ヨシタケシンスケ初の完全読本! 創作の秘密もたっぷり詰まった『ものは言いよう』

文芸・カルチャー

更新日:2020/8/25

 2019年、『つまんないつまんない』でニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞を受賞したヨシタケシンスケ。同書がアメリカの老舗書評誌Kirkus Reviewsの「Best Books of the Year 2019」に選出されるなど、その感性は日本国内にとどまることなく広がり続けている。このたび刊行された新刊『ものは言いよう』(白泉社)は、雑誌『月刊MOE』で二度にわたって組まれたヨシタケシンスケ特集を加筆修正し、書きおろしをくわえたインタビュー&エッセイ集。創作の秘密を知ることのできる初の完全読本、刊行を記念してお話をうかがった。

『ものは言いよう』(ヨシタケシンスケ/白泉社)

■我慢強くなりたければ結婚した方がいい!? ヨシタケシンスケらしさ全開、のらりくらりの100問100答

――以前お話をうかがったとき、次は大人向けのいやらしい話を描いてみたいとおっしゃっていましたが、『ものは言いよう』に収録された100問100答のなかにも、ちょっと“いやらしいもの”は潜んでいましたね。

ヨシタケシンスケ(以下、ヨシタケ) どういうときに欲情しますか、という質問のところですね(笑)。確かにいやらしいものは書いてみたいんですけど、なかなか表現の塩梅が難しくて。というのも、いま僕を知ってくれている読者の方はやっぱり絵本が入り口なわけで、小さなお子さんがメイン。大人向けの本と棲み分けしたくても、なかなかうまくいかないんですよ。最近、新潮社から刊行された『思わず考えちゃう』というエッセイも、小学生の子が一生懸命読んでくれていたりするので。

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――じゃあ、今作も確実に読まれますね。

ヨシタケ そうなんです。だからかなり気を配ってはいます。ただ、いやらしいものを書きたいというのは、あたりまえにある生物の本能として扱いたいというだけで、品のない言葉を発してみたいわけではないので。僕もだんだん歳をとってきて、若いころは旺盛だった本能が衰えていくのを感じる。そういうのってやだよねー、こわいよねーっていうのを共有したいだけなんです。老人しか読まない老人向けの絵本を書いてみたいとも思うし、試しながら探っていくしかないですね。

――100の問い、すべてにイラストとコメントで答えていましたが、大変じゃなかったですか。

ヨシタケ 大変でしたよ(笑)。最初の特集では、自分の解剖図みたいなのを描いたりして大変だったので、質問に答えていくくらいなら簡単にできるかなと思ったんですが、読みが浅かった。俺のばか、って思いました。でも、もともとイラストレーターとしては、お題にいかにおもしろおかしく応えていくかが仕事ですし、楽しかったです。ひとつずつずらしながら、遠くなりすぎない着地点を探していくのは好きなんですよね。

――家族仲良しの秘訣を聞かれて「家族が仲良しの人に聞いておきます」とか、好きな画家はという問いには「法廷画家」とか。なんとも言えない顔のキャラクターと一緒に。

ヨシタケ なんとも言えない顔にはこだわりがあるんです(笑)。まあ、嘘をついてもしょうがないなあと思っていて。僕は、画家の名前も絵もあまりよく知らないし、家族ともそこそこ我慢してなんとかうまいことやっていますが、そのまま書いてもおもしろくないし、のらりくらりと逃げられたらいいなあと。

――家族仲良しの秘訣は、やっぱり「そこそこの我慢」ですか。

ヨシタケ そうですね、結婚ってつまりそういうことですから、我慢強くなりたければ修行と思って結婚すればいいと思います(笑)。

■なるべく嘘をつかないで、本当のところを伝えたいし見極めたい

――100問100答を読んでいて、確かに逃げてはいるんですけど、煙に巻くのとは違うというか、すごく正直な方なんだなという印象を受けました。

ヨシタケ なるべく嘘はつきたくないんですよね。言葉にしてしまえば身も蓋もないことをちゃんと言いたい、という欲があって。だって本当はこうだよね、という本音の部分を、常に冷静に見ていたいんです。じゃないと現状認識ができない。僕は、冷蔵庫に何が入っているのかをまず把握したうえで、料理できるものを考えたいタイプなんです。最初に「コロッケが食べたい」というゴールがあって、そこから材料をそろえていくタイプの方ももちろんいるし、クリエイティブというのは本来、そうした熱量のもと発揮されるものだと思うんですが、僕はゴールを設定する体力も材料を探しに行く気力もない。少ない手持ちだけでどうにかしようとするなんて、作家として何かが欠落しているんじゃないかと自分でも思いますが、そうすることしかできないのだから、仕方ない。結果、人とはちょっと違う珍しい道筋をたどることになって、生まれるものもほんの少し珍しくなるのかなあ、なんて思います。

――少ない手持ちでものを生み出す、っていうのはむしろ本当のクリエイティブだと思います。それに、本作を読んで改めて思いましたが、絵本デビューからたった6年でこれほどの仕事量をこなし、評価も得ているのはすごい。

ヨシタケ ありがたいし、申し訳ないです。この本の「ヨシタケシンスケの一日」にも描きましたけど、僕はぼーっとしている時間も長いし、こんなときにお昼寝しちゃだめなんじゃないかというタイミングで寝ちゃったりもする。昔から「自分は間違っているんじゃないか」という強迫観念が消えませんが「作家としていかがなものか」と今なお思い続けているんです。だからこそ今回の本のように、僕自身の気の小ささやどうしようもなさみたいなのも含めておもしろがってもらえると、もっと才能があって努力している方と同じ土俵に立つのもトントンかな、と。こんなに常識ばかり気にして、怒られることをおそれている人間でも、作家になれることもあるんだよ、って伝えることにも意味はあるかなあと思っています。逆に言うと、そこしかないよなとも思う(笑)。

――みんな、ほっとすると思います。ヨシタケさんほどの方でも、こんなに普通に、ぼーっとしたり寝ちゃったりするんだな、って。本書にもありましたけど、世の中って「頑張りたいと思ってはいるけど頑張れない人」がほとんどだと思うので。

ヨシタケ ずっと、みんな僕より頑張っているはずだ、だからもっともっと頑張らなきゃいけないんだと思っていたけど、四十数年生きているとそうでもないことがわかってくる。意外と僕みたいな人がたくさんいる。でも、じゃあ、僕は人よりちゃんとできているのかというとそんなこともないはずで、安心したり焦ったりをいったりきたりする堂々巡りのなかで生きていくしかないんだよなあ、つらいなあ、っていう無常観をどうにかおもしろがりながら描いていけたらなと思っています。生きづらさを少しでも減らすために必死でもがいてきたけれど、まあどうやっても減りはしないんだろうなと経験則でわかってくる。そしたら、生きていくためには絶望するのではなく、アップダウンのなかでときどき生まれる小さな気づきを楽しみながらやっていくしかないんです。

■狂気と紙一重の情熱には嫉妬するけど、憧れ続けたままの自分でいいと思えるようになった

――本作には、ボローニャ国際児童絵本原画展に招かれたときのイラストエッセイも収録されています。2017年に『もう ぬげない』がボローニャ国際児童絵本見本市で特別賞を受賞したんですよね。

ヨシタケ 作家も出版社も、絵本に対する熱情を抱いている人が一堂に集まっている場所に立ち会えたのは、おもしろかったです。かつてヒット作を出した人、これから注目されていく人、新旧の才能が絵本というひとつの世界を常に新陳代謝させていて、大きい流れをつくりあげているのを感じて。その中に僕も入っているんだ、という得も言われぬ感慨がありました。

――そのなかで、昔はヒット作を出していたんだけれど、今は作品に恵まれていない作家さんが売り込みにきている現場を目撃されたんですよね。ヨシタケさんが描いたそのうしろ姿と添えられた言葉に、彼がまだ絵本に対する情熱を失っておらず、矜持をもって生きているんだろうなというのが伝わってきました。

ヨシタケ 作品が売れていないことで、もしかしたら金銭的には恵まれていないかもしれないけれど、いちど絵本の世界を知ってその楽しみに触れた彼が、今なおやめることなく情熱を持ち続けているということは、とても恵まれたことだと思うんですよ。自分の心を沸き立たせるものに出会えている、というのはそれだけでとても幸運なことだと。絵本を描くことが好きで、絵本を通じて人と繋がることの喜びを彼は知っている。今はたまたま売れていないけど、また売れるかもしれないことを知っている。自分のなかにあるもやもやとしたものを露出する場所があるというだけで、ある意味、彼は勝ち組。そういう姿を見ることができたのもよかったなあと思います。

――本書で、影響を受けた人にヘンリー・ダーガーをあげていましたけど(半世紀以上、誰に見せることもない作品を1万5000ページ描き続けた画家)、その絵本作家に惹かれたのと理由は近い気がしますね。

ヨシタケ 僕は昔から、何かを“見つけた”人に対する強烈な憧れがあって。他の人から見てどうかなんて関係なしに熱中できるものを持っている、という状態がすごく羨ましいんです。やることなすこと何か間違っていやしないだろうか、と常に気にして自分を疑い続けてきた僕からすると、間違っているかどうかなんて問題とせず信じるものがある人に、憧れと嫉妬が渦巻いている。もしかしたら今の僕はその状態なのかもしれないけど、ヘンリー・ダーガーはもっとストイックだったはずだし、もっと熱心に、狂気に似た傾きをもって打ち込まなくてはならないんじゃないか、って思ってしまう。

――そんなふうに自分を疑うこと自体が、すでにストイックのような気もしますけどね(笑)。

ヨシタケ どうかなあ(笑)。でもきっと僕は、天才に憧れ続けて自分にぶつぶつ言い続ける、ということを一生続けていくんだと思う。それでいいか、とも最近は思います。

■誰も言葉にしなかった感情に名前をつけるだけで救われることもある

――本書では、自宅の本棚の一部と、おすすめの本もご紹介していましたね。「読まない本を買うのが趣味」っていうのに笑いましたが「私も!」って思いました(笑)。

ヨシタケ 読みもしない本を買ってばっかりの自分はどうなんだ、って思っていたんですけど、それを趣味ですって言いきると安心するでしょう。心置きなく、読まないでおくことができる(笑)。名前をつけるとそれだけで肯定された気持ちになること、ありますよね。

――紹介しているのはビジュアルブックがメインでしたが、なにか言葉の影響を受けた本はありますか? 『このあと どうしちゃおう』というタイトルには“ちゃ”が重要なのだと以前おっしゃっていたように、ヨシタケさんは言葉へのこだわりが強いと思うのですが……。

ヨシタケ 言われてみれば、僕は小説とか、長い物語をほとんど読まないんですよ。絵本をずっと読んできたあとはマンガに移行してしまったし、集中力が続かないから「これ誰だっけ」となってしまう。それで本好きというのもおこがましいなと思うんですが、そういう僕でもできることってなんだろうというのが出発点だったりもする。言葉にたくさん触れてきたわけではないし、難しい言葉や表現も知らない。小中高の授業で触れるような簡単な言葉を使って世の中で起きている難しいことを表現したらどうなるんだろう、っていう。

――それもやっぱり、手持ちのものだけで試行錯誤されているんですね。

ヨシタケ そうですね……言われてみれば、この人みたいな言葉選びをしたい、みたいなことも考えたことはないかもしれない。言葉に傷つき、絶望してきたことがたくさんあるから、逆に人を救うこともできるはずだ、どうしたら嘘をつかずに本当のところを伝えられるのだろう、という言葉のバリエーションを常に自己開発している気がします。ほら、言葉っていくつ持っていても荷物にならないじゃないですか。五十音の組み合わせだけで心が休まる魔法の呪文が手に入るのならば、そんなに素敵なことはないなあ、って。今回のタイトルは『ものは言いよう』ですけど、言葉の使い方ひとつで事態はよくも悪くもなるというのは物心ついたときからずっと考えていることなので。

――では、影響ではなく、自分を救ってくれた言葉や本は何かありますか?

ヨシタケ これも以前のインタビューで紹介しましたけど、岸政彦さんの『断片的なものの社会学』かな。あの本で岸さんは、誰もがわざわざ言葉にはしないけれど確実に存在している想い、みたいなものをちゃんと表現してくれた。僕が絵本を通じて表現したいのも同じで、たとえば「誰かにプロポーズする1分間」と「ぼーっとする1分間」では前者の方に価値があると思われがちだけど、その人にとってかけがえのない1分間として同一視をしたい、そのうえでぼーっとしている時間に何が起きているのかを丁寧にひもとき、名前をつけていきたいんです。読まない本を買うのが趣味、というのと同じように、名前をつけるだけで救われるものがあるはずだから。まさに「ものは言いよう」で、言い方を変えるだけでテーマは無限に出てくるし、続けられる限り、求められる限りは、自分にできることをやっていきたいと思います。

取材・文=立花もも 撮影=花村謙太朗