外出自粛は平安時代でいう「忌みごもり」!? 加門七海が語る、日常の中の怪異と“オマジナイ”

文芸・カルチャー

公開日:2020/8/29

 ホラー小説や怪談実話を執筆するかたわら、オカルト系ノンフィクションの書き手としても活躍する加門七海さん。このほど文庫化された『お咒(まじな)い日和 その解説と実際(角川文庫)』(KADOKAWA)は、数多くの文献とフィールドワークをもとに「オマジナイ」の世界に迫った一冊です。日常的な動作にも、実は数多く含まれているというお咒い。その実像を、お化けが見える作家としても知られる加門さんにあらためて教えていただきました。

加門七海

――「オマジナイ」と聞くとオカルトめいた儀式を連想しますが、加門さんの著書『お咒い日和 その解説と実際』(角川文庫)で紹介されているのは、それだけではありません。「紙を折る」「指切りをする」といった日常的な所作・行為にも、お咒いとしての意味が込められているのだと解説されています。

加門七海さん(以下・加門):この本では「なんらかの道具や行為、あるいは意思の力を用いて、超常的な力をたのんで結果を得ようとする行い」をすべて「お咒い」と呼んでいます。だから範囲は結構広いですね。縁結びや厄除けのおまじないはもちろん、お祓いも呪詛もお咒いに含まれます。こちらが見るとお祓いでも、祓われる側にしてみれば呪いになるわけで、そこは立場の違いでしかないんです。

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――結ぶ、切る、舞うなどの所作にも、マジカルな意味合いがあるとか。日本人の日常生活はこんなにもお咒いまみれだったのか、と驚きました。

加門:分かりやすい例をあげると、「いってらっしゃい」という挨拶がそう。これは相手に「行って」「いらっしゃい」、つまり目的地に行って無事に戻ってこいと命じる呪言、言霊を用いたお咒いなんです。日常的な所作や年中行事にも、お咒いにルーツを持つものがかなりあります。

――お咒いは「術」と「心」からなる、とも書かれていますね。

加門:そうですね。だから何気ない所作でも、心のありようによってはお咒いとして成立することもあります。たとえば一般的に、煙草を吸うという行為は個人の趣味嗜好ですけど、狐に憑かれた人を正気に戻すには、煙草の煙が役に立つとされている。狐憑きに対処しようとする心が、日常的な行為にお咒いの意味を持たせるわけですね。つまり仰々しい言い方をするなら、お咒いというのは世界をどう捉えるかだと思います。ものの見方を変えることで、自分を取りまく世界を変容させてゆく、その方法のひとつがお咒いなのではないでしょうか。

――加門さんは「呪術に効果があるかどうかについては、本書では触らない」と書かれていますが、個人的にはそこが気になります。実際のところ、お咒いに効果はあるのでしょうか?

加門:あると思いますよ。伊勢志摩の海女たちは、「セーマン」「ドーマン」と呼ばれる護符を身につけています。セーマンは五芒星、ドーマンは九字の文様で、それぞれ陰陽師の安倍晴明と蘆屋道満に由来しますが、現地ではそうした由来はほとんど知られていません。ただそれを身につけていれば、海の魔物から身を守ることができるとされている。海女やマタギなど命がけの仕事に就く人たちが多くのお咒いを守り伝えているのは、その効果を経験的に認めているからでしょうね。

加門七海

――では、超自然的なパワーを発揮することも?

加門:それは実例をあげろということでしょうか(笑)。自分の例ですが、今年の節分はこんなことがありました。豆撒きは地方によってやり方がありますが、うちは屋内に撒いた「福豆」を数粒ずつ、部屋の隅にしばらく置くことにしているんです。今年もいつものように豆を撒いて、2月10日過ぎだったかな、出先から帰宅してドアを開けるとなんだか家の中が生臭いんです。見ると、玄関から延びている廊下の隅に置いていた豆が、まるで誰かが蹴散らしたように崩れている。明らかに廊下に何かがいるんですよ。

――気配を感じたわけですね。

加門:なんだかマズいものが来ちゃったなあ、と思って。ただわたしは用心深いので、廊下の途中にももう一箇所、福豆を置いていたんですね。そこは突破されずに済んでいたので、その場で煙草を一服して、お香を焚いてしばらく家を空けたんです。帰宅後おそるおそるドアを開けると、気配はなくなっていました。豆撒きって効果があったんだ、とあらためて実感しましたね。

――加門さんは風水や家相をかなり気にして、今のお家を選ばれたとか。それでも得体の知れないモノは入ってきてしまうんですね。

加門:そうなんですよ(笑)。今の家に越すまでのことは『たてもの怪談』という本に書いていますが、あれだけ気をつけても結局は入ってきてしまう。多分、わたしが呼んでいるんでしょうね。うちには「宴会部屋」と名づけている部屋があって、中からよく物音がするんです。まあ普段使わない部屋だし、出てきて悪さをしない分にはいいかと。締め切って、放置してあります。

――さすがに慣れてらっしゃいますね。他にもご自宅で心霊体験をされたことはありますか。

加門:これも年中行事の話ですが、今年のお盆にこれまで親任せだった「盆棚」を初めて自分が中心になって作ったんです。お盆も地域差がありますが、東京ではまこもというゴザの上に、火を焚くためのおがらを据え、茄子やキュウリで作った牛馬、茄子やキュウリを刻んで洗い米に混ぜたものを蓮の葉に盛った「水の子」を飾るのが一般的です。さらにみそはぎという植物を用意し、その穂に水をつけてぱぱっと供物に振りかける。すると亡くなった人が食べやすくなるというんですね。お寺さんにこうした作法を一通り教わって、よしよし、これで完璧だ、とひとり悦に入っていたんです。ところが、7月のお盆に入ったあたりからどうも家の中の様子がおかしいんです。

――や、やっぱり何か来てしまいましたか!?

加門:ええ。黒い影が部屋を横切ったり、盆棚のあたりからぴちゃぴちゃと水音がしたり、明らかご先祖様じゃない人が訪ねてきている。いくらお盆でも、ちょっとこれは怖いなあと思って。後日分かったことですが、水の子っていうのは無縁仏に対するお供えなんですよね。つまり施餓鬼。地域によっては無縁仏が入ってこないように、屋外に水の子を飾ることもあるそうなんです。ぴちゃぴちゃいう音は、ゲストが水を飲んでいたんだなと。お盆の飾りにもちゃんと意味があって、死者を招くための作法になっているんだなと感心しました。

――加門さんは豊富な心霊現象をもとに、『怪談徒然草』などの怪談実話作品を書かれています。加門さんの怪談は、とにかく怖い! と定評がありますね。

加門:そうなんですか? 怪談実話を書かれる方はたくさんいますが、わたしのは「こういうものを見ました」という日常の記録なので、そこまで怖くないかなと思うんですよ。それに本当にマズい話、たとえば聞いた人に怪異が伝染してしまうような話や、現在進行形で続いている話は、できるだけ公にしないようにしています。だから安心して読んでいただけると。なぜか『怪談徒然草』を読んだ方からは、「読んだら何か来た」という話をよく聞きますけどね(笑)。

加門七海

――怖いのになぜか気になる、触れたくなる。私たちが怖いものに惹かれるのは、一体どうしてなのでしょうか。

加門:人生においてハンドルの「遊び」のような部分って、必要なものだと思うんです。分からないもの、理屈の通じないものに触れることは想像力を育むし、危機意識を高めることにもつながる。「向こう」の人たちは、こちらの都合もお構いなしで出てきますからね。殺虫剤も戸締まりも効果がない(笑)。せいぜい逃げるか、叫ぶかくらいしか対抗手段がありません。こうした原始的な感覚を味わえるのも、怪談の効能かなと思います。

 しかし一番の理由はやっぱり楽しいからじゃないですか。この手の話が好きな友だちに会うと、必ず「ねえねえ、最近怖いことあった?」と聞かれるんですよ。そんな時は子どものように目がキラキラしている(笑)。聞く方も語る方も、理屈抜きで楽しいものなんですよ。

――怪談実話を読んでいて、おかしな気配を感じたらどう対処すればいいですか。

加門:それはラッキーと感じなくちゃ。怖い目に遭いたくて読んでいるんですから、贈り物として受け入れるべきです(笑)。もしどうしてもマズいと思ったらその本を読むのを止めて、気持ちを切り換えるのがいいでしょうね。手を洗ったり、うがいをしたり。今、みんな感染症対策で手を洗っていますが、あれは禊ぎの一動作でもあるわけです。

――言われてみればそうですね。神社では必ず手を洗い、口をすすぎます。

加門:神社やお寺では、神仏と必ずソーシャルディスタンスを取りますしね。宗派によっては、神仏に息を吹きかけないよう紙のマスクをするところもあります。感染症対策はウイルスを相手にするものですが、日本人が「穢れ」に対処してきた作法と重なるところがある。外出自粛にしても、平安時代の人たちが「忌みごもり」をしていたのと似ています。コロナ禍によって古来の「お咒い」的なものがあらためて日常生活の中に浮上してきたのは、つくづく興味深いことだなと感じています。『お咒い日和』の著者として、こうした動きにも注意を払っていきたいと思っています。

文=朝宮運河