50万部突破!「天才」にはない経験に裏打ちされた力強い言葉が詰まった、“角栄ブーム”の火付け役! 

社会

公開日:2016/4/19

 第64・65代内閣総理大臣を務めた田中角栄がブームだ。数多くの“角栄本”が書店に並び、テレビ番組で特集され、最近では日めくりまで出版されるなど、没後20年以上経って再び注目が集まっている。そのブームのきっかけとなったのが『田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得』(別冊宝島編集部編/宝島社)だ。


 田中角栄が残した100の言葉と、それにまつわるエピソードなどを紹介する本書は「Amazon政治家本ランキング」においてベストセラー1位をキープ、2015年「政治家本」の中で実売部数1位、レビューでは5つ星のうち4.7を獲得しており、なんと50万部を突破しているというからその人気の凄まじさがわかるだろう。しかし1993年12月16日に亡くなった田中角栄のことを知らないという若い世代も増えてきている。そこで田中角栄とはどんな人物なのか、本書に掲載されている言葉からいくつかご紹介したい。

 田中角栄は1918年、新潟県の農家に生まれた。父親の事業の失敗などもあり貧乏な少年時代を過ごし、尋常高等小学校を卒業後に働き始め、16歳で上京。昼間は働き、夜は専門学校へ通って一級建築士の資格を取得、その後会社を立ち上げるなど叩き上げの実業家として成功した。そして1946年、衆院選に立候補する。この時は落選してしまうが、演説で田中角栄しか発想しないような突拍子もない発言をしている。

新潟の雪をなくすためにどうするか。
三国峠の山を削って平らにする。
土は海に埋めて佐渡と陸続きにすればいいッ!


 翌1947年、田中角栄は新潟3区から立候補して29歳で初当選、政界へ進出する。39歳で郵政大臣になるなど閣僚や党幹部を歴任、多くの議員立法を成立させ、実力者となっていく。1972年6月には『日本列島改造論』を出版、道路や新幹線、空港を建設し、人口と産業を大都市から地方へ分散させ、地域格差を解消する必要性を論じた本書は90万部の大ベストセラーとなった。

 そして1972年7月、54歳で内閣総理大臣に就任(74年12月まで在職)。「角さん」の愛称で「庶民宰相」として高い支持率を誇り、就任後すぐに日中国交正常化を実現した。その強烈なリーダーシップから「今太閤」と呼ばれ、官僚の操縦術に長け、圧倒的な記憶力を持ち、勤勉と気配りを心がけ、秘書やスタッフからは「オヤジ」と慕われていた田中角栄は、やると決めたことは必ず実行することから「コンピューター付きブルドーザー」と揶揄されることもあったが、明晰な頭脳と決断力は誰もが認めるものだった。

できることはやる。
できないことはやらない。
しかし、すべての責任はこのワシが負う。以上!


 しかし「バラマキ」と呼ばれる金権政治を生み出し、旅客機の受注をめぐる汚職事件「ロッキード事件」では逮捕・起訴された(死によって控訴棄却)。その後も隠然たる力を持ち続けたことから「闇将軍」と呼ばれるなど、田中角栄という人物は毀誉褒貶が激しいのも事実だ。しかし借り物ではなく、実体験から生み出された言葉は人の心を打つものばかりだ。人生に、そして仕事に効く言葉の詰まった本書を読むと、田中角栄には卓越した先見性と才覚があり、圧倒的な実行力と行動力があったことが伝わってくる。

人間は誰しもできそこないだ。
しかしそのできそこないを愛せなければ政治家はつとまらない。
そこに政治の原点があるんだ。


「今この人がいてくれたら、息苦しい社会に風穴をあけてくれるかもしれない」――そんな期待が、現在の角栄ブームを支えているのだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)