手塚治虫文化賞受賞で話題の『消えたママ友』。渡辺ペコさんと富永京子さんが語る「野原広子作品の魅力」とは?

マンガ

公開日:2021/6/3

富永:ネット上の断片的な情報では通りすぎてしまっていたものが、物語として読むだけで深く突き刺さるのは、“言えない”という抑圧を、社会に出た女性が多かれ少なかれ感じているからだと思います。ただ、“言いたいことを言う”――これを言ったらわがままだと思われるんじゃないかと危惧するレベルは、環境によってまったく違う。たとえば『みんなの「わがまま」入門』について女性誌の取材を受けたとき、驚いたのは「子どもにお菓子をあげないでと姑に言いたい」「仕事から帰ってきた夫に、スーツのままソファに寝ころばずすぐ片づけてと言いたい」という当然の主張でさえ“わがまま”に感じる女性が多いこと。でも考えてみれば、独立して働いている女性でも似た抑圧を感じる場面はあるはずなんですよ。

『離婚してもいいですか?翔子の場合』

『離婚してもいいですか?翔子の場合』
『離婚してもいいですか?翔子の場合』

――お酌をする文化はさすがになくなりつつあると思いますが、“女性だから”というだけで無自覚に背負わされている役割は、家庭の外にもありますからね。

富永:社会的に課せられたジェンダーの役割や、その場で主導権を握っているのが多くの場合男性であるために発生する暗黙のルールゆえに、自由に発言することが憚られるというのはままあることで。女性をめぐる桎梏は経済力があろうとなかろうと存在しているのだということを、野原さんに見せていただいたような気がしました。

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渡辺:私の仕事は限られた人間関係で成立しているのと幸運なのとで、抑圧を感じた経験はそれほどないんですよね。家庭でも社会でもわりとわがままでいさせてもらっていて…。だからこそわがままを……正当な怒りを我慢している人を見るともどかしくなってしまうんですが、“言えばいい”というのは苦しんでいる人を切り捨てることになってしまうな、と今、お話を聴いていて改めて思いました。

――わがままを言えずにきたからこそ、自由にふるまっているように見える人に対し“ズルい”と感じてしまうこともありますよね。そのことが生み出す、本来ならば必要ないはずの女性同士の諍いも、野原さんの作品にはよく描かれています。

富永:同一性が強調される人間関係で起こりやすい現象ですね。同じ家に暮らす家族だから、同じ幼稚園に通うママ友だから、同じ女性だから……と比較して、差異を我慢できなくなってしまう。『ママ友がこわい』を例にあげるなら、いくら同じ幼稚園に子どもを通わせているからといって、性格も年齢も、夫の属性も違う女性二人が「同じ」でないことは当たり前。それなのに子どもを通じて親しくなったことで“一緒”と感じるようになり、やがて断絶が起きてしまう。これも主婦に限った話ではなく、職場の同僚や学生時代の友人のあいだでも起こりがちですよね。あの人は結婚しているのに私はしていないとか、あの人の夫は〇〇なのにうちは……とか、そうした比較が結果として勝ち負けの感覚を生んでしまう。

『ママ友がこわい』

『ママ友がこわい』
『ママ友がこわい』

――野原さんの作品ではしばしば“私はかわいそう”とか“かわいそうなママ(妻)に思われたくない”というセリフも描かれますが、それもまた比較によって生まれるものですよね。

富永:それと、まとわりつく桎梏(しっこく)が強く言いたいことも言えないだけに、我慢してきたという感覚が強くなる女性も多いのかなと思います。私は他の研究者の方とガールズちゃんねるを対象に研究しているんですが、夫婦別姓問題をとりあげたトピックを読んでいて興味深いのは、ある時期まで反対する立場の女性がかなり多かったということ。「私たちが我慢してきたのだから、あなたも我慢しなさい」の論理も大きく働いているようです。受けてきた抑圧を正当化するために、我慢してきたことがプライドに変わる。結果、その我慢を経験せずに済む人たちが許せないし、誰かが得をしているように見えることに耐えられなくなる……。野原さんの作品では、そのプライドゆえの葛藤もしばしば描かれていると思います。

――『消えたママ友』でも、子どもを置いて消えてしまったママ友の有紀ちゃんを、残された三人はとても心配する一方で、自分の境遇と比較してあれこれ考えますよね。終盤では、あれほど親しく心を通わせ合っても、勝ち負けの感覚からは逃れられないのか……と衝撃を受ける場面もありました。

渡辺:有紀ちゃんの失踪をきっかけにあれこれ問題は起きたけれど、最終的にはそれぞれが互いの事情や痛みを想像して、歩み寄ることができた。その象徴として夜の公園で集うシーンが描かれたときは「ああ、ここにたどりつけてよかった」とホッとしたのに、その直後、あのセリフが描かれることで足元をすくわれたような気持ちになって……。野原さんはすごい、と改めて思わされた場面でした。なんて怖いものをお描きになるんだろう、と。

『消えたママ友』

『消えたママ友』
手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『消えたママ友』(2020年刊)

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