祝・大ヒット! みんなで語ろう、映画『このすば』⑥――金崎貴臣(監督)×上江洲誠(脚本)対談

アニメ

公開日:2019/11/1

作品の中で、僕が船長さんみたいな感じ。最初の灯台をどこに設定するかが、僕と上江洲さんの一番デカい仕事(金崎)

金崎:そういえば、1期を作ってたときに、福島さんが「僕はカズマを最後まで演じる気持ちでやってます」みたいな話をされていて。

上江洲:熱い気持ちって大事ですよね。「ちょっと無理かな?」と思っていた部分があっても、『このすば』はハードルを越えたと感じてます。その中で、福島潤さんの熱量はすごいです。

金崎:明らかに、この作品にすごく力を与えてる。

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上江洲:それは雨宮さんも、高橋さんも、茅野さんもそう。「ちょっと無理かな?」みたいなハードルを越えようと、熱量を発揮してくれてます。福島さんは、本来すごく繊細な人なんですよ。お祭り人間ではない。なのに、座長として、この劇を成功させるために、普段の何倍もよさを発揮してくれてるんですよね。それがみんなに伝わっていく。

金崎:『このすば』のアフレコってちょっと特殊なんですけど、他の現場と違うのは、シナリオの段階で、僕の頭の中で声が完成してるんです。芝居を抑えるところ、上げるところは、全部計算した上でコンテを描いているから。で、アフレコのテストで役者さんたちに持ってきてもらったアイディアの芝居を聞くと、僕が想像してたものを福島さんや雨宮さんが超えてきたりする。この波、この幅は間違いなく力となります。福島さんの役者人生で、今までいろいろな経験と、蓄積してきてくれたアイディアをもらったときは、楽しくなっちゃいますね。あと甲田(雅人)さんの音楽の力もデカかった。

上江洲:そうですね。

金崎:甲田さんの音楽がないと、これもまた『このすば』になりえなかったんです。1期の1話の最後のところ、カズマとアクアがバイトで工事しながらシュワシュワを呑んだりするじゃないですか。カズマが「違~う!」って言うために、ひたすら工事とシュワシュワのシーンを延々と見せたかったんですよ。セリフはなしで、絵で見せたかった。親方たちと肩組みながらカズマがシュワシュワを呑んでたら楽しそうだろうなあ、と思ったときに、ふとモンハン(ゲーム『モンスターハンター』)の音楽が頭に流れたんですよ。なんかリズム的に合うな、みたいな(笑)。そうしたら、ちょうど上江洲さんが、甲田さんと面識があって。

上江洲:JRPGを模した世界観の話だから、普段からRPGの音楽を作ってる人がいいんじゃないか、と思って推薦したんですね。お願いできる、となった瞬間、「これでいけるな」と思いましたね。やっぱり、音の力って大きくて。僕は、面白い画面にカッコいい音楽を乗せると面白かろう、とずっと思っていて。勇壮なファンタジーの音楽に合わせて、カズマたちが庶民的なあるあるをやる、というのが鉄板だと思ってたんですけど、それをやるためにカッコいい音楽が必要だったんです。もう、甲田さんがダメだったら、すぎやまこういちさんしかないと思ってたから。

金崎:甲田さんには、1期の頃から「劇中はくだけていても、音楽は絶対くだけない、常にカッコよくいてほしい」と言ってました。絵はふざけていても、音はしっかりストーリーの感情ラインに寄せた曲を流してると、ちゃんと嚙み合うんですよね。

上江洲:ダンジョンで怪物に襲われてるわけですから、「ぎゃふん!」みたいな音楽が鳴るはずがないんですよね。アクアたちは命懸けなんです(笑)。これはお葬式コメディと同じタイプでの話で、シリアスであればあるほど、カズマたちが酷い目に遭うと笑えるんですよ。そういう意味で、音楽がシリアスであれというのは、まったくその通りですね。

──話を聞いていると、キャストの方やスタッフの方の力を存分に発揮する環境が揃っている作品だな、という印象があるんですけど。何よりもいろんな立場の人にとってやるべきことが明確なんですね。どうしていいかわからないけど頑張ろう、ではなくて、頑張る方向が見えている。

上江洲:長くやってきてわかる部分でもあるんですけど、何事も最初のプランニングをはっきりさせなくてはならないんです。今回はこういうプラン、こういうマシンで戦いますと、しっかりレギュレーションを決めていくんですね。『このすば』は、そこにまったくブレがなかった。途中で大変なこともあったんですけど、プランがはっきりしてるので乗り切れたんじゃないかな、と思います。プランをはっきりさせずにスタートすると、途中でしんどくなったり、方向がわからなくなったときに、空中分解するんですよ。そうならないように、スタートのときにきっちりレギュレーションを決めてました。

金崎:作品を作る上で、僕が船長みたいな感じなんですよね。作品という船の舵を切って、「あの灯台を目指すぞ」と示す人です。途中で風も吹くし、波に煽られて蛇行もするけれど、目指すところはひとつなので、蛇行の幅がどんなに広くても向かう先はブレない。最初の灯台をどこに設定するかが、僕と上江洲さんの一番デカい仕事なんです。

上江洲:これはもう、お付き合いのあるベテランの監督さんはみんなそうで、目指す港をはっきりさせるんですね。若いうちは、「アドリブで面白くしようぜ」みたいなことを言うんですが、最終的に、しっかりとゴールを見据えるのが監督である、という。

金崎:みんなね、たぶん座礁させてきてるから(笑)。僕も運よく打席に立ち続けてるけど、若いときにはたくさん失敗しました。それでも業界に生かされてたきたので、今度はちゃんと業界にお返しする。経験を積んだ分、そこの蓄積を作品で返して、業界に還元していけたらいいなあ、と思います。

上江洲:というわけで、『このすば』は、だいぶいぶし銀の面白さです。

金崎:おっさんが作ってるのがデカいと思います(笑)

上江洲:たぶん僕らが20代だったら、アクアかわいい、めぐみんかわいいっていう作り方をすると思うんですけど、そうはしていない。そうしなくてよかったと思ってるんですけど、それはつまり僕たちがいぶし銀だからです。そのいぶし銀が、原作に合ってたと思うんです。現実的にありうる、お金がなくて苦労してる、ヒロインもバイトして大変な目に遭ってる、みたいなことが、すごく面白い原作なわけじゃないですか。「とにかくかわいい作画で作りたいんだよー!」って僕らが気を吐いてたら、こういうアニメは生まれなかった。

わがままを言う監督は、そうすることで最終的に全員が幸せになるゴールが見えている(上江洲)

──普通だったら、よくできたフィルムを作ることをゴール、灯台に設定してる場合もあると思うんですけど、『このすば』の場合、灯台の向こう側に受け取る人がちゃんといることをイメージして作られてる作品だな、と思います。

金崎:『紅伝説』に関して言うと、新規のお客さんが観てくれて楽しんでくれたら嬉しいけど、まずは1期・2期を応援してくれた人たちがちゃんと楽しめるアニメーションにするのが大前提でした。だから、まずはとにかく1期・2期を観てくれた人に届くアニメにしないとダメだ、とずーっと言っていて。やっぱり、初めて観た人はわからない部分もあると思うんですよね。流れはわかるけど、ひとつひとつのネタはわからない、とか。でも、1期・2期を観てくれた人にちゃんと届くものにするところは、ブレないように。そうじゃないと、この映画を作る意味がないと思ってたし、そこがブレちゃうと、おそらく誰にも刺さらない、届かない映画になってたと思うんですよね。実は、コンテを描き始めたときに、映画っぽい『このすば』を描いてたんですよ。間をすごく取ったり、画角とかもめっちゃロング~、みたいな(笑)。

上江洲:「映画でございます~」みたいな始まり方(笑)。

金崎:そう。だけど。描きながら、「あれ? 違うな。これは『このすば』じゃないな」と。

上江洲:やっぱり、ブレないことは大事だな、ということが、長くやってきてたどり着いた哲学ですよね。慌てちゃって、やり方を変えたりすると失敗するんです。もともとの『このすば』の間に戻るべきだと気づくのも、いぶし銀だからこそ。若いときだったら、映画である、ということだけで浮かれちゃいますもんね。

金崎:絵もシナリオも、基本すべては俯瞰して見ないといけないんですよね。一生懸命になりすぎると視界が狭くなって、全体が見えなくなる。でも本来は、自分がいち視聴者、いち観客で、この映画を観たときにどう思うかを客観的に見ながら作らなきゃならない。自分たちが読んで面白くないシナリオは、お客さんに観てもらってもつまらないんです。だからシナリオもコンテも、妥協せずやりました。

──いい意味で、何もTVアニメと変わってないところがすごいな、と思いますね。

上江洲:そこをデッカく書いといてください(笑)。それが売りなんですよ。僕らが欲しかった感想、それです。そう言われたいよね、って言って作ってたんです。映画館に行って、面白い笑いが90分ある。尺が違うだけです。やっぱり『このすば』はあの4人の冒険で、小市民コメディ、ホームコメディであるべきなんですよね。監督がコンテを切っていく中で、映画スケールのものをやめていった中で今の映画がある。これが、手癖で作ってないということですよ。テレビっぽいまま作っちゃおうぜ、というアイディアが、かえってウケたということだと思います。

──結局、それをみんな待ってたということでもあるんでしょうね。

上江洲:そうそう。でもこれ、勇気がいるんですよ。何百人からいるスタッフを説得しなきゃいけないわけですから。なんとなくまわりの人たちの和を取っちゃって、「ま、いっか」ってやってたら、こうはならなかったですね。僕は、監督にはわがまま言ってほしいと思ってるんです。そうすることで、想定されている以上のクオリティや面白さにチャレンジできるんですよね。これは監督の特権だし、むしろ義務であると思っていて。ちゃんと監督にプランがあって、それを押し通そうとするとまわりから「わがままめ!」って言われるわけですよ。でも、面白いアニメは、みんなそう。わがままを言う監督は、そうすることで最終的に全員が幸せになるゴールが見えてるんですよ。大変ではあるけど、できあがったら絶対にみんな嬉しくなるから、今日だけ頑張ろうっていう。金崎さんは特に完全燃焼型で、はっきりとその特性が見えます。

──完全燃焼で作品を作り終えたとき、どんなことを思ったんですか。

金崎:僕は、作ってる最中はびっくりするくらいしんどくて。よく、お笑いマンガ家とか芸人さんが心を病むっていう話を聞くじゃないですか。

上江洲:はい。ギャグマンガ家が狂っちゃう、みたいな。

金崎:わかるわあ、って思ってたんですけど(笑)。でも、作り終わって、試写をやった時に、みんなと一緒に完成したものを観て、すごく幸せな気持ちになったんですよね。そこまで頑張った結果が、みんなで出し切ったものがここにあると。それですごく幸せだったんだけど、さらに劇場公開されて、たくさんの人が観に行って、みんなが笑ってるよって聞いて。実際に自分も劇場に足を運んで、『紅伝説』で楽しく幸せに笑ってくれる人たちの声を聞いて、僕自身も幸せにしてもらいました。

上江洲:それは、噓をついてないからですよ。「ここ、俺は嫌い。だけど、まあいいか」っていうものを残してないからです。全部自分のプランでやりきってるわけじゃないですか。

金崎:その部分ではほんとに、『このすば』シリーズもそうだし、劇場の『紅伝説』もそうだけど、この作品を作れてよかったなと。今は、その気持ちでもう十分、という感じですね。幸せ者です(笑)。

『映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説』公式サイト

取材・文=清水大輔