お見合い会場で指名手配犯を追跡! 手に汗握るプロローグ――吉川英梨『警視庁01教場』第1章までをまるごと試し読み#1

更新日:2023/11/30

警察小説を軸に新しい挑戦を続けるミステリー作家・よしかわ。その待望の新シリーズ『警視庁0ゼロ1ワン教場』(角川文庫)が、2023年11月24日(木)に発売となりました。
刊行を記念し、プロローグから第1章の終わりまでまるごと読める試し読みを掲載! 全4回の連載形式で毎日公開します。
気になる物語の冒頭をぜひお楽しみください!

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書き下ろし新シリーズ始動!
吉川英梨『警視庁01教場』大ボリューム試し読み#1

プロローグ

 あまかすはホテルのロビーの人の流れを見ていた。背後の窓からはおだいのレインボーブリッジが見えているようだ。向かいに座るしまもとすぐるが解説している。
「レインボーブリッジの下に集結しているのは、すみ川で夜桜クルーズを終えた屋形船かな。この時期は花火大会の時期と同じくらいにたくさんの観光船が出るんですよ」
 仁子は窓を振り返った。
「へえ、きれいですね」
 島本が突然、ワインを噴き出した。
「どうして笑うんですか」
「だって全然興味ないでしょう」
 仁子より七歳年上の三十九歳の島本は、警視庁の刑事とは思えないほど穏やかだ。上司に勧められたお見合いで今日初めて会った。一軒目を終えて、ホテルのラウンジで軽く飲んでいる。
 島本は気を悪くした様子もなく、ロビーの人の流れを振り返った。
「君は仕事人間のようだね。言い寄る男たちを次々となぎ倒してきたんじゃないの」
 仁子は笑うにとどめた。
「今日、僕に会いにお台場に来てくれたのも、お見合い相手に興味があったわけでもなく、上司の顔を立てたわけでもない──仕事のためだね」
 島本が鋭く指摘した。
「一軒目のレストランは退屈そうだった。二軒目に最上階のバーに誘ったのに、一階のロビー脇のラウンジがいいと言い張った。僕は奥の席をすすめたのに、自ら手前の──フロントやロビーの人の流れがよく見える席に座った」
 何もかも見抜かれている。仁子は額を押さえた。
「人の流れを見たいからだ。職業病だね」
 仁子は警視庁刑事部の所属だ。捜査共助課で見当たり捜査員をしている。管内の主要駅や繁華街など、人の往来の激しい場所に立つ。通行人や待ち合わせを装って町に溶けこみ、指名手配犯を捜すのが任務だ。
「さすが、『精肉業者』の方は鋭いですね」
 島本は公安部の刑事だ。『公』の字をばらして『ハム』と呼ばれることがよく知られているが、本人たちが『精肉業者』と自称することもある。内偵と監視が主な仕事だから、島本もお台場のデートだというのに青と黒の地味なストライプのネクタイをしている。スーツもワイシャツも就職活動中の学生みたいに個性がない。ロングヘアを内巻きにしてエナメルのハイヒールを履いてきた仁子とは大違いだ。
「デート中だろうがお見合い中だろうが、手配犯をあげたいんです」
「服装を派手にしてきたのもそのせいだね」
 お台場という観光地で公務員のようなかつこうは悪目立ちするのだ。
「これまで何人くらい検挙できたの?」
「一年目に三人」
「それはすごい。才能ある」
「二年目はゼロ」
 おっと、と島本はおどける。店員を呼びウィスキーを頼んだ。島本はロックで、仁子は水割りを頼んだ。
「今年で三年目なんです」
 仕事の話だから、仁子は敬語で言った。
「今年、二〇二二年の成績は? まだ四か月しか経ってないけど」
「ゼロ」
「まだ八か月ある」
「もう八か月しかないんです」
 年末年始は人が動く。がんじつなり空港、二日ははね空港に立った。
とうきよう駅の新幹線乗り場にも立って、あの三日間でたぶん百万人以上の顔を見ました。でもダメでした」
 今年に入ってから、一度も休みを取っていない。
「ビギナーズラックって言葉は大嫌い」
「誰かに言われたの?」
「陰口は聞こえてきます」
「見当たり捜査ってしょっちゅう成果をあげられるもんじゃなさそうだけど」
「そう思われがちですが、違うんです。毎年どの捜査員も、ひとりか二人は必ず……」
 ロビーの人の流れに、見覚えのある顔を見つけた。四十代くらいの大柄な男だ。仁子はトートバッグから、A5のノートを出した。警視庁が指名手配している百五十人の顔写真を貼っている。傷やほくろ、現在の年齢などの特記事項も細かくメモした、仁子の『虎の巻』だ。
「いた。この男!」
 仁子はノートを示した。島本の表情が厳しくなった。
「あのほつこういちか」
「追います。島本さんは所轄に応援要請してもらえませんか」
 周囲の客に聞こえぬよう、仁子は島本の耳元にささやいた。
「無理だ、やめておいた方がいい。装備も人員も態勢も整っていないんだ。通報はするけど単独で追うのはだめだ」
 仁子は聞き流し、堀田光一の背中を見つめたまま立ち上がる。紺色のブルゾンに、グッチのジャージのズボンを穿いていた。足元はナイキのごついスニーカーだ。髪は短く黒かったが、昔は金髪で耳にかかるほど長かった。ビーチにつながるテラスへ出た。誰か人を捜しているふうだ。仁子もロビーのレストランを出る。
「しかもいま君はよそ行きのスーツにハイヒールじゃないか」
 追いかけてきた島本に腕を引かれた。振り払う。
「ちょうどいい。絶対に刑事だとバレないでしょ」
 仁子は堀田を追い、テラスへと出た。

 堀田光一は、半グレ組織『はる連合』の幹部だった。群馬県まえばし市出身で、小学校六年生のときに特攻服を着て煙草を吸っていたところを補導された。中学校にはほとんど行かずに、喫煙や未成年飲酒、暴行傷害、窃盗などを繰り返してきた。
 両親とも公立学校の教師だ。兄が優秀で比べられて育ち、徹底的に反抗した末に道を外れた。両親からは絶縁されている。地元のヤクザにかわいがられながら、『榛名連合』を立ち上げて、主に北関東で悪さを繰り返していた。三十歳で榛名連合の総長の座を後輩に譲り、会長職に就いていた。いまから五年前の三十五歳のとき、女を巡ってもめていた堅気の男性を、手下十人と共に襲撃し殺害した。
 襲撃は平日の朝、しんばし駅前の路上で堂々と行われた。目撃者も多く、撮影する者までいて、犯行の一部始終はネット上に流れた。白昼堂々の荒っぽい犯行は日本中をしんかんさせた。犯行グループのうち六名は即日逮捕された。三名は監視・防犯カメラのリレー解析による追跡で身柄を確保できた。
 リーダー格で指南役の堀田光一だけは見つからなかった。十日後には偽造パスポートでマニラに飛んだことが発覚した。事件の一年後に継続捜査案件となり、捜査本部は解散した。堀田光一は指名手配犯として警察庁に登録されることになった。
 五年が経ち、いよいよ堀田は日本に戻ってきたようだ。顔が知れ渡った地元の前橋には戻らず、人が多い都心に居ついているのだろう。
 絶対につかまえる。
 堀田はテラス席を見渡していたが、目当ての人物がいなかったらしい。お台場のビーチに出てしまった。
 ラテンミュージックが聞こえてくる。まだ冷たい風が吹く四月上旬のお台場だが、砂浜では薄着の若者たちが十人近く集い、飲めや歌えの大騒ぎをしていた。
 堀田は砂浜で騒いでいる大学生ふうのグループを、乱暴に突き飛ばしながら歩く。会社員のような団体が近づいてきた。店をはしごしている途中のようだ。仁子は絡まれてしまった。
「お姉さん、きれいだね! 一緒にもうよ!」
 仁子は腕をつかもうとした酔っ払い係長の手首をひねり、腕をさばいた。
 堀田が見ていた。目が合う。走り出した。
 バレたのか。
 仁子は会社員たちを突き飛ばし、全速力で堀田を追った。堀田は中国人観光客団体に体当たりし、カップルをなぎ倒し、一目散に逃げていく。
「堀田光一、止まりなさい! 警察だ!」
 四十歳になっているはずだが、逃げ足は速かった。砂浜に下りて波打ち際を走る。家族連れやカップルは道を空けた。若い男性が何人か堀田をつかまえようとしてくれたが、振り払われたり、突き飛ばされたりしている。
 仁子は砂浜でハイヒールを脱ぎ捨てた。海風に翻るジャケットが邪魔だ。腕を振り推進力を上げながら、脱いだ。今度は髪が煩わしい。風にあおられて顔にべたりと張り付き、前方が見えなくなる。いつでも髪を束ねられるように、ヘアゴムは手首につけている。堀田が砂浜脇の階段を駆け上がり、道路に出た。仁子も後に続きながら、舗装道路に上がる。髪を後ろに束ねた。ストッキングは足の裏から伝線している。
 ただ一心に、堀田の背中だけ追った。
 堀田がゲートをよじ登っているのが見えた。プロムナードと書かれた銘板が脇にかかげられている。どこにつながる道路なのか調べる暇もないまま、仁子もゲートに足をかけて、その内側に着地した。誰もいない遊歩道をひたすらに追いかける。
 堀田はあきらかに速度が落ちていた。仁子もヘトヘトだ。息が上がり、足が絡まるようになった。腕を振る力もあまり残っていない。
 ガードレールの脇を車がひっきりなしに通り過ぎていく。どこの幹線道路だろうと考える暇もない。呼吸が苦しくて、肺が爆発しそうだった。目の前を走る堀田もよろよろだった。殆ど歩くような速度だ。
 どこからか、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。ようやく応援が来たらしい。
 堀田はサイレンの音で、しりに火が付いた。再び走り出す。
 H形の鉄塔がそびえているのが目に入った。白くライトアップされている。ここはレインボーブリッジだ。プロムナードは橋の遊歩道のことか。つい一時間前まで、ホテルのロビーから眺めていた美しい景色の中にいる。近くで見ると白い主塔は風雨で薄汚れ、強いライトも品がなく場末の風俗店のように見えた。
 とうきようわんがん署のパトカーが次々とレインボーブリッジに入っていた。対向車線からはしながわ署と高輪たかなわ署のパトカーも集結していた。
 仁子は足の裏がずきずきした。どこかで切ったのだろうが、かまわず追いかける。すでにレインボーブリッジの中ほどに入っている。この真下は海だ。路肩に停めたパトカーから警察官が降りてきた。ガードレールをまたぎ遊歩道に入る。
「堀田はどこだ?」
「どこにもいないじゃないか!」
 一人が懐中電灯で仁子を照らした。裸足はだしで血がにじむ足元を見て、驚いている。
「見当たり捜査員の方ですか?」
 島本が通報してくれたのだろう。仁子は息が切れてすぐに返事ができない。
 堀田はどこへ行ったのか。パトカーに目を向ける直前まで、仁子の前を走っていたのに、いまは姿が見えない。海に落ちたのか。
 保守点検用とおぼしき階段が遊歩道の欄干の向こうに見えた。堀田が風にあおられながら、階段を駆け上がっている。
「あそこよ!」
 仁子は叫び、フェンスをよじ登って保守点検用階段に降り立った。簡素な手すりがあるだけの、海風に吹きさらしの階段だった。逃げ場もなく、風であおられたらひとたまりもない。仁子は思わずつんいになった。ずっと先を上がる堀田も、両手をついて必死に風をこらえていた。
「堀田光一! 危険だから、止まりなさい!」
 なにかが堀田の方から仁子の顔面目掛けて飛んできた。堀田の革靴だ。むんと嫌なにおいがして、目に砂が入った。
 下を見てしまった。海上から百メートル近い高さがある。恐怖で目がくらむ。後を追ってくる警察官はひとりもいなかった。
 春の冷たい風が吹きすさぶ。東京湾岸エリアの夜のネオンが揺れている。しばうらの倉庫群と工場地帯の電灯や、ガントリークレーンの照明、観光地のきらびやかなネオンに、羽田空港の滑走路の明かりまでが転々と見える。すぐ真下には、観光船の赤いちようちんがくっきりと見えた。羽田空港へ着陸する飛行機が飛んでいる。
 レインボーブリッジのつり橋部分のワイヤーが保守階段の建物に集約されている。ここはアンカレイジ施設の屋上にあたるようだ。
 堀田光一はワイヤーに手をかけている。綱渡りでもするつもりか。
「危ないから戻って!」
 のどつぶれるほど叫んだが、うなるような強風の音でかき消される。とうとう堀田の足が階段から離れた。ワイヤーにしがみつくようにして、ぶら下がる。
「危ない!」
 このままでは落下する。海にたたきつけられておぼれ死ぬだろう。仁子がここまで追い詰めてしまったのだ。
 ──死なせるわけにはいかない。助けなくては。
 仁子も保守階段の最上段まで上がり、ふとももほどの太さがありそうなワイヤーに手にかけた。堀田は動けなくなっている。進むことも下がることもできないようだ。
 仁子はワイヤーに右腕を絡ませ、保守階段の最上段にりようひざをつき、左腕を差し伸べる。
「捕まって!」
 堀田がじりじりとワイヤーを後ろむきに下がってくる。右腕を仁子に伸ばす。指先が届いた。手を強く握り合う。

(つづく)

作品紹介

警視庁01教場(角川文庫)
著者:吉川 英梨
発売日:2023年11月24日

多彩な人間ドラマ! 驚きをいくつも秘めている号泣教場小説!
甘粕仁子は見当たり捜査員だったが、犯人追跡中に大けがを負い戦線離脱。警察学校の教官になった。助教官の塩見とともに1330期の学生達を受け持つが、仁子の態度はどこかよそよそしい。やがて学生間のトラブルも頻発。塩見は、教官、助教官の密な連携が不可欠と感じる。そんな矢先、警察学校前で人の左脚が発見される。一体誰が何の目的で? 教場に暗雲が立ちこめる中、仁子が人知れず抱えていた秘密が明らかに――!

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