【前編】

ビジネス

公開日:2018/12/10

2008年2月。小さなデザイン企画会社を経営していた田中修治氏は、誰もが「倒産する」と言い切ったメガネチェーン「OWNDAYS」を買収。会社の再生と世界進出を目指す田中氏に待っていたのは、延々と続く試練と危機、勝負の日々だった。その軌跡を“小説”として描いた『破天荒フェニックス OWNDAYS再生物語』が9月5日に刊行。事実をベースにしていながら、ジェットコースター級の波乱万丈とスリルに満ちた物語は大きな話題を呼ぶベストセラーになった。この“物語”はどのように生まれたのか。OWNDAYS買収から再生、小説出版に至るまで、自身の“破天荒”ぶりを振り返ってもらった。

――本書は“小説”というフィクションの体裁をとってはいますが、基本的な内容は現実に起きた事実と田中さんの体験をもとになっています。まず、14億円という負債を抱えて毎月2000万円近い営業赤字を出す倒産寸前のメガネチェーンの買収は、素人目にはすごく危険な賭けに見えてしまうのですが、それを決意された理由は?

田中 とくに悲壮な決意にみたいなものは全然なかったですよ。会社に14億円の負債があるということは、すでに14億円分の投資がされているということでもあります。当時の僕には一から借金をして14億円分の投資できる信用なんて当然ないですから、赤字であってもそれだけの会社がタダ同然で手に入るなら、それを活用したほうがいいな、と。

――逆に「これはチャンス!」という感じだったのでしょうか。

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田中 そうですね。今でも、もし100億円ぐらい借金がある会社があったとして、条件が合うならすぐ買います。“借金=悪”で、すごく大変なことみたいにとらえる人って多いですけど、全然そんなことないんですよ。OWNDAYSの場合も赤字を黒字に転換することができれば、自分が新しく借金したり投資したりすることなく、それだけの規模の会社とその売り上げがそっくり手に入るということ。すごく効率がいいですよね。それができるなら安いものですよ。堀江貴文さんだって大きな負債を抱えて民事再生法を申請した旧ライブドアから事業譲渡を受けましたよね。

――堀江さんは『HONZ』の本書レビューで「ネットバブルだったから私は資金繰りの苦労はなかった」ということを書かれていましたが、OWNDAYSは債務超過の状態が続き、何度も資金繰りのピンチに陥る様子がスリリングでした。

田中 そこは実はちょっと想定外でしたね。どうにかうまくいくかなと思っていたんですけど、意外とうまくいかなかったです(笑)。銀行だけじゃなくて投資家もファンドもベンチャーキャピタルもどこもお金を出してくれなくて、「あれ、みんな出さないんだ?」みたいな。結局、融資とか投資をする側は事業の内容なんか見ていなくて決算書しか見てないんですよ。それと小売業はIT業と比べると設備投資と固定費が高くて利益率が低い。3億円ぐらい調達できたとしても、ちょっといい場所に店舗を一軒作ったら終わっちゃうんですね。レバレッジが効きづらいということもあって、お金を出す側もすごく及び腰になっていました。2008年当時はリーマンショックが起きた頃で、社長に就任して1年目がちょうど世界的な不況の入り口だったので。さらに、なんとか建て直せそうだというときに東日本大震災が起きちゃいましたから。だから、ちょっと時期と運が悪かったといえるかもしれない。今だったらもっとお金を出してくれるところはあったと思います。

――買収を決めたときからOWNDAYSの再建を成功させる自信はあったのでしょうか。

田中 それはやりたいと思っただけで、できるかどうかはやってみないとわからないですよ。

――本を読むと買収以降、常にギリギリの勝負をしていて絶体絶命みたいな局面の連続です。失敗したときのことを考えて怖くなるようなことはなかったのですか?

田中 しんどい思いはしましたが、別に怖くはないですよ。よく聞かれるんですけどね。逆に何が怖いのかな、と。きっと怖いと感じるのは失敗したときに何が起こるかわかっていないからだと思うんです。怖さの正体って「わからない」ということだから。だから考えてみればいいんですよ。

 事業に失敗して会社がつぶれたらどうなるか。まず、自己破産しなきゃいけない可能性は高いですよね。自己破産したら財産を取られて、ブラックリストに載って新しいクレジットカードが作れなくなって、弁護士とかいくつかの職業の制限を受けます。でも、OWNDAYSを買収した頃は取られるような財産なんて何もないし、何度もカードを止められていたから今さら新しく作れなくなったところで困らない。弁護士になるつもりもないし、そもそもなれないですから。嫁さんも子供もいなかったし、事業に失敗して傷つくような家柄もキャリアもありません。それに20歳の頃からデザインや企画の仕事で飯を食ってきたわけですから、失敗したら失敗したで、またそこからやり直せばいいかな、と。結局、実害はゼロみたいなものです。そう考えれば失敗は別に怖くないですよ。

――資金難でまったく余裕がない中で、新店舗をどんどん出店して店舗数を増やし、雑貨チェーンの買収、全品半額セール、海外進出など、次々と大胆な施策を打ち出していく様子が描かれています。そんな中には社内外の強い反対を押し切ったものもあり、結果的に失敗に終わったものもありますが、その“攻めの姿勢”みたいなものはどこからきているのでしょうか。

田中 飯が食えて、そこそこ楽な生活をするためにOWNDAYSの社長になったわけではないですから。やっぱり自分で事業をやるからには世の中に何かしら良い影響を与えて、何かしらの爪痕を残すことをしたいと思っていて。あってもなくても変わらないような“それなりの会社”で終わるなら、それは僕にとって事業に失敗して会社を潰してしまうのと大して変わりません。

 だから新しいことをやろうとして「なんでそんな無謀なことをするんですか」とか「もう少し状況が落ち着いてからにしましょう」みたいなことを言われると、違和感があるんですよ。そんなに安定を求めるなら公務員にでもなったほうがいいじゃん、って。  OWNDAYSを再生するために10年かかりましたが、本来は5年ぐらいで立て直す予定だったんです。今の時点でも5年遅れ。これが、もしのんびり手堅くやって20年かかっていたとしたら、そのとき僕はもう50歳ですよ。そこから新しいことを何もできずに年をとって「倒産寸前のメガネ屋を再建した社長」というだけで一生が終わってしまうなんて想像しただけで冗談じゃない、と。

――新しいことに挑戦しないで手堅く行くみたいな選択肢はなかったんですね。

田中 安定を求める人は今の状態がなんとなく10年後も続くだろうという前提で話をしているんですよ。でも、東日本大震災が起こることだって誰も予想していなかったわけだし、世の中、いつ何が起こるかわからない。安定を求めて手堅く行ったところで壊滅的な大きな変化があったらどのみち潰れるかもしれないじゃないですか。そもそも何もしなかったら競合他社との競争に負けて潰れされます。現状維持できたとしても将来的に中国の大手メガネチェーンが日本に参入してくれば、今のままだとすべてのメガネチェーンは簡単に飲み込まれてしまいますよ。だから、そのときまでに逆に飲み込む側になっていないといけない。止まっている余裕なんてないんです。

 そもそもメガネというもの自体、10年先、20年先に存在しているかわからないです。フィルムのカメラだってものの数年でほとんど消えましたし、CD・DVDショップだってどんどんなくなっていますよね。何かブレイクスルーが起きたらメガネ屋だってどうなるかわかりません。だから、とりあえず今、目の前にある可能性にかけて動いて、どんどん新しい価値を生み出していかなくてはいけない。結果的にそれをやり続けてきたからこそ、OWNDAYSは今も継続的に成長することができているんだと思います。

――事前にしっかり勝算を計算して石橋を叩いて渡る……みたいな発想はないんですね。

田中 そこもちょっと違うんです。勝算云々という以前に、AかBかという選択そのものに大して意味がないんですよ。これは最近よく例え話に使うんですが、多くの人が“人生の選択”をウルトラクイズの二択問題みたいに考えてしまっているんですね。◯と×が書かれた大きなボードのどちらかを選んで突き破ると、不正解のときは泥沼に落ちて失格になるというクイズです。でも、現実の世界はそんなクイズと違って選択に正解・不正解はほとんどないんです。

 よく悩み相談なんかで「転職するか、しないか」みたいな話があるじゃないですか。それで後になって「あのとき転職したのが失敗だった」とか、その逆でもいいんですけど、それは99パーセント以上、転職をするかしないかの選択の問題ではなく、選択をした後の自分の行動の問題なんです。転職しようがしまいが、どちらかの道を選んだあとに努力をして後悔しないような結果を残せたか。それで、正解か不正解かが決まる。選択そのものに結果が紐付いているわけではないんです。だから、決断する前に勝算をいちいち細かく考えるようなこともしません。考えるとしたら「自分がより頑張れそうな方はどちらか」ということぐらいですね。どっちにしろ努力して結果を残さなくてはいけないので、自分が最大限、頑張れるほうを選ぶべきなんです。そう考えたら新たな挑戦するほうを選びますよね。現状維持するための努力って面白くないですから。

【後編につづく】

取材・文:橋富政彦
写真:内海裕之