「ピーターラビット」の作者、ビアトリクス・ポターの知られざる生涯

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公開日:2016/8/21

『新装版 ミス・ポターの夢をあきらめない人生 ピーターラビットとともに歩く』(伝農浩子/講談社)

 19世紀イギリス――18世紀に起こった産業革命で社会構造が一変し、都市の労働者階級の子どもが学校に通うようになった時代。生産力の向上、物流の近代化などで生活は豊かになった一方、家庭の階級にかかわらず、女性の地位は確立されていなかった。女性の職業は限られており、中・上流階級の女性が働いて収入を得るなどもってのほか。

 そんな時代に生まれながら、自身のやりたいことを徹底的に追求し、そのほとんどを実行した女性がいる。100年以上にわたって世界中で愛され続ける絵本「ピーターラビット」シリーズの作者、ビアトリクス・ポターだ。本書『新装版 ミス・ポターの夢をあきらめない人生 ピーターラビットとともに歩く』(伝農浩子/講談社)は、夢を捨てずに一生涯挑戦を続けた、ミス・ポターのたくましくもどこか切ない生きざまを綴ったもの。

 裕福で厳格な家庭に生まれ、絵本作家として世界中にその名を知らしめたミス・ポター。しかし、絵本作家以外の顔、菌類研究家や自然保護活動家、農婦としての側面は、あまり知られていない。束縛が激しい母親との確執や初代編集担当者との初恋もそうだ。代表作「ピーターラビット」シリーズの認知度の高さに反し、作者自身のことは実のところほとんど語られてこなかったのである。

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 なぜなら、ミス・ポターはプライバシーをとても大切にし、周囲に騒ぎ立てられるのを嫌う、人一倍シャイな人物だったから(少なくとも15歳のころから、独自の暗号を用いて日記をつけていたほど)。19世紀のイギリスでは、女の子は家からほとんど出られず、学校へ行っていない子も珍しくなかった(多くの場合、家庭教師を呼んでいた)。ミス・ポターも例外ではなかったが、数少ないエッセイの中で、次のように語っている。

「学校へ行っていたら、自分らしさや独創性をなくしたのではないかと思う」

 引っ込み思案な性格だが、やると決めたことはトコトン突き詰める。そんな彼女の気質を裏付けるような発言だ。とはいえ、いまでこそ「女性が活躍できる社会」といったスローガンはごく当たり前に聞かれるようになっているが、男女差別の問題が顕著だった当時のイギリス社会では、女性の活躍などありえないといっても過言ではなかった。

 そんな社会情勢だからこそ、絵本作家になるよりも以前に、ミス・ポターが学者を目指していたというエピソードは興味深い。幼いころから森の中を散策して植物を採取し、詳細な絵として描き、分析するという作業を続けていた彼女。特にキノコへの関心が強く、その絵のうまさと学術的な正確さが周囲の人々に認められ、「ハラタケ目の胞子発芽について~ミス・ヘレン・B・ポター」という論文まで書いたほど熱心だった。

 1897年当時、女性が学会に出席することは認められておらず、ミス・ポターの研究成果を認めてくれたキュー王立植物園の園長補佐が彼女の論文を代読。結果は、「刊行物に印刷し発表するにはまだ研究が必要」とのこと――それまで多くの研究者が成せなかった実験に成功していたというのに。一説によるとこの論文は、タイトルが読み上げられただけだったとか……。結局、彼女は学者の道を断念せざるを得なくなる。

 しかし、ミス・ポターによるキノコの水彩画は、専門書『Wayside and Woodland Fungi(道端と森のきのこ)』の挿絵に使われるなど、現代において高く評価されている。また、動植物を描くことが大好きだった彼女の技術は、絵本作品の挿絵にそのまま活かされているのだ。

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中(2016年10月11日まで)の「ビアトリクス・ポター生誕150周年 ピーターラビット展」では、原作絵本の原画やスケッチなどが展示されている。その絵の背景に描かれた植物にまで気を配って鑑賞すると、また印象が違ってくるかもしれない。

 本書を読み進めると、作品のモデルとなった実在の人物やペット、土地などが登場し、作品への理解が深まっていく。ミス・ポターの生涯について知れば「ピーターラビット」シリーズにもっと愛着が湧くはずだ。

文=上原純(Office Ti+)