手塚治虫文化賞受賞で話題の『消えたママ友』。渡辺ペコさんと富永京子さんが語る「野原広子作品の魅力」とは?

マンガ

公開日:2021/6/3

渡辺:富永さんのご著書『みんなの「わがまま」入門』は、意見を主張することをわがままだと感じてしまう人が多いなか、言ってもいいんだと背中を押してくださる本ですけれど、野原さんの作品を読んでいて感じるのは、わがままを言うタイミングを逃し続けた結果、言えない立場が固定されてしまった人たちの物語なのかな、ということ。それから呼称……関係性が形作られていくうえでとても大きな影響を及ぼすものだと思うのですが、野原さんの作品では、夫婦間で夫は名を呼ばれもするけれど、女性はたいてい“ママ”や“お前”と呼ばれていますよね。

――たしかに。ママ友同士でも「〇〇ちゃんママ」と呼ばれる場面も多いです。

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渡辺:役割で呼ばれ続けることで固定されてしまうものも、おそらくあるのかなと。私は『にこたま』を描いたあたりから、作品内では女性を意識的にわがままにふるまわせるようにしているんです。男性が家事を担うとか、女性がやりたいことをしているときは男性に邪魔をさせないとか。そういう場面をあえて描かないと、どうしても女性が尽くしているように見えてしまう。並べるのは恐縮ですが、ママと呼ばれ続け、家庭内で我慢することが当たり前になってしまった女性たちが描かれていくなか、『消えたママ友』の有紀ちゃんは子どもを置いて消えることで一種の復讐を果たしたように私には感じられました。富永さんに伺ってみたいのですが、どのタイミングで“わがまま”を言えていたら、有紀ちゃんは消えずに済んだのだと思われますか?

富永:そうですね……。生活の領域でひとつでもお姑さんから侵略されない場所をつくれていたら、道も違ったんじゃないでしょうか。子育ても家事も「やらなくていい」と同居のお姑さんからとりあげられていたことが、彼女を追い詰めた原因のひとつですが、やっぱり、もちろんそれ自体が固定観念ではありますけど、「嫁の仕事」とイメージされているものすべてにダメ出しをされたら、自信をなくすし家庭での居場所もなくなっていきますよね。有紀ちゃんがつくったお弁当をお姑さんに捨てられるシーンを読んだとき、思い出したのは戦後の生活改善運動でした。祖母やそれ以前から受け継がれてきた代々の味噌があるのですが、嫁が味噌の醸造法を学び、より栄養価の高い独自の味噌をつくりあげることで、家での立場を確立し、生活の自立権を獲得していくという、一種の家父長制に対抗する運動です。

渡辺:そんな運動が……。すごく面白いです!弁当も味噌も、自分のアイデンティティを守るために死守しなくてはならないサンクチュアリでありプライドなんですね。そういえば有紀ちゃんが“本当の私を知っている人なんて(いない)”とか“私って何?”って言う場面があるじゃないですか。野原さんの作品ではしばしば主人公が「本当の自分ってどんなだったっけ?」って自問自答するんですよね。他者から守るべき領域を侵略され、名前の代わりで役割で呼ばれ続けることに慣れ、家庭内でのつとめを果たすことにあまりに一生懸命になってしまうと、“自分”が損なわれていくこともあるのかもしれない、というのも読みながら考えたことでした。

『消えたママ友』

『消えたママ友』

富永:『ママ友がこわい』で主人公がネイルをすることで気分をあげるシーンがありますが、あれは“他者から侵略されない自分”を守るためのセルフケアの一環ですよね。

渡辺:有紀ちゃんもいつも身ぎれいにしていましたけど、それはセルフケアにならなかったんでしょうか。

富永:彼女の場合はバリバリ働いていた人なので、自分のためというよりは、社会的な体面のためにそれをしていたんじゃないでしょうか。

渡辺:なるほど……。お金の使い道もそうですが、自分のためだけかどうか、というのが重要なんですね。

『ママ友がこわい』

『ママ友がこわい』
『ママ友がこわい』

富永:『消えたママ友』の友ちゃんが、娘のために買ったキラキラのペンを友達にとられたと知ったとき「高かったのに」って思う場面がありますよね。たぶん、千円以上もするものじゃないと思うんですよ。でもうまくいっていない夫といつか別れるときのためにコツコツお金を貯めているから、ほんのわずかなお金だって無駄にはできない。商社勤めを続けていた有紀ちゃんは野原さんの作品ではわりと例外的で、描かれる女性の多くは短大卒だったり、四大を出ても結婚して仕事を辞めていたりする。そのライフコースじたいが男性を主な稼ぎ手として、家庭内で権威的な立場にせざるを得ない部分がありますし、他者からの侵略を許しやすいのだと思います。

渡辺:友ちゃんは、ママ友のなかでいちばん若いけど、とても現実的でバランス感覚のとれた女性でしたね。ペンをなくした娘を諭しはしても責めることはないし、とられたかもしれないってママ友のヨリちゃんに話すときも冷静だし、彼女の辛抱強さにはけっこう、はっとさせられました。……それにしても、有紀ちゃんのお弁当を捨てられるシーンは怖かったなあ。あんなふうに、にこにこ笑うお姑さんに自分の居場所を乗っ取られていくって、どんな気持ちなんだろう、と……。担当編集の松田さんと相談して、弁当の中身をあえて寄りで見せたんだと知ったときは、なるほどと思いました。

『消えたママ友』

『消えたママ友』
『消えたママ友』

――ダ・ヴィンチニュースに掲載された、野原さんと松田さんの対談ですね。

渡辺:松田さんの赤入れが公開されて「もっと昼ドラっぽく見せましょう」って指摘が入っているのもおもしろかった。ただドロドロさせるためではなく、子どもをおいて家を出るという重大事を決断せざるをえなかった過程を読者に納得させるためには、確かに必要な積み重ねの一つですよね。ネームの作り方としてとても参考になったので、もっと見たかった(笑)。

富永:息子の好きなキャラクターが最初は“パオパオマン”だったのが“ゴーゴーマン”に変わっていましたよね。

――キャラクターがパチンコに使用されているのをきっかけに、やがて有紀ちゃんがパチンコにのめりこんでいくので、象のキャラクターよりは戦隊モノのほうがいいだろうということで変えたそうです。

渡辺:なるほど。対談では、作品によって線の太さを調整したというお話も興味深かったんですよね。確かに野原さんの絵って、初期のころはもう少し線が太かったから、かわいらしく明るいイメージが強かった。でも『離婚してもいいですか?』や『ママ友がこわい』では少し細くなり、『消えたママ友』ではさらに細くなって……。かわいいんだけれど、ふとした表情に渋さが入り混じる非常に洗練された線になったと感じました。よけいなものをそぎ落とし、シンプルに描かれた絵のなかに、これほど複雑な感情を浮かびあがらせることができるって、ものすごいことだと思いました。描きこむことだけが技法ではないのだと。キャラクターの描きわけも独特ですよね。髪型や服装をちょっとずつ変えて、さらっと描かれるのに、読んでいるうちにそれぞれの個性がたちあがってくる。主婦でありママでもあるという属性は同じでも、プライドや正義感のありようが一人ひとりこれほどまでに違うのだということが、痛いほど伝わってきました。

富永:特定の環境下における苦しみや葛藤を描くもコミックエッセイには危険性もあると私は感じていて。片づけられない人、信仰が強い親のもとで生まれた人、発達障害などを抱えている人……。それぞれ似た状況にある人を共感によって救うものである一方、描き方によっては「〇〇な人ってやっぱりこうだよね」という社会的なスティグマを背負わせかねない。でも野原さんの作品を読んで「ママ友/主婦ってやっぱりドロドロして怖いよね」みたいな感想を抱く人ってほとんどいないんじゃないでしょうか。渡辺さんのおっしゃるとおり、キャラクターにはいい意味で突出した個性がなく、「似ているけど、全然違う」ということが作品を通して常に描かれているから。

渡辺:『消えたママ友』では、子どもを介することで親同士のコミュニケーションがややこしくなってしまう様子が描かれているのも大きいですよね。自分と無関係な場所で発生した力関係によって距離感が変化してしまう難しさ、が、誰にでもシンプルに読み解ける構成になっている。ママ友だから揉めるんじゃなくて、二重の人間関係があるから複雑になってしまうことがあるんだ、と。

富永:逃れられない比較や勝ち負けの意識も描かれてはいるんだけれど、私は『消えたママ友』を最初に読み終えたとき、ここで描かれているのはシスターフッドだ、と思いました。ラストで春ちゃんが「しょせんママ友」って思うじゃないですか。どんなに仲が良くてもすべてがわかりあえるわけがない、何もかも話せるわけがない、と。でも同時に、有紀ちゃんの幸せも願っているんですよね。他の三人も同じで、どこか突き放した感覚を抱きながらも、みんなと過ごした時間は楽しかったし、必要な存在だったのだと知っている。それがとてもいいな、と。

渡辺:それぞれの自立心が、とてもかっこよかったですよね。

富永:そう、自立。女性の友情って、一生続くものが本物だと思われる傾向にある。だけど「しょせんママ友」でいいんですよ。それは決して関係の重みを否定するものではなく、局地的な縁でいいし、夜中の公園で出会うだけの関係でもいい。それでも心を通わせることはできるし、自分を強く支えてくれるものにもなるのだと。ママ友の失踪というサスペンス要素がフォーカスされがちな作品ですが、私はとてもポジティブな読後感を抱きました。

『消えたママ友』

『消えたママ友』

渡辺:それぞれ家庭内で孤独を抱えているからこそ、友だちに執着するし大事にしたいとも思う。だけど最終的に、孤独を抱えながらも自分の足で立つ強さを、それぞれが見つける過程を読ませて頂いた気がします。そしてこれは邪推ですが、野原さんご自身が、作品を重ねるごとに強さを身につけていってらっしゃる気がするんですよね。外野の、勝手な推測ですが。主人公とともに野原さんが強くなった結果、“結婚”というものにまた別の形で立ち向かっていくフェーズに入ったというか……。なので、今後どんなものをお描きになるのかとても楽しみです。

富永:野原さんの作品を社会学的に分析しようと思えばいくらでもできると思うんです。家父長制やモラルハラスメント、女性の隠れた貧困といった概念をもちいて説明したくなりますが、同時にそれをするのはもったいない、という気持ちがある。とくに『消えたママ友』で描きだされたそれぞれの心の機微は、理屈でカテゴライズしたくないと思わされる繊細さがありました。私も、次はどんな作品を読めるのか、心待ちにしております。

プロフィール
渡辺ペコ
2004年、『透明少女』でデビュー。繊細で鋭い心理描写と透明感あふれる絵柄で、多くの読者の支持を集める。青年誌で連載され、三十路手前のカップルの現実を描いた『にこたま』、「公認不倫」を描くことで家族や結婚の在り方を問いかけた『1122』(講談社)で多くの反響を呼ぶ。他に、『ラウンダバウト』『東京膜』(集英社)、『変身ものがたり』(秋田書店)、『ペコセトラプラス』(幻冬舎)、『昨夜のカレー、明日のパン』(原作 木皿泉/幻冬舎)『おふろどうぞ』(太田出版)など著書多数。

富永京子
立命館大学産業社会学部准教授、社会運動研究者。社会学的視角から、人々の生活における政治的側面、社会運動・政治活動の文化的側面を捉える。著書に『みんなの「わがまま」入門』(左右社)、『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)などがある。現在、毎日新聞、朝日新聞、北海道新聞などでコラムを連載。インターネット放送「ポリタスTV」、「8bitNews」などにも出演する。

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