芥川賞受賞第1作は学園ハレンチ×超能力×ディストピア!? 遠野遥×松井玲奈 同い歳小説家の対談が実現!

文芸・カルチャー

公開日:2022/2/5

共に1991年生まれ。注目の同い歳小説家の遠野遥さん(左)と松井玲奈さん(右)

 当時28歳にして『破局』で芥川賞を受賞した遠野遥さん。俳優として活躍、小説家としても注目を集める松井玲奈さん。「文藝」掲載時から反響続々の遠野さん3作目刊行記念として1991年生まれ、同い歳小説家の対談が実現!

遠野 松井さんは同い歳だと聞いていたので、小説も書かれていると知ったときから、いつかお話ししてみたいと思っていました。

松井 ありがとうございます。私も、同じ時代を生きてきたはずなのにどうしてこんなにも生み出されるものが違うんだろうと、『破局』を読んだときからずっと興味を惹かれていたので、こういう機会をいただけて嬉しいです。遠野さんの文章って、淡々と削ぎ落とされている感じがするんですよね。読み手に与えられる情報が限りなく凝縮されているというか……今回の『教育』はその濃度がさらに高くなっていて、読んだあとしばらくは引きずってしまいました。

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遠野 嬉しいです。松井さんの『累々』は連作短編集ですけど、読み進めていくとすべて同じ人のことが語られているのがわかってきて、状況や相手に応じてこんなにも〝見せない顔〟が存在するのかと思うとおそろしくもあり、リアルでもあり、おもしろかったです。構成も、めちゃくちゃうまいなと思った。あれは、意識していたんですか?

松井 おっしゃるとおり、人って、相手によって見せる顔が変わるというのを常日頃から感じていて。家族、友達、恋人と、それぞれに見せている顔をすべて寄せ集めても整合性がとれないような気もするんです。その多面性を物語に落とし込んでみたらおもしろいかも、というのが書き始めたきっかけでした。1作目の『カモフラージュ』も、人の多面性を描いた作品ではあるので、意識はしていないけれど、私の関心はそこにあって、同じところをぐるぐるまわりながら物語を探っているのかなと思います。パブリックイメージと違うものを書きたいというのもあるんですけど。

遠野 私も、あまり前作との繋がりを意識して書くことはないんですが、毎回インタビューで、物語で描かれる暴力性について聞かれるので、自分の関心はそこに向いているのかなあと思うときがあります。でも、そういうのって言われて初めて気づくことが多いですよね。

松井 それでいうと遠野さんは、体育会系の縦社会をしばしば描かれるのも印象的ですが……。

遠野 たぶん、私自身が小中高と運動部に入っていたからだと思います。先輩との上下関係、顧問との上下関係が染みついていて、辞めたあとも体感として残っているので。

松井 『教育』は特にそれが顕著でしたよね。支配的な先生たちと、成績によってクラスが分けられ、階級づけされていく学校内の世界が、生徒たちにとってはすべて。まるで催眠をかけられているかのようにルールを遵守する主人公がとても不思議なんですけど、彼のように〝こうあるべきだ〟と提示されたものを疑いなく受け取ってしまう場面は、きっと誰しもあると思うから、まったくの他人事でもなくて……。後半、学園の外から見ると自分たちはどうやら糾弾されるようなことをしているらしい、と知ったことをきっかけに、主人公の心情がどんどん乱れていく姿も、おもしろかったです。途中、主人公が翻訳している小説が作中作として挟み込まれるのも含めて、作品そのものが波打っているみたいで。その流れに身を任せていたら、「え!? そこで終わるの!?」ってところで着地する。絶妙に気持ち悪かったけど(笑)、好みの作品でした。

衝撃的な設定はいかにして生まれた?

――『教育』の学園で、生徒たちは超能力を開花させる訓練を受けています。成績向上のために「1日3回以上のオーガズム」を推奨されていて、生徒たちは男も女もみんな支給されたポルノ・ビデオを観たり、パートナーとの性行為に及んだりしている。成績がふるわないと、暴力的な罰も待ち受けている……。この設定はどのように思いついたのでしょう?

遠野 Perfumeの『Spending all my time』のMVを観たときですね。制服のような揃いの衣装を着た3人が閉ざされた部屋で繰り返し超能力の練習をしているんですよ。手を触れずに物を浮かべたり壊したり、カップの中身やカードの絵柄を当てたり。でも目的とかは全然わからない。それを見て、これは小説になるなって思ったんです。『教育』の主人公たちが、カードの柄を当てる訓練をしているのも、MVからの着想です。書いている途中も、この曲を主に聴いていました。

松井 すごい……。でもそういえば、私も『カモフラージュ』で書いた「完熟」という短編は、映画『君の名前で僕を呼んで』を観たのがきっかけでした。主人公の少年が桃を食べている場面の、指が食い込んでいる感じとかがめちゃくちゃエロティックで、映画館からの帰り道、絶対に桃で一本書こうと決めたんです。遠野さんの性的な表現は、どちらかというと淡々としていますよね。特に『教育』に登場する人たちは義務として遂行しているだけだから、官能的になりすぎない。その潔さが私はとても好きですし、だからこそ、読んでいてすんなり受け入れられるんです。

遠野 確かに、作品にとって必要だから書いている、という認識ですね。特別、性的な描写を書きたいというわけじゃない。デビュー作から、たまたまそういう表現のあるものが続いてしまったけれど、次作では封印しようと思っています。

松井 私も『累々』では、セフレだったりパパ活だったり、欲望を軸に繋がる関係を前提としつつ、男女がウィンウィンでいられる姿を描いていたような気がします。

遠野 男性だからこうだろうとか、女性だからこうだろうとか、そういった思い込みはなるべく排除して書こうとはしていますね。ただ、現実でも見られるようなある種の歪みを意図的に小説に持ち込むことはあります。たとえば『教育』では、先生が男性ばかりだったり、一番上のクラスに女子生徒が入ると珍しいと言われたり、食堂で出される食事の量が男子生徒にとってはちょうどいいけど、女子生徒にとっては多すぎる、とか。男性を基準に社会が構築されていると感じるときがあって、違和感を覚えたことがあるので。

松井 ああ、確かに……。主人公は、食事を半分残してしまった元パートナーの真夏ちゃんに、体にいいからって全部食べさせようとするんですよね。食べ終わるまでちゃんと待ってるから、って。よかれと思って言ってくれているのはわかってる、だから勧められたとおり温泉たまごを食べるんだけど、気持ちが悪くて、自分を見守っている人の視線が苦しくて、そんなことを思ってしまうことも申し訳ない。それは私も、何度も感じたことのあるものだったので、めちゃくちゃ共感しながら読んでいたんですけど、量が多いのが〝普通〟だと思っていたので、男性に合わせてそうなっているんだっていうのは、今、気づきました。そっか……。

主人公に愛着はもたない

――『累々』は、恋人にプロポーズされた女性、恋人の親友とセフレ関係にある女性、パパ活する女性をさまざまなシチュエーションで描きながら、ある一人の女性の実像を浮かび上がらせていきます。この構成は、どのように思いついたのでしょう。

松井 『カモフラージュ』は独立した短編集でしたが、次はどうしましょうという話になったんです。いきなり長い物語を書く前に短いお話を繋げて一つにしていく形ならば挑戦しやすいかもしれない、と思ったんですが……逆に難易度の高いことをしたなあ、と今は痛感しています。普通に一本、長いお話を書いたほうが、たぶん、よかった(笑)。遠野さんは、『教育』が初めての長編ですよね。

遠野 そうです。基本的にはプロットどおりに書くだけなんですけど、登場人物も今までより多いので、書くうちに全体像がわからなくなったり、出来事の因果関係が掴めなくなったりして、苦労しました。一回書き上がったものを自分で要約して物語を把握し直すなど、今までやったことのない作業も挟みましたね。

松井 毎回、プロットを立ててから書き始めるんですか? 『破局』を刊行したときのインタビューで、プロットが決まっているから、物語の途中から書いてみたりした、っておっしゃっているのを読んで、いったいどういうことなんだろうと思ったんですが……。

遠野 私はプロットがないと書けないんです。とはいえ、書きながら話の筋が変わることはありますし、そのほうがおもしろくなると思うので、転がる方向に身を任せますが。『破局』では、場面と場面を繋ぎ合わせるとき、変化に対応するための書き直しは加えました。『教育』は、頭から順を追って書いたので、そういうことはありませんでしたけど。

松井 ちょっと安心しました。読みながら、この作品も繋ぎ合わせたものだったとしたら、いったい遠野さんの頭の中はどうなっているんだろうと、そわそわしてしまったので(笑)。私は現状ではプロットをどう作っていいかわからないので、頭から書いていくしかないんですが、次の作品では途中から書いてみるというのも、新しい発見があっておもしろいかもしれない、って思います。ちなみに遠野さんは、主人公に愛着をもつタイプですか?

遠野 もたないですね。愛着をもってしまうと、どうしても肩入れしてしまって、おもしろくならないんじゃないかと思ってしまう。

松井 よかった。実は、私もなんです。名前とか、けっこう忘れちゃう。でも、自分自身がどんな人間なのかわからないのと同じように、主人公も実体の見えない他者だから、どんな人なんだろうと探るように小説を書いているんだろうな、って思います。そういう意味では、主人公との間には距離があったほうがいいのかもしれません。ときどき拝見する作品の感想は、私の意図しないところまで深く考察しているものもあれば、私の意図とはちょっとズレたものもある。でもそのどれも興味深く読むことができるのは、やっぱり、主人公=私じゃないから。実体験を書くなら小説という形はとりませんよ、ということだけはこの場で申し上げておきます(笑)。

すでに次回作を準備中。気になる内容は……

遠野 ちなみに、松井さんは演技の仕事もしていると思いますが、その経験が小説に影響していることはありますか?

松井 そうですね……。書くときはいつも、頭の中に箱庭をセットして、カット割りしながら書いている感覚があるんですよ。たとえば引きの画を撮るのは状況を説明するときなので、それと同じように風景描写を入れてみたり、主人公の感情を表すために寄りの画をつくるように心理描写を入れてみたり。このセリフを入れたら登場人物たちはどんなふうに動くだろう?と試しているところは、即興劇(エチュード)をしているときの感覚と似ているので、影響されているといえば、されているのかもしれません。遠野さんは、頭に浮かんだ状況や言葉をそのつど書き起こしていく感じですか。

遠野 まあ、そうですね。

松井 おもしろいですね。全然、違う。私は人称の選択も、一人称は寄りの、三人称は引きの画という感じがして、どちらで書くかいつも悩むんですが、遠野さんは今のところどの作品も一人称ですよね。

遠野 そうですね。そっちのほうが得意なんだろうなと思うので、飽きるまでは一人称でいくと思います。ただ、次作では同じ一人称でも、主人公2人が交互に語っていくスタイルで描こうかなと思っています。村上春樹さんの『1Q84』みたいな形式で、『教育』で描いたようなある種のひずみを、今度は学校内に収めるのではなく、社会全体に蔓延させて描きたいなと。

松井 おもしろそう! 読むのが楽しみです。私は、ファッションをモチーフにした話を書きたいと思っています。これまでの2作は、人があんまり幸せにならない話ばかりだったので、わかりやすくハッピーなものが書けたらいいなと。でもたぶん、最初にお話ししたような多面性みたいなものはどうしても滲み出ちゃうんでしょうね。それと私は、島本理生さんの小説をずっと読んできたんですが、ふとした瞬間に主人公の感情が切り替わるところがすごく好きなんですよ。そういうのって、理屈じゃないんですよね。どんなに執着していたものも一瞬で手放してしまえるような、瞬間的な感情の生々しさを、私も書いていきたいと思っています。

遠野 遥(とおのはるか)●1991年、神奈川県生まれ。2019年、『改良』で第56回文藝賞を受賞しデビュー。翌年、2作目となる『破局』で、平成生まれでは初となる芥川賞を受賞。

松井玲奈(まつい・れな)●1991年、愛知県出身。2008年芸能界デビュー。19年『カモフラージュ』で小説家デビュー。東海エリアの書店員が投票する「第3回日本ど真ん中書店大賞」小説部門大賞に選出された。2022年秋公開の島本理生原作映画『よだかの片想い』では主演を務める。

※ダ・ヴィンチ2022年1月号掲載記事の転載です。

取材・文:立花もも
写真:Naoya Matsumoto(遠野さん)