「神神化身」とは“何者”か? 作品に魅せられたアニメーション監督・古川知宏さんが原作者・斜線堂有紀さんとその魅力について語り合う!

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/2

  全国各地の郷土芸能や神事の要素を盛り込んだ和風伝奇ミステリ小説と、和風楽曲の両軸で展開するメディアミックスプロジェクト「神神化身(かみがみけしん)」。「カミ」に歌と舞を奉じる「覡(げき)」と呼ばれる役目を負ったイケメンたちの物語は、Twitterおよびニコニコチャンネルのブロマガで原作が連載され、小説、楽曲を軸に、CD、書籍、ボイスドラマ、コミカライズなどを展開。彼らの濃密な感情、謎多き展開の物語が大きな話題を呼んでいる。

 このたび、新作小説『願いの始まり 神神化身』(ドワンゴ)の刊行を記念し、原作者の斜線堂有紀さんと『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を手掛けたアニメーション監督・古川知宏さんの対談が実現。「神神化身」とは「何者」なのか。そして『願いの始まり 神神化身』を巡る対話から浮かび上がった「R25世代の通過儀礼」とは──。気鋭の二人が本作の魅力を読み解いていく。

(撮影=難波由香)


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斜線堂有紀さん
斜線堂有紀さん

古川知宏さん
古川知宏さん

──「神神化身」というコンテンツへの第一印象はどのようなものでしたか?

古川:あれですね、「キャラクターコンテンツ界のロデオマシーン」。

斜線堂:暴れ馬ですね。

古川:そうですね。乗せる気はないんだなと。誰がいつまでしがみついていられるかをR25世代に突きつける。ある種の通過儀礼というか、村で大人になるための、斜線堂村で大人になるために必要な通過儀礼だと思います。

斜線堂:この暴れ馬に掴まっていられた者だけが住み続けられる!

古川:現代のコンテンツ力で生み出されたロデオマシーンです。

斜線堂:やっぱりとっつきにくいんですよね。

古川:いや、とっつきにくさが素晴らしいところですね。跨った瞬間に始まる「これは!」という驚き。先生と一緒にお仕事したいなと思った一つのきっかけでもあるし、先生の作るキャラクターに対して僕が思っていたことがやっぱり表れていました。

──今回刊行された『願いの始まり 神神化身』についての印象はいかがでしょうか。

古川:この長さの本で登場人物6人を紹介しないといけないから、余計に濃密に書かれていましたね。お客さんが入りやすい入り口、いわゆるキャラクターの類型みたいなものはあるのに、簡単に消化しきれないように作られている。半分計算でありながら、それが斜線堂有紀の本能のなせる技というか、馬の足並みなのかなと。鞍を載せただけで実は振り落とす気だったというか。

斜線堂:そうですね、鞍付けたから何やってもいい、みたいな(笑)。

古川:さっき言ったテンプレの力はありつつ、そこから先に入っていった後に懐の深さがある。なんと表現したらいいのか。「そうじゃなかったら斜線堂有紀がやる意味がない」ということですよね。

斜線堂:敷居の高さや分かりにくさみたいなものをそのまま皿にのせて出しました。ここで我を貫かなければ私が書く意味がないんじゃないか、と。

古川:でも結局、その方が既存のコンテンツとの差別化が図れたんじゃないかな。まったく親切じゃないところが好きです。

古川知宏さん

──様々なコンテンツが生み出される時代において「差別化」は難しい問題です。

古川:結局いろんな類型がある中で他との差を図ろうとすると、じゃあ和風なんです!とか、神に納める舞なんです!というところは、究極言うとただのディテールでしかなくて。実はそこから先の、和だとか舞とかで入ってきた人たちを捉えるという点では「食虫植物」ですね。なんとですね、「神神化身」は探偵とか、怪盗とか、小説家とかが出てくるんですけど、これってある種「食虫植物」の罠みたいですよね。なんと言うか、「このキャラは理由があって今はアイドルみたいな活動をする」形式って既存のものでもあったじゃないですか。今までも消費されてきたものとギャップの部分では変わらないのかもしれないけど、スピード感と説得力が違うと感じました。探偵が探偵であると言うためだけにとりあえず作中で人が死ぬ。

斜線堂:そうですね。探偵がいるからそうなる、という。

古川:僕は照明が落ちてくるシーンを読んだときに、そんなに落ちねえぜ?って思った。ここで読者の皆さんのために説明すると、僕は『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下「レヴュースタァライト」)というアニメを作っていたんですけど、作中に舞台照明とか出てくるので結構調べたんですよ。あんまり落ちてこないです(笑)。

斜線堂:探偵がいるから落ちるんです。

古川:そう! だから、いい意味での気持ちいいツッコミどころがあって、そこにツッコもうかなーと思っているうちに、どんどんどんどん……。探偵がいるから怪盗がいます、しかもその2人が運命に導かれて出会うシチュエーションが、とんでもない天才小説家の講演会です!っていう。そのスピード感ですよね。ツッコミどころしかないんだけど、ツッコむ間もなく、その後すごくあざやかにボールがパスされていく。結局、天才小説家のキャラクターをどう表現するかっていうことのためだけに探偵と怪盗の突飛さも一瞬膨らんだのかなと。あの2人が起こしたような特別な事態すら、天才小説家の言葉で収まるというのは素晴らしいスピード感があると僕は思っていて。

斜線堂:お得感がすごいですよね。探偵と怪盗と小説家という組み合わせはカツカレーみたいなものだと思っています。

古川:それは思い込みです(笑)。

斜線堂:私にとっては定番セットなんですよ。

古川:アニメーションの方が、意外と説明が必要なんですよ。やっぱり小説とか漫画って読ませちゃう力があるじゃないですか。作家が持つ、読ませるという強烈なパワー。何て言ったらいいのかな。地の文というものがアニメーションにはないんですよ。いや、あるんですけど……。キャラクターがしゃべらない瞬間、地の文をいかに表現するか。キャラクターの持ち味やそのシーンの空気をどうやって閉じ込めるかを含めてアニメーション化するんですけど、スピード感が全く違うんですよね。だから羨ましいなと思っている。その「カツカレー」が定番セットだと思っている先生には「違う!」と言っておきたい。僕たちの世界では違うんだけど羨ましいなって。

斜線堂:そう、スープパスタを作っているように見えるんですよ、私は。スープにパスタ入れる?みたいな。でも、定番メニューのカツカレーを作っている気持ちだから……。

古川:(笑)。コンテンツというかキャラクターを作ってお客さんに届けるという仕事でも、媒体が違うとこんなに時間の使い方とスピード感が違う。もしオリジナルアニメで「神神化身」をやれって言われたら、探偵と怪盗と小説家で結成された「闇夜衆(くらやみしゅう)」というチームとそのキャラクターをお客さんの胸の中にボールを入れるまで結構時間がかかるんですよ。アニメだと『願いの始まり』の前に刊行されていた『神神化身 壱 春惜月の回想』(ドワンゴ)、そっちのディテールを丁寧にやらないとなかなか入ってこない。小説だとそうじゃなくて、この3人が覡(作中で「カミ」に舞と歌を捧げる神職のこと)になるのが面白いんでしょ!って。この3人が闇夜衆を組んでからが面白いんだから! そこまでは作家の読ませる力が強いからトントントンと進みますよね。

斜線堂:バックグラウンドを読みたい人は『春惜月の回想』に戻ってね、みたいな感じです。

古川:そうそうそう。話が戻りますけど、その行ったり来たりが、このコンテンツのいいところである「面倒くささ」ですよね。この中に全部入っていない、全部入れない良さ。ある種の不親切さが素晴らしいと思っていて。やっぱり神様の話って簡単には語れないんだなって思いました。

斜線堂:しかも、プロジェクト的には、楽曲もあるから聞いてくれ、っていう。

古川:そう。ある種の不親切さみたいなものがまだちゃんとこの世にあるのがいいというか。「あれ? これどうなってたっけ?」と「神神化身」公式サイトのWEBページをクリックしたり『春惜月の回想』を本棚から持ってきて読み返したり、みたいな行為が楽しかったんですよ。ディテールを自分で集めて回るっていう行為が結構久しぶりだったので、すごく楽しかったですね。自分の作品作っているときには特にそういうことがないので。

古川知宏さん

──作中では「舞奏」のシーンも印象的です。

斜線堂:音楽とダンスのコンテンツをやりますというなかで、「カミに奉じるから踊るんです」っていうのは結構原初的なものだと思ったんですよね。

古川:神に捧げている原初的なもののディテールを作品の中に入れたい、と。

斜線堂:身体言語ですね。だって対話の相手は神だからな、という。

古川:他に何やっても神はこっち向いてくれなさそうですもんね。

斜線堂:なぜか繋がっているんですよね。歌と踊りは。

古川:そもそも祈祷のような行為が原初的な体験に基づいているからこそ、普遍性があるんだろうなと思うし。祭祀とかイベントに楽曲がつきものなのは、そういうことでしょう。

斜線堂有紀さん

願いの始まり 神神化身

──身体言語でしか繋がれない事象もあるということでしょうか。

古川:繋がれないというか、昔からそうだと思うんですけど、ことコンテンツや作品はスピード感とキャッチしやすさを是とする傾向はあって。ただ、「神神化身」はコンテンツの性質としての読み解きの面倒くささが、歌と踊りという圧縮された分かりやすい身体言語──、つまり現代的なスピード感の象徴とセットで出されている。そこが面白いなと思います。この作品の根幹である歌と踊りによって捧げられたものをお客さんも一緒に体感するという部分はかなり現代的な身体言語だし、音楽とリズムによって歌詞なども非常にスピード感をもってお客さんに届いていく。まあ、『レヴュースタァライト』も歌って踊るんですけどね。そう考えた時に納得しました。共通点があると思いました。

斜線堂:たしかに。歌うし踊ってますよね。

古川:うちは「劇」の表現としてレヴュー内にある種の「チャンバラ」があります。……チャンバラはいつやるんですか?

斜線堂:もうチャンバラですよ。

古川:作中でも競ってますしね。

斜線堂:そう、戦っています。

古川:競うっていう行為は結局、置き換えとしての対話ですよね。歌って戦っているけどもカミに奉じているものは「相手との対話」である。観囃子とカミに対して、届けようという部分は同じだけど、アグレッシブに競い合うような闇夜衆と、一体となるような櫛魂衆との違いみたいなものも含めて、身体言語で戦うイコール語り合っているんだなというところが、みんなが好きなところ。入りやすいところ、なのに、コンテンツはめんどくさい、そこがいい。25歳以上の方にオススメです。

そして中高生の方! 歯ごたえのある、大人の階段を上りたい時にオススメなのが──そう、こちら「神神化身」です!

斜線堂:上ってみないか?

古川:君も上ってみないか、ここに来ないかってことですよね。最初にも言いましたけど行ったり来たりするのが楽しい作品なので、これから幅が広がって豊かになっていくこと自体が価値になっていく。これからなんだな。まさに「願いの始まり」。タイトル通りで、これから行ったり来たりも含めて、面白くなってくる。この本はこれで終わりじゃなくて、次の2冊目、3冊目が出たときに、「願いの始まり」に別の意味が当然付加されるタイプの作品なんだろうと思いますね。楽しみだなあ。

古川知宏さん

願いの始まり 神神化身

──また、『願いの始まり 神神化身』では櫛魂衆が小学生に舞奏を見せるシーンが書き下ろされていました。そこでは「才能」についても斜線堂さんなりの言及があったように思います。

斜線堂:そうですね、櫛魂衆が生まれた相模國(さがみのくに)では化身(「舞奏」の才を示す、身体のどこかに現れる痣)というものが結構重要視されていて。化身を持たない子が覡になりたいって言うよりも、化身があった子が覡になりたいって言った方が優先される文化があるんですね。

古川:それは國によって違うんですか? この作品の世界観の中で、統一的にそうなのかと思ったんですけど。

斜線堂:大部分ではそうなんですけど一部では例外ですね。それで比鷺君──舞奏の名家の息子が「小学生に舞奏を見せるのはどうなのか」と言う。あれが私の中で才能の象徴的なシーンであって、才能が有るか分からない子に才能だけが偏重される世界に憧れさせてしまうことの功罪というものがあるんじゃないかと。

古川:だから、すごく読んでて身につまされたというか。もし現実として化身が現れる、現れないがあったら……。現れてほしいですか? 化身が現れる世界になってほしいかどうか。

斜線堂:現れる世界には正直なってほしくはないです。……というのは、あるんですけど、すごく利己的なことをいうと自分に現れるのだとしたら、そりゃあってほしいという。それってやっぱり拠り所にできる部分もあるだろうし。

古川:それとすごく思ったのは、現れなかったから諦められるというのもちゃんとあるなと思ってて。一瞬残酷に見えたんだけども、「救い」でもあるよなって。個人的には化身の発現に年齢制限があるのかどうかを知りたくて。これも今後語られるディテールなのかなと思っていて、大人にも出るじゃないですか。

斜線堂:そうなんですよ。

古川:そこがすごく面白いと思う。普通そこってタイムリミットの表現として使用されるのに、あっそうしないんだ!って思った。だけど、タイムリミットになっていないからこそ余計に残酷だなって。

斜線堂:そう! そうなんですよ!

公式Twitterとブロマガで連載中 の第二部から新しく出てくるチームに、まさにもう無理かもな、明日出るかもな、と思っているキャラクターがいます。

古川:そう、そこも今後の面白さになるんだろうけど、すごく好きなディテールです。先生の他の著作でもそうなんですが、才能の在り処、年齢と才能のギリギリのバランスが好きなんだな、って。

斜線堂:そうですね。

古川:でも小学生に見せる見せないっていう才能の話、それこそ20歳くらいの時にはあまりピンとこないと思いますよ。何回も言うけど、25歳くらいというのはめちゃくちゃリアル。やばいな、このまま30までいくのかな? という。僕、25歳でこの業界に入ったんですよ。30歳までになにか特別な作品自分で作らなきゃって思っていたから29歳の時にアニメを辞めようと思っていました。

──「25歳」という年齢に紐づけると、『神神化身』のキャラクターに対する理解も新たになりそうです。

古川:闇夜衆も一般的な「大人」に近い年齢じゃないですか。子供から大人になるまでのディテールが「変化」としてよく描かれがちですけど、才能の壁というものにぶつかった時にキャラクターが本人のまま、別のものに変容するという大きな波の瞬間が大人にもある。上手く言えないですけど、本人が形成される時期が子供から大人だとしたら、本人が本人のまま別のものにならなきゃいけない、その選択肢を選ばされる瞬間が大人になった時には来るじゃないですか。闇夜衆の3人はそれを選んでいるというのがより現代的なディテールだなって思いますよね。やっぱり『神神化身』ってR25世代向けじゃないかな。先生ありました? そんな瞬間。早めに作家になったからないんじゃ……?

斜線堂:もう必死だったな、っていうのしかない。

古川:長く泳いでいる。この向こう岸が見えない小説の海を。

斜線堂有紀さん

──これから『願いの始まり 神神化身』に触れる読者の皆様へメッセージをお願いします。

古川:間口は広いですけど、そこから先は振り落とされることを楽しんでいただけたらいいんじゃないかと思います。僕も振り落とされちゃうかも。

斜線堂:ついてきてくださいよ!

古川:ビジュアルのピークが「美しい舞」だからといって、皆を抱擁して迎え入れてくれるコンテンツでは、ありません。ロデオマシーンです。……くらいかな僕が言えるのは。危険で楽しみ甲斐のある作品です。

斜線堂:この暴れ馬に乗ってくれたらすごくいいところへ連れていってもらえると思うよ。

古川:落馬しがいがありそうですね。

斜線堂:落ちても楽しいですよ。

古川:いつでも待っててくれて何回でも乗りなおせる。つまるところ「神神化身」は乗っている限り素晴らしい風景を見せてくれる皆様のための駿馬なのではないかと思います。

古川知宏さん、斜線堂有紀さん

■「神神化身」公式サイト:https://kamigamikeshin.jp/

■「神神化身」公式Twitter:https://twitter.com/kamigami_keshin

■「神神化身」公式ブロマガ:https://ch.nicovideo.jp/kamigamikeshin/blomaga/tag/%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E5%8C%96%E8%BA%AB

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