獄中結婚した“木嶋佳苗”は、なぜモテる? 過激なポルノ私小説『礼讃』でその謎が明らかに!

文芸・カルチャー

2015/3/26

ここ数年、ホリエモンの獄中メモなど、刑務所にいる受刑者の言葉が支援者の手によりブログ等で発信される機会が増えてきた。ことの善悪は別にして、彼らが獄中で何を考えどう過ごしているのか、自らの罪にどう向き合っているのかを、ほぼリアルタイムで垣間見られるという現象には正直そそられなくもない。こと世の注目を集めた受刑者のものなら、なおのことだろう。

一連の婚活詐欺殺人で世の女性たちから総バッシングをくらった木嶋佳苗被告も、その意味では非常に興味深い存在だ。彼女は2013年12月24日付けで「木嶋佳苗の拘置所日記」としてブログを立ち上げ、翌年6月からは有料ブログで自身の生い立ちから振り返った自伝的小説「礼讃」を発表。裁判員裁判で死刑を求刑された受刑者による有料ブログとは、好奇の目を逆手にとった強気にも驚くが、問題はその内容だ。早熟な子ども時代、親との確執、過激な性描写等を克明に記したその物語は、実に大学ノート41 冊にもわたるボリュームだったという。この自伝的小説は、先ごろ『礼讃』(木嶋佳苗/KADOKAWA角川書店)として出版された。書籍化を機に、木嶋自身が「自分のこと」と認める物語の全貌が、真の意味で白日のもとに晒されたかたちになる。

まず驚かされるのは、木嶋の巧みな文章力だろう。幼少期から父に読書を推奨されたため、その読書量は相当なものらしく(8歳で漱石にはまり、将来「高等遊民」になりたいと考えたらしい)、感情表現や描写力はなかなかのもの。主人公「木山花菜」の姿を借りて、木嶋佳苗本人が歩んできた道のりが子細に描かれていく。8歳で来た早すぎる初潮、父や祖父とのファザコン的関係の一方での母からのモラハラと暴力、高2の夏の初体験と人生を狂わせた事件…ポルノまがいのセックス描写とブランド菓子やレストラン、高級ブランドの服や車の名前がミルフィーユのように淡々と積み重なっていく物語世界は、どこか異様で圧倒的だ。

なぜ男たちを手玉にとれたのか――大半の読み手はその謎を解明すべく、現実の木嶋に繋がるトラウマや心の闇を探そうとするだろう。だが「(売春を指して)私がしていたことは、拝金主義でも、承認欲求でも自傷行為でもない。親への欲望を代理充足したのでもない」とあるように、明らかな心理的因果関係を探すのは実は容易な事ではない。自身の性器の魅力、ギャンブルやスイーツへの熱意、金のない男たちの切り捨て、そして自分を否定するものたちへの侮蔑を描く時だけは、一瞬ギラリとした感覚(執着や功利的で利己的な側面)を見せるものの、描写がいちいち克明な割には全体に不快以外の主体的な感情は薄く、その場に流される感じは不気味ですらある。むしろ、自らを文楽の人形にたとえて「私は、男性によって息吹を与えられ、思考を持つ」とあるように、彼女の中心にある「巨大な空洞」のようなものが印象に残るのだ。

この空洞の正体は何なのか。是非それぞれに考えてほしいものだが、案外それは「女性」というものの一つのあり方なのかもしれないとも思う。男に「養われる対象」であることに疑問を持たず、論理的思考より好き嫌いを判断基準に、相手の男にあわせることで楽な人生をかちとっていくこと。多くの女性たちが木嶋にイラついたのは、女の自立を目指してがんばってきた自分を否定されたように感じた面があったからではなかったか。

いみじくも木嶋は「女同士の付き合いにかまけて、男性を大切にすることを忘れてしまったのではないか」と世の女性に苦言を呈す。その上で「私は男性に対して演技をしたことはない。男性が望むことをするのが、私にとっての喜びであり、それが自然な行為だった。(中略)(男たちの抑圧された心の奥を汲取ることで)そうした心の深いところから無意識に湧き出たもののふれ合いは、セックスより強力な接着剤になる。その上、セックスも良ければ、離れられないのは当然だろう」と勝利宣言する。実際、彼女が男をひきつけるために重ねたテクニック修練の激しさは、その言葉を裏付けする。単に木嶋の存在を否定するのは簡単だ。だが、この本でひとまずその実像を自らの感覚で捉えることは、案外何かのヒントになるのかもしれない。

それにしても木嶋が抱えるような女の空洞は、「害のない存在」として男たちに魅力的にうつる面があるのだろう。残念ながらそれは、未だ変わらない男女のある種の真実でもある。だが空洞=ブラックホール。その引力は、時に男たちの「命」まで引きずりこむのだ。恐るべし、木嶋佳苗。

文=荒井理恵

『礼讃』(木嶋佳苗/KADOKAWA角川書店)

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