草食系男子がタイムスリップした1979年はヤンキー天国!

マンガ

更新日:2014/4/14

 待ち合わせで10分ほど遅れそうなとき、ケータイで連絡するのが今では常識。だけど、ケータイが広まる90年代半ばまでは誰もそんな便利なアイテムは持っておらず、すれ違いも多かった。好きな子に告白するにしても、今ならメールがあるけれど、昔は手書きのラブレター。ケータイやインターネットの登場後、恋のすれ違いも小説にしにくくなったのではないだろうか。

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 『俺たちに偏差値はない。ガチバカ高校リターンズ』(福澤徹三/徳間書店)は、2013年の高校生が1979年にタイムスリップする物語。他界した父の故郷である北九州を訪れた主人公・百鬼悠太は、父の勉強机で宝の地図らしきものを発見する。その場所には古い井戸があり、主人公はケータイを井戸に落としてしまう。なんとか拾おうとしたところ、あやまって井戸に転落。目を覚ましたとき、そこは見覚えのある父の部屋だった。しかし、何もかもが新しくなっている。祖母は若返っていて、悠太を若き日の父・剛志郎と思い込んでいるのだ。わけもわからぬまま、悠太は高校生の父に代わって1979年を過ごすことに。

 ヒマさえあればケータイをいじり、肉が嫌いでやせっぽちという草食系男子の主人公が見た1979年の高校は、人類創世を思わせるヤンキー天国だった。髪型はとさかのようなリーゼントやパンチパーマ、ファッションは短ランにボンタン。とても同学年とは思えないガラの悪い男子が虚勢を張り合う弱肉強食の世界で、主人公は入学早々パシリに決定。暴力を基準とした上下関係に、21世紀の格差社会よりも過酷だと主人公は感じる。

 ヤンキーが溜まる喫茶店が「柴留美亜(シルビア)」や「愚澪人(グレイト)」だったり、当時の高校生が夢中になったインベーダーゲームや深夜番組「11PM」のアダルトコーナーなど時代風俗のディテールが細やかで、70年代末に青春時代を過ごした40代50代が読むと、きっと懐かしく感じるだろう。

 逆に、若い世代が読むと、親父世代の青春がわかって新鮮なのではないだろうか。「青春」と言っても、爽やかなものではなくて、ポマードとタバコのヤニでべったりした相当ヤンチャな青春だけれど……。生前の父・剛志郎は大酒呑みだったが商才があったらしく、飲食店を何軒も経営していた豪快な人物だったようだ。勉強をまったくしなくても、ヤンキー社会で培われた男気や決断力で成功をつかめた大らかな時代だった。

 当初はケータイもなく、ネットで着エロ動画も見られず、周囲にも馴染めずにいた主人公だが、当初はとっつきにくかったヤンキー少年たちも、実際は虚勢を張っているだけの気のいいヤツらであることがわかり、次第に1979年という時代に居心地のよさを感じるようになっていく。しかも1979年の女の子に恋をしてしまうのだ。初めてのデートにこぎつけるも、他校のヤンキーに絡まれ待ち合わせに遅刻。すでに彼女の姿は映画館になかった……。ケータイのある21世紀ならばこうしたすれ違いもないだろう。

 バカ話に明け暮れ、威勢の良さを競い合うヤンキー少年たちは、今ではちょっとユーモラスに見える。タバコを吸ったりポルノ映画を観に行ったりとワルな行為を通して自己主張している姿が、なんとも無邪気なのだ。友達の家に勝手に上がり込んで夕食を食べて行ったり、みんな図々しくて、そのぶん人間関係も濃厚だ。ダサくて雑多な時代だけれど、元気がみなぎっている。

 34年という微妙なタイムスリップを描くことで、便利さのかわりに私たちが失ったものを再認識させられる小説だ。もちろん説教じみた話を抜きにして楽しめる娯楽作なので、親父世代の生態を見学がてら読むといいかも。ジェネレーションギャップも埋まるはずだ。

文=大寺 明